43・1ゲームの強制力
ワイズナリー暗殺の翌日、いてもたってもいられずに朝から王宮へ向かった。
ジョナサンと、ジョナサンを想うルクレツィアが心配だった。
王宮は流石に厳戒態勢で、近衛兵は総出、警備隊の姿もちらほらあった。
よく考えたらルクレツィアと私、そしてシンシア以外は、先週ワイズナリーを刺したのが(恐らく)ザバイオーネだとは知らなかったのだ。
まさか彼が長く蜜月状態の友を殺害するなどとは誰も考えていなかっただろう。しかもザバイオーネは社交界に出入りしているとはいえ、爵位をもたない一商人だ。侯爵で大臣でもある高位の人物に刃を向けるなど、想定すらしていなかったにちがいない。
とりあえず西翼に行くと、ルクレツィアはクラウディアに抱き締められていた。頬には涙のあとが残り、瞼は腫れ上がっている。ひどい顔だ。
昨日から泣きどおしで、と力なくクラウディアが呟いた。彼女の顔も疲れている。ずっと妹を慰めていたのだろう。とはいえなぜ妹がここまで泣くのか、彼女にはわかるまい。
「ルクレツィアは私がそばにいるわ。クラウディアは少し休んで」
そっと彼女の腕に触れる。彼女はありがとうと言って、部屋を出て行った。
隅に控えているシャノンにも同じことを告げる。彼女も隈がひどい。だけど、
「私は大丈夫です」
と言う。ルクレツィアが心配でならないのだろう。
「だめよ。私が帰ったあとは、あなたがまたルクレツィアに付いていなければならないのよ。お願いだから休んできて」
シャノンは渋々うなずいて、部屋を出て行った。
二人きりになり、彼女を抱き締める。ルクレツィアは、守れなかったわ、と小さな声で呟いた。そうねと言葉を返す。
「…………ザバイオーネも」
その言葉に戸惑った。
「ザバイオーネ?」
「ええ……。まだ聞いていない?」
ルクレツィアの話では小一時間ほど前に、主犯疑いとして牢に入れられていたザバイオーネが遺体でみつかったそうだ。舌を噛みきったという。
ゲームでの彼は逮捕されるけど、その後どうなるかはわからないと聞いていた。まさかあの厚顔な男が自死するなんて。
「私たち、何も変えられなかったわ……」
ルクレツィアは涙をこぼした。
きっとシンシアも父と兄の事故に際して、そう思っただろう。彼女はたった一人でそれに耐えた。
ゲームの世界に転生して、未来を知っていたからって何にもならないじゃない。余計に辛いだけだ。
二人で長い間、黙って抱き合っていた。
と、扉を叩く音がした。どうぞと答えると、姿を見せたのはジョナサンだった。げっそりとやつれている。
「どうしたの!?」
彼は億劫そうに扉をしめると、力なく私たちの元に来た。
ルクレツィアは顔を見られたくないのだろう、私の肩に顔を埋めて動かない。いや、小刻みに震えている。
「クラウディアが、ルクレツィアが心配して泣いていると教えてくれた」
そう言う声も疲れ果てている。ルクレツィアに回している腕にそっと力を入れると、彼女はゆっくりと私から離れた。だけど顔は上げない。代わりに
「……お父様、残念でした。お悔やみ申し上げます」
と震える小さな声で、そう言った。私も続けてお悔やみを言う。
「ああ。ありがとう」
ジョナサンはなんと、微かだけれど笑みを浮かべた。ルクレツィアを見る眼差しが穏やかだ。
「父は公人としても父親としても最低な人間だった。誰もその死を悲しまないしないし、僕たちを案じもしない」
「「そんなこと!」」
私たちの声が揃った。ルクレツィアは思わずだろう、顔をあげた。
「君たちぐらいだ。ましてや涙を流してくれるなんて。だから礼を言いに来たんだ」
息を飲んだ。
ジョナサン!
本当に残念イケメンなんて言ってごめん! あなたは欠点が幾つあろうとも、心根は良い男だ。
「それから、もうひとつ。心配はしなくて大丈夫だ。クリズウィッド殿下と、フェルグラート公爵、ヒンデミット男爵が、身辺が落ち着くまで助力してくれるそうだ」
「……そうなの?」
尋ねるとジョナサンは私を見た。
「ああ。ありがたいよ。怪文書以降も態度が変わらないのは、第八師団の近衛たちを除けば、彼らだけだ」
怪文書をウェルナーがまいたとは考えないの?と喉元まで出なかったけれど、飲み込んだ。誰かしらは、その可能性を口にしただろう。
それでもジョナサンはウェルナーに感謝をしている。
「じゃあ僕は戻る」
「あ」とルクレツィアが声をあげる。「お姉さまは? あなたに告げに来たあとは部屋に戻ったかしら? 彼女もだいぶ疲れているはずなの。私のせいで」
「彼女はフィリップに付き添ってくれている」
フィリップ? 誰だっけ?
と一瞬考え、だけどこの話の流れならジョナサン弟だろうと思い至る。
「あいつはかなりショックを受けていてね。主犯がザバイオーネだというから」
そうか。ザバイオーネの息子はジョナサン弟の親友だ。これは簡単には受け止められないだろう。
「クラウディアは良い人だ。そして君たちも」
じゃあ、とジョナサンは部屋を出て行った。今にも倒れそうな足取りで。
「……私、あんなことを言ってもらう資格はないわ」
ルクレツィアが涙を流す。
「……そんなことないわ。ジョナサンを案じている気持ちは真実だもの」
そう。それだけは間違いない。
もし怪文書事件の後に私たちが、ザバイオーネがワイズナリーを殺そうとしていると声高に主張していたら、どうなっていただろう。
きっと誰も信じないという結論になったから、警告文を送るにとどめたのだけれども。違う結果になっただろうか。
ただし、ワイズナリー本人の警告文だけには、それとなくザバイオーネを匂わせた。それでもよりによって従者が裏切っていたのだから、多分、事件を回避できなかったのだ。
「……きっと、考えていた以上にゲームの強制力が強いのよ」
そう呟いて、自分で自分の言葉に恐ろしくなって身震いした。
お読み下さりありがとうございます。
お口直し小説です。
お読みにならなくても、本編に影響はありません。
☆おまけ小話・元修道騎士のよろず相談☆
(ブルーノのお話です)
ひとりでコップに酒を注ぐ。
相棒は若い主人と出掛けている。今夜はどこかへの泊まりだ。二人部屋でひとり、酒盃をあおぐのは淋しいが仕方ない。アレンは屋敷にいるが、俺の部屋に来る暇があるならシンシア殿の元へ行ってほしい。
トン、トンと軽快に扉を叩く音がした。どうぞと答えれば、顔を見せたのはシンシア殿の小間使いのニンナだ。
「ブルーノ。また、相談をいいかしら?」
「もちろん」
俺は立ち上がるとナイトテーブルの上に水差しと一緒に置いてあるコップを取った。
ラルフのイスにちょこんと座ったニンナに酒で満たしたコップを渡す。彼女はありがとうと言って口をつけた。
ニンナは二十歳。父親は三十九だというから俺より若い。俺の息子(自称)のラルフが三十四だから、ニンナからしたら俺は『おじいちゃん』かもしれない。
そんなじいさんに、彼女は時々相談をしにくる。ラルフのいない夜に。
内容はいつも同じ。どうしたらアレンがシンシア殿に振り向くか。
彼女もシスコン気味の当主が、妹と従者の恋の成就を願っていると知っている。どうにかしてツンデレ(ニンナがよく使う言葉だが、未だに意味が飲み込めない)のアレンに、シンシアとの距離を縮めてほしいらしい。物理的なゼロセンチでもいいから、と。
なかなかに過激な発言だ。
だからこそお堅いラルフがいないときを狙って来る。
彼女は酒を可愛く飲みながら、いかにアレンがドSでシンシア殿を翻弄しているか、熱弁をふるう。
だがあいつはきっと、あれが通常運転なのだ。人前では控えているが、実は若き主人にだって容赦がない。むしろもっとドSだ。
若き主人はあんな派手な外見と生活のわりに実のところは真面目だから、おとなしくアレンのムチに耐えている。なかなかに面白い見ものだが、これについてはトップシークレットなのでニンナに教えることはできない。
彼女の話にうんうん頷いて、アドバイスを求められたら答える。
……というか、三十年も修道騎士で恋愛沙汰に縁のなかった俺がするアドバイスが、的確なものなのかは不明だ。
それでもニンナは相談に来るのだから、役には立っているのだろう。
多分。
「……で。今日のシンシア様・アレン相談は終わり」
とニンナは言って、コップをテーブルにコトリと音を立てて置いた。
「……次に行ってもいいかしら?」
はにかみ顔のニンナ。
三十年、俺は神と民、それから息子(自称・仮)のために戦い生きてきた。それが生きることの全てだと思っていた。
だが。
こんな小さくて柔らかくて可愛らしい女の子に頼られるっていうのも、なかなか悪くない。むしろ素晴らしい。
「もちろんだ」
俺は笑顔で返答して、コップを置いた。




