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42・2仕事は『ひも』

 孤児院をあとにして。隣を歩くリヒターを見上げる。長い前髪に大きな帽子。外套の襟は高く、更に中にはスカーフを巻いている。すっかり見慣れているけれど、かなり不審だ。


 鼻しか見えないから、黙っているとまったく感情が読み取れない。


「なんだよ」

 視線に気づいたリヒターが私を見る。

「ん……」上手い言葉を探す。「ゴトレーシュ伯爵令嬢の件だけど。怒っている?」

 なんか違うな。

「当たり前だろう。なんだよ今更」

「うーん。だってリヒターにしてはすぐに苛立つじゃない。珍しいよ」

「……」

 返事はない。


 しばらくして盛大なため息が聞こえた。

「お前はあの時に言ったよな。彼女が何しているか聞いてこいって」

 そういえば頼んだっけ。そうだねとうなずく。

「警備隊を呼ばずに俺が行ってれば、騒ぎにならなかった」


 思わず足を止めた。

「なるほど!」

「『なるほど』じゃねえよ」呆れたような声。「まあ、俺のせいにしねえとこがお前らしいけどよ」

 その言葉に驚く。なんでリヒターのせいになるの?


「暴漢からお前を守んのが俺の役割だけどな。あの女のしたことは暴漢以上に質が悪い。守ってやれなくて悪かった」

「そんな!」

「そんなこと考えもしなかった、って言うんだろ?」

 言いたかったことを横取りされてしまった。

「だから言わねえつもりだったんだけどな。どうにも悟りにはほど遠くてよ」


 リヒターの顔は見えないから、そこからは感情がわからない。声だっていつものような声に聞こえる。けれどわずかに苛立ちがある。それは今の話からすると、自分に向けたものなのだ。


「リヒターって最高のお人好しだね」

「ちげえ。金をもらってる以上、俺は仕事をしなきゃなんねえの」

「じゃあ、生真面目だ」


 爪先だちになって、リヒターの頭を撫でた。帽子の上からだけど。

「いい子だね!」

「!!」

 ずさっ!と音を立てて帽子が消えた。リヒターが身を引いたのだ。

「なんだよ!!」

 焦った声に、

「へへっ」つい笑い声が漏れた。「元気になった?」

 帰って来たのは深いため息。

「このポンコツのどこが、他の令嬢を苛めるように見えんだよ。ぜってえ目が濁ってんぞ」


「……ありがとう」

 嬉しくて涙が目ににじむ。たとえ悪役令嬢として悲惨な末路を迎えたとしても、今の言葉を胸に穏やかにそれを受けいられる気がする。



 ◇◇



 並んで大通りを歩きながら、リヒターがため息混じりに

「人目につかねえとこがなあ……」

 と呟く。

「孤児院の教会じゃダメだったの?」

「あそこは子供がうろちょろしてるかんな」

「リヒターは最近サニーになつかれてるよね」

「また父親みてえとか言うなよ」

「だけど子供慣れしてるよね?」

「まあ、普段から遊んでるかんな」

 ふうん、と返事をする。

「質問してもいいかな?」

「おう」

「リヒターは『ひも』のお相手さんと一緒に暮らしているの?」

「……」


 どうも彼とお相手さんとの関係がよくわからない。

『ひも』ってルクレツィアの説明だと女性に生活の面倒を見てもらってる男の人ってことだった。リリーも、籍を入れてない夫婦のようなものだと説明してた。


 だけどリヒターはいつもお相手の方のことを、恋人じゃないと言うし、もしかしたら違う『ひも』という職業があるのだろうかとも考えた。

 だけど、前にバルで会ったリヒターの知人の話だと、彼には私と真逆タイプのお相手さんがやはりいるのだ。


 返事がないリヒターの顔を見上げる。

「……まあな」

「でも恋人じゃないの? 子供と遊んでいるって、その方のお子さん?」

「……」

 またため息。

「子供はダチの子」

 おお。リヒターにも友達がいるのか。話を聞いたことがないから、勝手に一匹狼なんだと思っていた。裏町の仲間なのかな? だから会話に出さないとか。


「……一応、あいつは」と言葉を続けるリヒター。「建前はあ……『恋人』。けど実際は違う。あんまし他人に言うなよ」

 ますますよくわからない。どんな関係なんだろう?

「俺は顔が晒せねえからな。住むとこは借りられねえ。まともに仕事も就けねえ。裏町もけっこう顔役の目が厳しいんだよ。だから表向きヒモってことにしてそのへん誤魔化して、ギブアンドテイクで住ませてもらってんの。ぜってえ口外すんなよ。リリーにもだぞ!」



 え?

 じゃあ本当の本当に恋人じゃないの?

 その、つまり、男女の仲じゃないってこと?

 あれ?

 もしや、リヒターはフリー?

 あれあれ?



 こっち、と手首を捕まれる。



 だから仕事は『ひも』って答えだったの?

 表向きそうしてないとまずいから?

 ていうか、そんなに見つかると大変なことになっちゃうの?


 混乱しているうちに、いつの間にか人ひとり通るのがやっとというような小路を歩いていた。窪みがあったと思ったら、玄関のようだ。その窪みに引っ張りこまれた。


 人様のお宅の扉前に並んで座る。


 どうしよう、ドキドキしてきた!

 リヒターのお相手さんは、本当に『恋人』じゃなかった!

 それならちょっとは不埒なことを望んでもいいのかな?


 一瞬、頭に浮かんだ顔は見なかったことにする。ごめん。


「ほら」

 リヒターが丸めた紙を差し出した。

 はっと我に返り、受け取る。

 そうだった、彼に仕事を頼んでいたのだ。それで人気のないところを探していたようだ。


 こんなところに連れて来られ、恋人じゃないと聞いて、期待してしまっていた。

 耳が熱い。


 そうだよ、リヒターは全然私の恋心に気づいていない。女の子としての興味は持たれてないんだよ。

 浮かれて、バカだな、私。


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