42・1苛立ち
ワイズナリー侯爵が殺されかけてから数日が経った。容態は一進一退らしい。傷の縫合手術は成功したものの、目を覚まさないようだ。王宮の一室で家族に付き添われながら看護されている。厳重な警備体制下だ。
私たちが送った警告文の存在が明るみに出たので、衝動的な事件ではなく計画的なものと判断されたからだ。
実は警告文はジョナサンにも送ってあった。彼の話では、ワイズナリーは警告文を気味悪がり護衛をつけて警戒していたという。
ところが事件が起きる前にその護衛はワイズナリー本人に、本日はもうよいと任務終了を言い渡されたそうだ。
それから一体何があったのか、誰もわからない。
当のジョナサンは、特別休暇取得の勧めを断り、通常の勤務をしているという。だが更にやつれているという話だ。
そして犯人は一向に捕まらない。
クラウスの疑いは晴れているようだけど、なにしろ彼を犯人に仕立てたい輩がいるので(父とその一派だ!)、どんな偽の証拠をでっち上げてくるか、気が抜けない。
ただ、ルクレツィア情報によると、意外にもユリウスが公正な立場をとっているらしい。そこにも様々な思惑があるようだが、とりあえずは冤罪の歯止めになってくれている。
◇◇
いつもの曜日、いつもの時間にいつもの場所に駆けていくと、毎週と変わらぬ様子でリヒターは待っていた。
よお、と挨拶をして自然にかごを手にする。
「ありがとね。迅速に仕事をしてくれて」
「……役に立たなかったみてえだな。一通り聞いてるぜ」
「そんなことない! おかげで一命をとり止めることができたの」
そうかい、とリヒター。
確実に気のせいじゃない。今日のリヒターは元気がない。声が暗く沈んでいる。
「リヒター、何かあったの?」
「なんでだ?」
「だって元気がないよ」
「んなことねえよ」
さっさと歩き出すリヒター。
「『ひも』のお相手さんは相談に乗ってくれるの?」
「あ?」
彼は私を見た。
「その方じゃなくても、誰かいる? 大丈夫? 心配だよ」
「……大丈夫だって。なんでもねえよ」
リヒターの力にならせてもらえない。私はその程度なんだ。
「んな顔をすんなよ」
ふわりと頭に手が乗り、軽く撫でて離れていった。
「確かにちょっとへこんでた。けどそれだけだ。お前ののんきな顔見たら、もう吹っ飛んだよ」
そういう声はいつもの声だった。
本当に? 無理してない? と聞きたかったけれど、やめにした。
「のんきな顔で良かった!」
と言うにとどめる。たとえ嘘でも嬉しい。本当ならもっと嬉しい。
ぶっと吹き出すリヒター。
「公爵令嬢のセリフじゃねえよ」
それは本当に楽しそうで。今度こそ安堵した。
◇◇
孤児院は先だって多額の寄付をいただいた。あの尼僧たちかららしい。私も時々するし、最近は匿名の寄付もあるそうなのだけど、嵐後の修繕にかなり費用がかかったので倹しい生活をしていたところだった。ゆとりができて近頃のロレンツォ神父の顔は明るい。
が、迎えに出てきた神父は挨拶の後、顔を曇らせた。
「寄付を頂いたので、町にあれこれ買い出しに出たのですが……。耳にいたしました。アンヌローザ様が他所のご令嬢にひどい仕打ちをしたとか」
思わず瞬いた。世俗に疎い彼の耳にも入ったのか。
「まさか信じてんじゃねえだろうな」
隣から地を這うような声がして、驚いてその顔を見上げる。
「とんでもない」神父は落ち着いた声で否定した。「お立場は大丈夫なのかと伺いたかったのです」
「ならいい」
先週主婦さんたちが噂していたときといい、リヒターはこの話題にちょっと過敏ではないだろうか。主人公が騒ぎ立てていたのを目の前で見ていたからだろうか。
「もし何かありましたら、私どもはアンヌローザ様の名誉回復の力となります」
神父の言葉に年長組が、そうだよ!と口をそろえる。
私の味方はここにもいたようだ。影でひそひそ話している奴らなんて気にしなくていい。
「嬉しいわ。ありがとうございます」
ロレンツォ神父の手をとって固く握りしめた。




