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41・〔閑話〕王子と公爵と男爵

第二王子クリズウィッドの話です。

「肝が冷えた」

 そう言うと、昨日危うく殺人犯として逮捕されるところだった親友は、口元に笑みを浮かべ、

「なかなか見ない顔をしていたな」

 と言ってカップを口に運ぶ。見慣れたとはいえ惚れ惚れする優雅さだ。昨日の今日だというのに。

「誰が?」と尋ねる。

「お前が」と答えが帰って来た。

「お前が冤罪を着せられるところだったんだぞ!」

 まあな、と彼は呟いた。


 昨晩、軍務大臣のワイズナリーが襲われた。短剣でひと突き。命はとり止めたが予断は許さない状況らしい。

 その犯行現場にクラウスのハンカチが落ちていたからと、彼は犯人として逮捕される寸前だった。


 幸いクラウスにはアリバイがあったことと、ワイズナリーの息子が、彼に冤罪をかけるのではなく真犯人を挙げたいと主張したことによって、なんとか逮捕は免れた。


 できればそのまま、クラウスと話し合いをしたかったのだが、彼は妹が怯えているからと早々に辞去した。

 代わりに今日、早朝から集まっている。


「クラウスだってさすがに驚いていますよ」

 とウェルナーが言って、友人にそうだろう?と尋ねる。

 それにクラウスが頷く。

 確かに今日の彼はいつもよりは覇気がないように見える。ついでにウェルナーも。


 クラウスはこの八ヶ月の間、あらゆる罠を仕掛けられている。仕事上のミスをでっち上げられ、横領の冤罪をかけられそうになり、命を狙われた。犯人は多分、ラムゼトゥール一派だ。陛下が噛んでいるのかは、はっきりしない。


 陛下は嫌いな義兄に瓜二つのクラウスが、自分にかしづくことに悦びを感じているようで、何かとそばに呼んでいる。そうしてあれこれと細かい仕事をやらせては、自分の優位を確かめているのだ。

 クラウスに気持ち悪くないのかと尋ねたが、彼は『別に』の一言で終わらせた。


 こんな状況だから、大抵のことには驚かなくなったが、さすがに殺人犯に仕立て上げられるとは予測外だった。


「一応疑いが晴れたとはいえ、気を付けろ」

 頷くクラウス。

「だがジョナサンには驚いた」とウェルナー。

「ああ」とクラウス。「まさか宰相に歯向かうとは思わなかった」

 私も頷く。

「案外気骨のある奴だったんだな」


 意外な一面に、彼を見直した。今までは親の七光りだけで軟派に生きているような男なのだと思っていた。だが彼は宰相に意見しただけでなく、ウェルナーにも謝罪した。肝が座っていなければ、出来ないだろう。


「少しはルクレツィアの気持ちを認める気になったか?」とクラウス。

「……いや、それとこれは別だ」

 ウェルナーが苦笑し、クラウスは吐息した。ここは話を変えよう。


「それにしてもラムゼトゥールのあの言い様は酷かった」

 二人は顔を合わせて、何かあったかと言い合っている。

「お前の名前を略したじゃないか」

 ああ、と頷くクラウスは関心がなさそうだ。ウェルナーの方は、確かにと同調した。

「よくあんな細かい嫌がらせをを思い付くものだ」

「別になんとも思わないがな」

「そうか?」

「どうせ私の名前じゃない」

 さらりと。表情を変えることもなく言い放たれた言葉に耳を疑った。


 クラウスの顔を見てから、ちらりとウェルナーを見ると目があった。困惑の表情だ。恐らく私もそんな顔なのだろう。


「……どういう意味だ?」

「おや、知らなかったか」

 クラウスはまるで普段通りだ。

「私の名前は、亡くなられた三殿下のものだ」

 勿論そんなことは知っている。

「『クラウス』なんて呼ばれるようになったのは還俗してからだ」


 何てことないように語る親友を前に、心も体も冷えていくのがわかった。


「……なら出家前はなんと呼ばれていたのだ?」

 そう尋ねるウェルナーの声も強ばっている。彼も初めて聞く話のようだ。

「『坊っちゃん』か『若君』。なんでそんな顔をする?」

 クラウスはウェルナーから私に視線を余越し、やや眉を寄せた。

「そんなに『坊っちゃん』は似合わないか?」


 どう考えたって、一般的なエピソードではない。私もウェルナーもそのことに困惑しているというのに、聡い彼は気づいていないというのか?


「『クラウス』と呼ばれるのは嫌なのか?」

 自分の名でないと考えているならもしや、と思い尋ねる。

 彼は目をわずかに細めた。

「他に呼びようはないだろう?」

 つまりは、嫌だが仕方ない、ということなのか。

「もう慣れた」

「そうか」

 と頷いて、気を落ち着かせるためにカップを口に運ぶ。


 従弟であり今は親友である彼が、普通でない人生を送ってきたことは知っている。だけど普段の彼からは、そんな事情は一切感じられない。

 一分の隙もない典雅な青年にしか見えないものだから、私は一度も彼の素手を見たことがないというのに、その理由もすっかり忘れていた。


「しかし宰相がああだからな」とクラウスは話題を変えた。「私を陥れることに固執して、真犯人を捕らえてくれるのか、若干不安がある」

「本当だ」ウェルナーがまだ強ばりの残る顔で頷く。「もし怪文書が関係した事件ならなおのこと、全てを明らかにしてほしい」

「そうだな」


 ウェルナーもまた、父親が事件に巻き込まれている。

 そう思うと、たとえ立場が悪かろうが不自由なく生きてきた自分は、とても幸運なのだろう。この二人と親しくなる前は、そんなことは思いもしなかったが。


「とにかくお前たち二人は、彼らが付け入る隙を作らないよう気をつけてくれ」

「お前もだぞ」とクラウス。

 分かっていると答える。

 昨晩のうちに彼から忠告された。宰相が、クラウスが駄目なら私に罪を着せようと考えるかもしれないと。


「しばらくは厳戒体制だな」

 念のための対策を確認し合う。

 こんな時になんだが、頭を寄せあい密談することに嬉しさを感じる。彼らと親しくなる前には、こんなに心を許した友人はいなかった。なにしろ西翼に住む私たちは、宰相一派からすれば相手にする価値がなく、その他の派閥からすれば関わりたくない人間なのだ。

 一応友人知人はいたけれど、表面的な関係にすぎなかった。




 一通りの対策確認を終えて、思い思いに寛ぐ。

 ふ、と。目前の美しい顔を見ていて、考えるより先に言葉を口に出していた。


「名前は三殿下から。顔は先代陛下に瓜二つ、か」

 その時、親友の顔が変わった。だがそれはほんの一瞬のことで、すぐに平常の表情に戻る。

 彼はいつもの声で一言、そうだな、と言った。

 ちらりとウェルナーを見る。彼は友人に見えないようにそっと人差し指を口の前に立てた。





 どうやら親友は、自分の名も顔も嫌悪しているらしい。


いつもお読み下さりありがとうございます。


今話も暗めなので、お口直しを載せます。

お読みにならなくても、本編に影響はありません。


☆おまけ小話・議題は妹たちの恋☆

(クリズウィッドのお話。今話の続き)


「それにしても、シンシア殿のデビューがうまく済んで良かった」

ウェルナーが雰囲気を変えようとクラウスの妹の話を出した。この男は見た目に反してシスコンだ。今も途端に表情が柔らかくなった。


「本当に昨日はよく頑張った。初めて会った頃はウラジミールを亡くしたばかりだったこともあって、かなり暗くてな。私の身を案じてばかりいるのに、一緒に王宮へと誘っても断固拒否だったものだ。それがあんなにたくましくなって」


感激に胸を熱くしている様子のクラウスに、一応

「女性に『たくましい』は喜ばないと思う」

と告げる。

そうか、と素直にうなずくクラウス。

「立派になって」

と言い直した。ウェルナーが吹き出す。

「目線が親だぞ」

「悪いのか」とクラウス。

「悪くはないが、お前のイメージではない」とウェルナー。

「そうだな」と私も同調する。


クラウスは私たちや妹たち以外の人間の前では、感情をあまり顔に出さない。整い過ぎている美貌であるぶん、酷く冷淡な印象を与えるのだ。


「だが彼女がよく頑張ったのは事実だな」とウェルナー。

「だろう?」と嬉しそうなクラウス。

「ドレス姿もなかなか良かった。彼女の雰囲気をうまく活かしていたな。素晴らしいセンスだ」

私がそう言うとクラウスは、

「秘密だが、あれは全てアレンの見立てだ」

と言った。

「アレン? 従者の?」

「そう。あいつは芸術方面に秀でているようだ。私の服を毎日用意しているのもあいつだしな」

「なぜ秘密なんだ?」とウェルナー。

「さあ? シンシアを意識してのことならいいのだが」とクラウス。


この男は妹が従者に恋しているのを、全面的に応援しているらしい。身分差を気にしないようだ。


「そういえば」ウェルナーが珍しくにやりとした。「そちらの妹君はついに進展しましたね」

「クラウディアか」思わずため息をつく。「あんな子供に手を出すから厄介なことになるのだ」

「だがルクレツィアに近づけないためだったんだ。無策のお前より結果を出した」とクラウス。

「そうかもしれないが」

「案外似合いかもしれないぞ」

「クラウディア殿下の歴代の恋人にはいないタイプですよね」

「それは分からないが」とクラウス。「弟は意外にも一途だ」

「そうか? 評判の悪いやつだ」

「だが夏からこっち、クラウディア以外と噂になっていない」

「そういえば……そうか」

「特に最近は、彼女に本気になってもらおうと必死ですからね」

ウェルナーが言い募る。

「昨晩から今朝まで、クラウディアは弟に付き添っていたようだぞ」とクラウス。

「は!? 聞いてないぞ」

「そうか? 侍従侍女の間では今朝のトップニュースらしいが」とクラウス。

「そういう優しさが殿下の素敵なところですよ」とウェルナー。

「悪ガキだって骨抜きになる」としたり顔でうなずくクラウス。

「クラウディア殿下は姉御肌ですからね。年下の悪ガキがちょうどいいのかも」

「同意」


「いや、私は反対だ!」

声を上げるとクラウス、ウェルナー、二人の冷ややかな目が向けられた。

「あなたは誰が相手だろうと」とウェルナー。

「妹たちの恋に反対ではないか」とクラウス。

「「シスコンめ」」二人の声が揃った。

「それはクラウスだ!」と言い返す。

「クリズウィッドだ!」と反撃される。


「両名ともですよ」

涼しい顔で言ってのけたウェルナーを、じとりと見る。


「ずるいぞ」とクラウス。「なぜお前の妹はもう嫁に出ている」

「子供みたいな言いがかりだな」とウェルナーが吹き出した。


……良かった、先にクラウスが言ってくれて。

自分も同じことを口にしようとしていたことは棚に上げ。

「そういう発言をするあたりが、シスコンたる所以だな」

と済まし顔で言ってやった。


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