40・2違うから
「何のために?」
だいぶ経ってから、リヒターはそう尋ねた。
「お前にはキツイぞ、多分」
優しい声だ。私を気遣ってくれているのだろう。
「覚悟はしてるよ。私と私の大事な人たちを守るためなんだ」
「……どういうことだ」
「リヒターのことは信用している。だけど私のことじゃないから、話せない」
「お前を守るためなのに?」
「うん」
リヒターが目前まで近づいてきた。体にそっと腕を回される。
え? え? え?
何?
泣いていないときにこんなことをされるのははじめてだ。
リヒターは何も言わない。
私は彼の肩しか見えない。
強く抱きしめられている訳でもない。
頭は混乱。
心臓は爆発しそう。
どれほどの時間が経ったのか。
突然。
「ねえ! まだ? 待ちくたびれてんだけど!」
と高い声がした。リヒターが離れる。
「お前、いつからそこにいんだよ」
尋ねるリヒター。普段通りの声だ。私は心臓がバクバクしているのに! とても顔を見られない。
「『守る』話! 早くキスしなよ! 兄ちゃん意気地無しだな!」
「っ! ちげえよ! そんなんじゃねえ!」
『そんなんじゃない』
そろりと声の方を見ると、隣の建物の屋上から少年がこちらを見ていた。
「うわあ、姉ちゃん美人! あ、俺のことは気にしないで! こっそり見てるだけだから。遠慮なく続きをやってくれよ!」
いたずらげな顔をして、にたりと笑う。
「ちげえって! マセガキ!」とリヒター。
「ここに来る恋人たちはみんなやるよ。穴場だからな。その洗濯物の影がちょうどいいぜ!」と少年。
「ちげえ!」とリヒター。
「だって兄ちゃんだってキスとか、もっとすごいことするために連れ込んだんだろ?」
「ちげえってば! 引っ込んでろ!」
行こう、と歩き出すリヒター。すごい早足だ。慌てて後を追う。
なんとなく隣に並びづらくて半歩後ろを歩く。
「……違うからな。重そうな仕事だと思ったから、あそこを選んだだけたから」
「……うん」
じゃあ、さっきのは?
「……お前がまた泣きそうに見えたから。それだけだかんな。ガキの言うことを真に受けんなよ」
「……うん。私、そんな顔をしていた?」
「……してた」
そうか。覚悟をしてるつもりでも、やっぱり父親の犯罪を直視するのは心の奥底では辛いのかな。
……そうか。いつもみたく気遣ってくれただけか。
そりゃそうだよね。
「いつもありがとう」
ああと低い声で返事が帰ってくる。それから今日何度目かもわからないため息。
「で? こっちの件はいつまでだ?」
切り替えが早い!
私の心臓はまだ正常じゃないのに。
本当にリヒターにとっては何でもないことなのだろう。
「えっと、期限はないけど、早いほうがいい。できれば書面で。私は口頭じゃ覚えられないよ」
「了解。だけど一個だけ」
「なあに?」
「まずいことになったらちゃんと教えろ」
リヒターの見えない顔を見上げる。わずかに見える美しい鼻の稜線。
「助ける料、踏んだくってやるからな」
「うん!」
優しいね、とは言わずに半歩進んで隣に並んだ。




