3・2長所
教会に着くとリヒターは先週と同じように、寝てると言って一人で中に入って行った。子供たちは彼が怖いのか、近寄らない。
私はいつも通り遊び、教え、過ごした。
今までと違ってここへ来る道中に不安がないのって、いいなあと思いながら。
◇◇
帰る時間となり教会に入ると、リヒターは先週と同じように参列席に上手いこと横になっていた。よく落ちないなと感心して見ていると、もぞもぞっとして起き上がる。まったく前回と一緒だ。
「寝てるの? 寝てないの?」
「寝てる」かすれ声。「お前は存在が騒々しいから目が覚める」
「なにそれ!? 静かにしてるよね!?」
足音だってたてないよう気を使っているのに。
「町娘よりうるさい」
「……本当?」
リヒターは吹き出した。立ち上がると、行くぞと言って歩き出す。
「ねえ。顔は見せてくれないのよね?」
「公爵令嬢に見せられる御面相じゃねえ」
「じゃあ年は?」
扉をくぐると、ロレンツォ神父が立っていた。
「リヒターさん」
「なんだ」
「アンヌローザ様の護衛をして下さるとのこと。ありがとうございます」
「金さえ払ってくれればな」
神父の表情が少しだけ動いた。
「俺を浅ましいって思うんなら、自分でこいつを出迎えに行ってやれよ」
リヒターは返事を待たずに、じゃあなと言って歩き出す。
私は神父に頭を下げ、後を追った。
ついてくる子供たちがいなくなるのを待って、
「ロレンツォ神父様が嫌いなの? それとも教会が嫌いなの?」
と尋ねた。
「ああいう自分は間違っていないって思い込んで高みから見下ろしてる奴が嫌いだ。ヘドが出る」
「だけど少ない資金で孤児院を一生懸命運営しているのよ」
「だから施してもらって当然、ってのはおかしいだろうが」
「感謝してくれてる」
「感謝じゃ命は守れねえ」
リヒターの見えない顔を見上げる。
確かにそうだ。そうだけど……。
なんだかモヤモヤする。
「三十」とリヒター。
「……何が?」
「年」
ああ。教会を出る前の話か。
「案外いい年なんだね。もっと若いかと思った」
「悪かったな、年寄りで」
「声が若いよね。いい声してるよ」
「そうかい」
うん、そうだ。私は彼の声質が好みなんだ。だから信用できると思ったのかな。やや低く深みのある声。
教会のある治安が少し悪い区画を抜けて、大聖堂前の広場に出る。行き交う人や馬を避けながら、『あの公爵が……』なんて会話が耳に入った。
「リヒターって町の噂に詳しい?」
「まあまあな」
「フェルグラートの新当主は?」
「今話題沸騰中の奴だろ」
「うん。何か知ってる?」
「へえ」声に揶揄を感じる。「お嬢様はイケメン好きか」
「イケメンは好きだけど、理由は違う」
正直だなとリヒターは笑う。
「修道僧だったって話だ」
それは知ってる。
「で、還俗して帰ってくるのに、仲間と護衛を引き連れてきた」
「仲間と護衛?」
「公爵家の下働きが出所の話なんだかな。僧侶仲間を一人、厳つい騎士を二人だってよ」
なんだそれは。
「年齢はバラバラだけど、どれもいい男らしいぜ。公爵家の小間使いから台所女まで舞い上がってるってよ」
「……へえ」
攻略対象だから? 周りもいい男揃いなのかな?
「あの男はやめときな」
「どうして?」
「ラムゼトゥールとは因縁がある」
「知ってる」
リヒターは一瞬チラリと私に顔を向けた。
「私も恨まれてるかな」
「そんなことまで俺が知るか」
いい匂いがただよってくる。軽食が食べられるバルからだ。町の人たちで賑わっている。一度入ってみたいんだよね。一人だと勇気が出なかったんだけど、リヒターが一緒なら入れるかな。
もう少ししたら、頼んでみよう。
「明後日その新当主を招待した舞踏会が王宮であるの」
「お貴族様は優雅だな」
「……初めて婚約者にエスコートされるんだ」
「第二王子だっけ?」
そうとうなずく。話したことはないはずだから、市井にも知れ渡っているということか。クリズウィッドは王子だもんね。
「その王子様はお前がこんなことをしてるって知ってんのか?」
「まさか。リリー以外、誰も知らないよ」
ふうん、とリヒター。
「……ちょっと緊張してるの」
「なんで」
「家族以外にエスコートされるのは初めてだし。殿下とは長い付き合いだけど、なんというか……」
うまく言葉にできない。
「うーん。もぞもぞする?」
「なんだそりゃ」
「……婚約してから挨拶で手にキスするようになったの。なんだかそういうのが、慣れたんだけど、もぞもぞする」
「へえ?」
リヒターは足を止めて私を見た。
「王子が急に『男』を出してきたんで戸惑ってんのか」
揶揄に満ちた声。
「違うよ」
「違うのか? ガキのお嬢ちゃん。王子は男前なんだろ? ドキドキしねえのかよ」
「しないよ、もぞもぞだよ」
クリズウィッドはルクレツィアと親しくなってから知り合った。年も離れているし、お兄さんって感じだ。ゲームを考えなきゃ政略結婚の相手として嫌じゃない。むしろ父様が選んだにしては良い相手と思う。
だけどそれだけ。
「ガキ」
でもリヒターの言う通りなのかもしれない。確かに婚約以降、クリズウィッドに特別な女性かのような扱いを受けていて、それは兄ではなく恋人がするものだ。
「……やっぱり、違わないのかな?」
「お前の長所は素直なとこだな。ま、いいんじゃねえの、緊張してるほうが」
「なんで?」
「王子がどんな奴かは知らねえけど、普通の男だったら、緊張してるほうが男として意識されてるって喜ぶだろ」
「そんなもの?」
「お前、ガキくせえけど美人だからな」
「……喜んでいいのか怒っていいのかわからない」
リヒターは、ほんと変な奴、と呟いた。




