料亭
1927年6月2日
(帰りてェ・・・)
別府造船所社長、来島義男は陰鬱な表情を浮かべながら思った。
義男はこの日、東京は赤坂のとある料亭にやってきていた。久原に呼ばれてからおおよそ1ヶ月も経過したのは、久原が会わせたいと言っていた件の人物達のスケジュールの調整が必要だったからだ。流石に、義男もこの時代の一般庶民から見たらお偉いさんである。である以上、やはりスケジュールに縛られざるを得なかった。
旧華族や大企業のオーナー一家のドロドロとした物語などのドラマのワンシーンには必ずと言って良いほどホテルのレストランか、そうでなければ料亭が登場する。なぜか?・・・もちろんステイタスとかそいうのもあるが、一番の理由は絶対に秘密を守ってくれるから。
何年か前に、「なんで話し合いに料亭を使うんだ!経費の無駄だろ!居酒屋でやれ!」と、時の首相に啖呵を切った人がいるが、残念ながらその人は、見識がいささか不足しているとしか言いようがない。政治家が自宅で外交とかの秘密の問題を話し合おうと集まろう物ならば、「俺達、密談しようとしているからね!」と言わんばかりの行動である。それをブンヤにでも見つかろうものなら、次の日の朝刊には「大物政治家集まる!密談か!」とかなんか三流の週刊誌みたいな記事がでかでかと載るのである。
まぁ、先に言った人みたいに居酒屋でやったとして「あ?周りが五月蠅くて聞こえないんだよ!」とかいう政治家同士の怒鳴り声が聞けるかも知れない。それはそれで面白いが、残念ながらそんなところで密談していても成功するとは思えない。というか秘密もへったくれもないのだ。「大丈夫かよ・・・」と不安に思わざるを得ない。
「さぁ、行きましょう。件の方々は既に到着されているでしょうし」
料亭を見つめていた義男を一人の男がせかした。久原房之助である。久原財閥(後の日本産業)の総帥である。義男と同じく第一次大戦の時流に乗り、久原鉱業を日本屈指の大企業に育て、さらに多角化経営を推し進めるなど新興財閥の中心的存在であった。後に、義兄の鮎川義介に企業経営の面を全て譲り、自らは政治家へと転身。逓信大臣などを歴任し、政界の惑星とまで呼ばれた人物である。
しかしこの人、どうも社会主義にかぶれていた節がある上に、「俺はすごい!」と思い込んでいたらしく、「政党を全部一つに纏めて、かつそれを自分が率いる」という考えをもっていたらしい。どう考えても一党独裁である。ちなみに、戦後には国境の垣根を取っ払い、巨大な一つの連邦国家を作ろうとか言う『アジア合衆国論』などをぶち上げている。他にも、孫文に寄付をしたり、けざわさんとも会談をしたりと、中国とも親しい関係を持っていた。
226事件にも関わっており、鈴木内閣や若槻内閣の倒閣の首謀者だったも言われており、謀略家としての側面をももつ。はっきり言って義男では太刀打ちできないクラスである。
女将さんから廊下の先にある一つの部屋に通されると、そこには、数人の人物が既に席に着いていた。
「やぁ、遅くなって申し訳ございません」
「気にすることはありません。さぁ、座ってください」
久原と義男が頭を下げようとするのを、上座に座っていた老人が制し、席を勧める。
義男達はいそいそと席に座った。
(マジかよ・・・)
義男は目の前に座っている人物達を見て血の気が引いた。そこには久原房之助の他に、東洋汽船社長の浅野総一郎、三井財閥のトップである團琢磨、安田財閥の大番頭である結城豊太郎。中央には、大蔵大臣を歴任し、関東大震災においてモラトリアムを断行させるなど辣腕をふるうなどし、その活躍ぶりから第二の「渋沢」とまで称された巨星、井上準之助。
井上
結城 團
久原 浅野
義男
・・・席を表したら大体こんな感じである。
義男の顔が真っ青になるのも無理はない。
席に座った義男は猛烈に困惑していた。
(え?何?俺なんでこんな所にいるの!?何か悪いことしたっけ!?いやいやいやいや、ちょっと可笑しいんじゃなぁい!?)
まだ梅雨に入ったばかり、それも夜で気温が低いにもかかわらず、義男の背中は既にびっしょりと濡れていた。それが冷や汗であることは言うまでもない。
だが、彼が困惑するのも無理はない。なにしろ、現在の日本経済の頂点とも言うべき存在達が目の前にいるのだ。それも、自分と話をするために。しかも、やや落ち着いたとはいえ大手銀行が次々潰れるような不況のまっただ中で・・・どう考えても碌なことにはならないだろう。
そんな感じで義男がパニクっていると、井上が静かに口を開いた。
「こうして会うのは初めてですね?」
「・・・はい、先生が主催なさる講演などに出席させていただきましたが、直接お話しする機会は・・・」
年甲斐もなく、義男は固くなりながら応えた。一応言っておくが、こいつはもう四十過ぎである。オッサンである。
「なるほど。だが、そう固くなる必要はありません。もっと楽にしてください」
「では、お言葉に甘えまして・・・」
そう言った物の、義男は全く安心することも気を抜くこともできなかった。ちょっとでもこの人達の機嫌を損ねたら自分と自分の会社は終わる・・・そう思わずにはいられなかった。なので、注がれた酒を飲んでも全く呑んだような感覚が無く、只苦い味しかしなかったし、全然楽しくもなかった。別にこの手の料亭で商談をすると言うことは義男にとって初めてというわけではなかったし、それなりに食事も楽しめた。だが、今回は全く次元が違っていた。
「ところで、最近来島さんはかなり頑張っているそうですね?」
「・・・そうでしょうか?確かにいくつか地元の企業さんを買収させて頂きましたが・・・」
「いやいや、地域の会社はその地方の経済基盤です。彼らが崩壊すれば、その地方の経済は一気に暗転する物です。」
「ありがとうございます。」
井上の言葉に義男は頭を下げた。
「それから、海運業にも精を出していますな。」
團が言った。
「東南アジア航路を新たに開いたそうですね?」
「ええ、本邦からバンコク方面への定期直通便はありませんでしたから・・・」
「ご存じかと思いますが、私どももバンコクに支店を出しておりましてな。お陰で、船便の調達が楽になりましたよ」
團の言った言葉は事実だった。三井物産は1910年代には既にバンコクに出張所を設けており、大戦中に営業所へと格上げしていた。で、タイ~日本間の貿易を主に担当していたのだが、まだこの時期にはバンコクへの定期船便は存在していなかった。それができるのは、史実ならば1928年の大阪商船によるものだった。それ以前は海外船舶に頼らざるを得なかった。三井が自社船を用いてバンコクへの直行便を整備するのは1933年まで待たねばならなかった。
「それは・・・今後とも弊社の船をご贔屓にいただければ幸いです」
「まぁ、そちらの方は考えておきましょう・・・時に、これから別府さんは、もっと航路を広げたいとお思いで?」
義男は少しためらってから口を開いた。何しろ目の前には、既に南北米航路を有する海運大手の社長である浅野がいるのだから。下手なことは口には出せない。だから、どうしても抽象的にならざるを得なかった。
「・・・・・・そうですな。できれば、いつかは世界中に弊社の船を走り回らせたいですね。」
「アメリカにも・・・ですか?」
浅野が試すような口ぶりで尋ねた。
「・・・いつかは・・・ですね。ですが、十年後になるか二十年後になるか・・・下手をすれば私が死んでからになるかも知れません。ですが、男ですから、夢は大きく持たないと」
「なるほど、それは言えてますね。男は夢を大きく・・・これは若者の特権ですからな」
「若者とは・・・少し嬉しいですな。といっても、構想すら立ててもおりませんがね・・・」
笑顔を浮かべる浅野に義男は思わず苦笑いを浮かべながら言ったが、これは嘘である。すでに別府汽船では将来的な航路の開設も本格的に計画されていた。もちろん、北米航路もそのひとつであった。義男達はロサンゼルス~上海航路を計画していた。
「ふむ・・・ならば話は早いほうが良い。来島さん、実に耳寄りな情報があるのですが、如何ですかな?」
井上が義男の方を向いた。
気がつけば、浅野もこちらの方を向けて神妙な顔をしている。
「南北両アメリカ航路に、興味はございませんか?」
井上が言った瞬間、ゾクリと背筋に冷たい物が走った。分かってしまった。義男は自分がなぜここに呼ばれたのかを・・・しかし、それを言葉に出すことはできなかった。
「と、申しますと?」
義男は震えそうになる中で喉の奥から無理矢理絞り出して尋ねたが、井上は何でもないように言った。
「正確には、サンフランシスコ航路および、南米西岸航路・・・この二つの命令航路を別府さんに買って戴きたいのですよ。いまなら、船も付いてきます」
「・・・それは、まさかウチと東洋汽船さんと合併しろと言うことでしょうか?」
「そのまさかです。正確には、客船部門ですがね」
「私は長年サンフランシスコ航路の世話をしてきました。しかし、善次郎さんも亡くなってしまい、それを維持することは難しくなりました。それで、手放すことになったのですよ。」
浅野はしみじみとそう言ったが、義男としてはとんでもないことであった。太平洋航路への進出というのは確かに魅力的な提案であった。だが、採算が取れる路線とは思えなかった。実際、東洋汽船が太平洋航路で得た利益のおおよそ三割が国からの補助金で、収入は意外と低かったのだ。おまけにこの時期になると、新型の船を多数整備したアメリカやカナダの船会社に積み荷や客を取られてしまっており、辛うじてメインバンクである安田銀行などからの借入金で会社を運転しているという有様だった。
史実では東洋汽船客船部門は1926年に日本郵船と合併している筈であったのだが、どうやらこの世界では合併は断念されたようだった。元々、この合併はサンフランシスコ航路の損失を恐れた渋沢などの経済界の重鎮が主導した物で、採算に合わないことを理解している日本郵船としてはあまり乗り気ではなかった。実際、合併に積極的であった当時の社長である白仁もそれを認めている。
また、この時期は丁度海運業そのものが沈滞していた時期であり、日本郵船としても関東大震災での被害などもあり、経営難に陥っていた。そのため、近海部門を切り離して、近海郵船という会社を新たに作るなど経営の合理化を推し進めていた。そんな時期に、大企業と合併できる余裕など日本郵船にはなかったし、株主達もこの合併話には猛反発していた。
ちなみに、義男は前世では軍ヲタであり、浅間丸が特設輸送船として徴用されたことは知っていたが、浅間丸が誕生する切っ掛けとなった海運会社の合併話など興味はなかった。東洋汽船と日本郵船の合併話もまた噂レベルでしか知らなかった。
「しかし、弊社のような駆けだしではなく、山下汽船さんや大阪商船さん、それに日本郵船さんがいらっしゃるではないですか!」
「日本郵船とも大阪商船も話を断ったのですよ。とてもじゃないが無理だとね」
浅野は憮然としたような表情を浮かべた。
「しかし、浅野さんもこれ以上の航路維持はできない。それに、私どもとしましてもこれ以上の負債を抱え込ませるわけにはいけません」
結城は続けた。
「山下、日本郵船、大阪商船といった海運大手はいずれもその余裕はない。しかし聞けば、別府汽船さんは新たな海外航路を手に入れようと努力なさっている。それに、幾分か余裕もあるご様子」
「私の所はそんな余裕は残念ながら・・・」
「おや、アメリカでの為替取引でかなり儲けを上げているようですね。うちのニューヨーク支店から聞いた噂話ですが、かなり有名になられているようですが?」
團が意地悪そうな表情を浮かべながら尋ねた。
義男は(気付いてやがった・・・)と内心舌を打ったが、どう考えてもばれるような取引をしているお前が悪い。
「・・・確かに私は、海外の銀行さんや商社さんと取引させて戴いておりますが、そこまで余裕があるわけでもございません。それに、採算が取れない以上、これ以上私どもとしましても負債を抱えるわけには・・・」
「おや、そんなことを考えていたのですか。その心配はご無用です。確かに問うよう汽船さんほどの大企業の買収には先立つものが必要であることは私としても理解しております。そこで、私どもが別府さんに融資するという形を取るというのは如何ですかな?」
「な・・・」
義男は思わず口をぱくぱくさせたが、團は続けた
「勿論、相応の担保と期限を設けさせて戴きます。何、別府さんほどの大手ならば、十分に耐えうることができるでしょう・・・」
「勿論、必要とあれば私ども融資をさせて戴きますよ?」
團に続いて結城も言った。
「・・・」
義男はなんとか言葉を返そうと、ない頭を振り絞って考えようとしたが、大学は出てない上に、江田島には落ちるわといった感じのレベルでしかない極楽トンボな義男に対し、彼らの多くはきちんと勉学に励み、大学を出て、そして銀行業や商売に励んだりし、世間に揉まれつつもそれぞれの地位を獲得した逸材達ばかりだった。比べる方が可笑しい。
そして、駄目押しとも言うべきか、井上が義男の方に向き直って言った。
「確かに、一代で財をなした貴方でもこの買収は厳しいでしょう。しかし、サンフランシスコ航路は国家にとって最も重要な航路の一つなのです。ここから撤退することは帝国の国益を大きく損なう物なのですよ。国を思うのなら、是非とも買って戴きたい。勿論、見返りも提供しましょう。・・・そうですな、貴族院議員の席など、如何でしょう?」
「私からも、是非、お願いしたい」
そういうと、今度は浅野が頭を下げた。
義男はこの場で「断る」という言うことはできなかった。ここで断れば、三井や安田と本格的にやり合わねばならなくなるだろう。浅野や井上のメンツも潰す。かといって赤字路線である航路をもらったとしてもはっきり言って維持できるかどうかも怪しいのだ。しかし、国家の重鎮からの直接の依頼であること。見返りとしての政治への道筋・・・こうした魅力的な提案に義男は迷わざるを得なかった。そして義男は暫く考えた後、重々しく口を開いた
「・・・今すぐここで答えを出すわけにはいきません。一度、会社の会議にかけますので宜しいでしょうか?」
「もちろんです。それと、お分かりと思いますが、今回の話はあくまで内々の物ということをご理解ください」
團はそう言ったが、向かいに座っている結城や井上は一様にニヤリと笑っていたが、それを義男が理解するわけがなかった。
・・・義男が宿泊をキャンセルして慌てて大阪行きの夜汽車に乗るべく走っている頃、井上らは宿泊予定のホテルのバーにてスコッチ片手に談笑を始めた。
「・・・上手くいきましたな」
久原が言った
「ええ、しかし良くここまで維持できた物ですな。アレではまるで子供です」
「それだけ、商売上手だったと言うべきでしょうかな?何しろ彼はウォール街でもその名は知られつつある」
「そうですな。金を集める腕はあの鈴木の高畑さんに匹敵するでしょうな」
「しかし、同時に彼は手を出してはいけない物に手を出したエデンの知恵の実・・・」
「あれは劇薬でもある。軽々しく手を出して良い物ではない」
「幸いと言うべきは、まだ造船所などは抵当には入れてはいないと言うことでしょうね。私どもの調べでは、自らの稼いだ資金や有価証券に集中しているようです。生産設備や不動産だけでも十分な担保にはなり得るようですが・・・」
「あそこは既に規模が大きい上に、設備も揃っている。技術も持っている。あれが海外の資本に支配されることこそまさに国益を損ねます」
「一番良いのは、例の合同計画に組み込んでしまうことだが・・・」
「それは、別府さんが倒産してからでしょう。目下の問題は、かの御仁がトチ狂って海外に身売りをすることを避けること、同時に、北米航路を維持すること。両方やらねばならないところが辛いところでしょうが・・・」
結城が溜息をついた
「だからこその私どもの融資であり、議員の席とも言えるでしょうね」
「しかし、万が一、彼が断ったら如何いたします?」
「彼は断れんませんよ・・・それに、既に手も打ってある。・・・秘密はどこからともなくばれる物なのですよ。ただ、早いか遅いかだけの違いです。」
スコッチをなめていた團が静かに笑った
「・・・いずれにせよ、日本郵船が立ち直るまで、別府さんには支えてもらわねば・・・」
井上の言葉に全員が同意した。ここにいる誰もが、義男が北米航路を維持できるはずがないと踏んでいた。ノウハウもなければ、資金的にも苦しい。そんな会社である以上、維持できるのもせいぜい数年程度だ。しかし、それは日本郵船を立ち直らせるにも、株主を説得して回るにも十分な時間であるように彼らには思えた。アメリカ経済は実体経済こそ少しずつ悪くなっていたが、それでもいまだに株価は上がり続けていた。井上は、アダムスミスの市場経済理論の下に長期的視野に立った経済の立て直しを図ろうと考えていた。しかし、その考えが崩壊することなど、ここにいる誰もが知っているはずもなかった。
只一人、彼らが無茶な注文をしたせいで夜汽車の中でウンウン唸っている男だけが、そのことを知っていたのだが、それはあくまで蛇足であろう。
皆様こんばんは
今回は、義男が偉い人々に航路と船を押し売りされるの巻です。・・・文章量の割に詰め込みすぎました。次回から気をつけます。
本文中にもあります通り、史実では、東洋汽船は1926年に日本郵船によって客船部門を買収させられています。おかげで、浅間丸ができたわけですが・・・
元々合併話は、関東大震災以前からあったようなのですが、震災でおじゃんになってしまいました。それで、情勢も落ち着いたと言うことで、再度の合併話が持ち上がり、国の介入もあってなんとかなったわけですが、今回はそれが義男に押しつけられてしまいました。しかも、財閥系銀行からの融資の押し売りや政治家への話までされるなど、取り敢えずたくさんプレゼントがあります。やったね!財閥の皆様から頑張ってねって激励されたよ!(白目)
・・・大体そんな感じで、この手の話が暫く続きそうです。
次回は、家族とか会社の人間達と対応を話し合うことになりそうです。
ありがとうございました。




