指針
1922年3月30日 別府造船所 会議室
「参ったな・・・」
「どうしましょ?」
義男は会議の席上で他の社員達と頭を抱えていた。
この日、別府造船所では今後の経営指針についての議論が交わされていた。現在、別府造船所ではコンテナの開発実験を繰り返していた。一応コンテナの売り込み自体は、鉄道院や九州各地の私鉄各社と交渉を行っているが・・・鉄道院以外からはあまり色よい返事をもらってはいない。まぁ、九州・・・特に北部の鉄道網は石炭などを輸送するのが多かったため、コンテナ輸送になじみがなかったり、あるいは現状ので十分であると考えられていたからだ。一方の鉄道院は元々宗谷丸や興安丸などに代表されるような汽船などを整備していた関係から、荷揚げと陸上輸送を一体化できるコンテナの存在に興味を示しており、現在別府造船や大神鉄道などで行われているコンテナ輸送と従来の輸送との比較実験に参加している状態であるが、しばらくしたらおそらく本採用が決まるであろうと予想されていた。それに備えて、別府グループは数年前から東京営業所の整備などに全力を尽くしており、別府汽船はコンテナ輸送の実験を繰り返し、別府造船では九州方面向けのコンテナの量産体制を整える準備に追われていたし、神戸製鋼所もまた西日本方面およびフォッサマグナの向こう側・・・東日本方面への出荷体制を整えるのにテンテコ舞になっていた。
しかし一方で、一つのことだけに集中し続けることは危険であった。企業というものは規模によって主力商品の数というものは大きく変わっていく。例えば世界的な自動車メーカーでもいくつものモデルや種類の車を出し、様々な層の消費者より利益を上げるようにしている。たった一つのモデルにかけるというものは中小零細企業ならばともかく、大企業がたった一つの商品を目玉商品として売り込むのはありであったとしても、全てを賭けるということは非常に危険なことなのである。コケたときのリカバリーができないからだ。それはいつの時代でも同じである。尤も、場合にもよるが・・・
ましてや、コンテナなんてモノはまだこの時代の日本ではそこまで定着したモノでもない。新商品とはなかなか売れるような物ではないのだ。「そこを上手く売り込むのが営業の腕の見せ所だ!」と言うかもしれないが、欲しくもない・・・あるいは得体の知れないモノをホイホイ買ってくれるほど、消費者というのは甘い者ではない。
ただでさえ別府グループは身の丈以上の供給者になってしまったのだ。現在は社の内部留保や義男たちによる投資、そして先日の鉄相場での儲けによってある程度の利益を得ているため十分な施設の維持が出来ているが、それとていつまでも続くわけではない。現に、ワシントン海軍軍縮条約の締結は造船需要の大幅な低下を引き起こしつつある。このまま現在の社の資産でそれが維持できるのか?膨大なリストラは出さねばならないだろう・・・
それはできれば避けたかった。従業員の人生云々以上に、別府造船所が抱えているのは海外のトップクラスの技術者に加えて、日本では・・・それどころか世界でもまだそれほど一般化していない溶接技術を扱うことができる溶接のプロフェッショナルの工員たちなのだ。彼らの流出は防がねばならない。いずれ競合他社が溶接を行うようになろうがなるまいが、彼らからリードをとるためにも。現状の別府造船に彼らを手放せる余裕などどこにもない。それが失敗したら下手すりゃ二束三文で同業他社・・・三菱重工や川崎に売っ払って子会社などになりかねない。いや、それだけならいい。最悪「倒産」するかも・・・?
それがわかっているからこそ、別府造船所の上層部は必死にもなる。コンテナ計画をリカバリーすべく、別府造船は他のものにも手を出そうとしていた。義男としてはリゾートなどの開発にも手を出していくべきではないかという提案を行ったが、重役達からこの不景気で人なんかなかなかくるわけないし、自分たちにはそのノウハウがない。別府の有力者との協力もあれば出来るだろうが、まだやるには早すぎるという声が上がったこともあって結局、義男の提案は蹴られることとなった。
で、もう一つ考えられたプランがそれは造船会社の本業たる造船であった。別府造船所は一応鉄道院から鉄道運搬船を受注したり、瀬戸内海の自治体から小型フェリーの受注を受けていたが、それは繋ぎにこそなれ、十分であるとはいえない。と言うことで考えられた案が別府汽船の業務拡大であった。別府汽船は現在、小型フェリーを用いた姫島~国東間の人員輸送と、神戸製鋼所などからの鉄材を日出に輸送する業務に携わっていた。だが、大戦終了に伴う独海軍の大量リストラなどによって船員なども一通りそろいつつあることから、業務拡大も十分可能と判断された。その内容は、貨客船を用いた新航路の設定。である。
現在会議は、それについての議論が重ねられていた。そして、今のところ3段階に分かれた基本案が出来つつあった。尤も、それは別府汽船の創設期より考えられていたことをたたき台に発展させていったことであったが・・・
第一期:国内航路・・・主に、別府~大阪間航路の小型貨客船の運用。紅丸を擁する大阪商船と競合すると想定され、サービスなどで差別化を図る必要性がある。
第二期:国内および国際航路・・・タイや大連、厦門などと博多などとを結ぶ航路の開設。および、大戦の結果、日本が新たに獲得した南洋諸島・・・主にサイパンやパラオなどと日本本土を結ぶ航路の開設と、外洋航海に耐えうる客船の建造。
第三期:長距離国際航路・・・大型貨客船を建造し、欧州~上海間航路に参入する。最低3万トンクラスの客船を数隻整備する必要がある。ただし、これはあくまで未だ試案の段階でしかないため、未確定ではある。
以上のことを1923年より着手し、10年かけてこれら客船群および航路を整備する。
と言ったものである。結構むちゃくちゃな物であるといえるかもしれない。だが、第三期はともかく、第二期計画までは、元々考えられていたものであるし、それほど問題ではなってはいなかった。
だが、別府造船にはまだ問題があった。それも根本的なものが・・・義男達は現在それで頭を抱えていた。
「で、どうしましょうか?」
「どうするもこうするも・・・研究するしかないだろ?」
副社長になった細川に義男が答えた。
「ですが、どうやってです?独からの造船技術者は戦艦などの軍艦建造がメインでしたし」
「そもそも大型客船の建造経験もってる造船所なんて国内では・・・」
「彼処くらいだよなぁ・・・」
義男はため息をついた。
日本という国はまだまだ発展途上の工業国だ。今や戦艦まで造れる造船大国であると言っても未熟な面は多い。客船がその典型例であろう。特に、1万トンクラスの客船を建造した経験を有している造船所など日本ではただ一つ、三菱長崎造船所だけである。そこでは東洋汽船の天洋丸型貨客船(13000トンクラス)の建造を経験している。それだけではなく、T型標準貨物船などの優秀船の建造経験も豊富であり、まさに川崎神戸造船所と並んで日本を代表する造船会社であった。だが、長崎造船所は別府造船とは言うまでもなく商売敵である。そうホイホイと客船建造のノウハウを教えてくれるとは思えなかった。(その割にはマッケンゼンがやってきたときには興味深そうに視察のために多くの技術者がやってきたようだが)
一応別府造船所も鉄道院の発注した2000トン級の鉄道運搬船に限定的ながら客船としての設備を付与させるつもりではあるが、それでもまだ不安ではあった。
「じゃぁ、また海外に人をやるしかないと言うことかな?」
「それしかないでしょう。ファーターラント号の設計図があるとは言っても、設計図があることとノウハウがあることにはつながりませんからね」
ため息をつく義男に黒田が言った。
なお、義男はちらっと宮部の方を向いたが、直ぐにまた元に視線を戻した。別に宮部の背後からおどろおどろしいオーラっぽい物が出ていたからではない。
「とりあえず第一期の小型貨客船ならば400トン級で十分という試算が出ました。」
経理部長の榊原がのんびりした口調で言った。
「400トン・・・これならまだ設計は可能だな?」
「ええ。しかし、数千トンクラスとなりますとまた勝手も違ってきます。ですが、そいつを造ってしまえば後はそれを踏襲して設計できます。」
「確かに。」
「・・・つまり、船員としての意味でも第一期計画は順調と言うことだね?」
「その通りです。まだ相互のコミュニケーションが十分ではありませんが・・・それも徐々に出来つつあります。」
人事部長の一色の言葉に義男は満足そうに頷いた。
「よろしい。では、今後の第二期の中型貨客船の設計は試案を作りつつ、航路の設定準備にかかって欲しい。南方航路の開設は急務だ。うかうかしていたら、他社さんにとられてしまうからな」
「了解しました。」
黒田と榊原、そして後藤が承諾の意を示した。
「また、ディーゼルエンジンの研究も必要です。」
ここで山岡が言った。彼は今や別府造船において造機部長として、重役の一員となっていた。義男はゆくゆくは彼をトップとして造機部門を切り離して内燃機関メーカーとして独立させる方針ではあったが、今はまだ一社員であった。
「無論だ。ディーゼル開発は続行せねばならない。そして早くできるようにならんとな・・・」
山岡の言葉に義男は自らに言い聞かせるように言った。
他の宮部や黒田らの社員達も同じように新時代の機関とも言うべきディーゼルの開発は必要であるという認識で一致していた。
「しかし、これほどまでに短期間で手を広げることになりますと、問題もありますよ?」
細川が計画書を眺めながら渋い顔をしていった。
「というと?」
「このままですと・・・鋼材が足りなくなる可能性があります」
「ふむ・・・独で買った分の備蓄と、海軍さんや三菱、川崎さんからごうd・・・買いたたくのではダメかね?」
後藤が細川に尋ね返した。
「それも良いでしょうが・・・中規模貨客船ですと、5000トン位としますが・・・どうしても南洋航路に2隻、大陸航路に2隻、東南アジア航路に2隻の計6隻・・・最低これくらいは必要になりますが、他にコンテナなどを生産する場合にはさらに鉄が必要になりますぞ?」
確かに、八八計画の中断によって何隻かの戦艦が建造中止になれば海軍や三菱が集積した資材は全くの無駄となる。そして軍艦の建造には通常の鉄ではなく、複合材を取り入れた高張力鋼などがふんだんに使われている。その張力鋼が安く大量に手に入れば、確かに優秀な船が出来るだろう。別府造船所はドイツよりかなりの高張力鋼や装甲板を格安で手に入れていたが、コンテナの生産や貨客船の大量建造、そしてその後得られるであろう受注の量などで考えれば、問題もあると細川は考えていた。
「つまり、現状でもまだ不安があると言うことか」
「その通りです。」
「ふむ・・・だからと言ってアレをバラす訳にもいかんしな」
義男の脳裏に浮かんだアレとは、マッケンゼン級の姉妹の姿であった。確かにアレはそれぞれ3万トンクラスの大型巡洋戦艦である。だが、あれを義男は客船にして生まれ変わらせたいというロマンがあった。それに、一度進水してしまっており、エンジンまで積んでいることから、解体するにも相応の時間がかかってしまう。だが、古い物ならあるいは・・・?
しばらく考えた後、義男はパンッと膝を打つと、一瞬何か企んだような顔を浮かべたあと、口を開けた。
「わかった。取り合えず、鋼材の件については私に任せてはくれないか?」
それに対して、社員達から特に反論はなかった。
「まぁ、社長がそう仰るのでしたら・・・」
なんだかんだで彼ら自身「こいつならまぁ、何とかするだろ?」とある種の信頼があるのかもしれない。ダメなときはまた別の案を考えればいいのだ。鉄の価格はすでに下がりつつあるのだから問題も少ないだろう・・・。
その後も議論は続き、結局4000トン級の貨客船の建造、コンテナの開発促進、ディーゼルの研究、そして新航路の開設許可についての交渉などを推し進めることが別府造船所の幹部会議で決定することとなった。
20世紀のとある経済学者曰く・・・組織の存在意義とは需要を生み出し続けることに他ならない。存在意義のなくなった組織は組織でい続ける意味がない。
ならば如何にすべきか?
答えは新たなる需要を引き起こすこと
毒を食らわば皿までだ。
別府造船はもう大型船の建造と膨大な社員、設備という過剰な毒を食らってしまったのだ。
ならば最後まで食らってやろうではないか。
毒を食らわば皿までも
ついでに皿だけでなく、テーブルもかじり倒してやろうではないか
他の社員たちも皆同じ考えのようであった。
かくして、別府造船所は新しい船の建造計画の策定を一応は造ることに成功する。
だが、それが吉と出るか凶と出るか・・・それはまだどこの誰もがわからない物であった。
皆様、今更ながら明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
今回はコンテナだけじゃちょっとヤバイよねと言うお話でした。
実際、一つの商品に全てを賭けるというのはとても危険です。ましてやコンテナはまだ実験段階なのですから・・・。そんなのに全力投球するのはよほどのばくち打ちか、それしかできないところでしょう。
ただし、それが受け入れられるかどうかはまた話は別ですが・・・。
私もそろそろいい加減に(仮)をとろうかと思ってはいるのですが、なかなか愛着もある上に、代わりの良い名前が浮かびません。・・・どうしましょうかね?
さて、次回の舞台は東京になるかもしれません。本社は相変わらず大神村ですが・・・




