開発
1920年9月
残暑厳しいこの季節の別府造船所の工場内にて約一ヶ月ぶりに溶接の火花が散った。
「本当にこんな単純なつくりで大丈夫なのかね?」
「さぁな。まぁ、あの社長のやることだから何とかなるんじゃねぇの?」
「だといいんだがなぁ・・・」
「ま、なんだかんだで久しぶりの仕事だ。ヘマやらかしちゃぁいけねぇ。」
休憩時刻に作業員たちが溶接棒と面を片手に雑談をしていた。
別府造船所では現在、コンテナの開発、生産に取り掛かっていた。
コンテナの作りは簡単だ。要は鉄の箱である。
物を出し入れするために引き戸などの扉は設置せねばならないが、それほど工数が必要だと言うわけでもない。つまり、構造はとても単純なのだ。そうであるが故に、単純であり、コンパクト化が進むと言うものである。とはいえ、デメリットも多く、例えばその重量がある。鉄の箱である以上やっぱり重い。義男が生きていた平成時代ならばトラックでも何とか輸送できる体制になっていたが、この大正期の時代においてはトラックは現代とは比べ物にならないくらい貧弱なものであった。そんなトラックに積み込もうものなら、逆にトラック自体が壊れてしまうだろう。当然ながらトラックが通る道路もそうである。必然的に輸送は鉄道輸送および船舶輸送に限られてしまう。また、鉄道でも線路の規格に合わせて行わなければならない。特に日本の線路は狭軌である(新幹線は広軌)。ちなみに諸外国のものはその多くが標準軌や広軌であったりする。その分、コンテナは小さめに作らなければならない。
現代日本でもその尾は引いており、お陰で日本はそんなJRの狭軌規格に合わせたものだから海外のものとは互換性がなく、現代日本においては鉄道から物資を海外に輸出する際にはわざわざざコンテナから中身を移し変えなければならないという事態に陥っていたりする。・・・まぁ、それはあくまで蛇足ではある。
それだけではない、コンテナと言うものに必要なのは正確な規格であることと同時に、メンテナンスが重要になってくる。確かに、コンテナは鉄であることから丈夫ではあるが、だからと言って万能と言うわけでもない。錆るときは錆るし、壊れるときは壊れる。特に、海外から物を運搬する場合は船で運ぶ以上、海風が直接あたってさびやすくなる。お陰で、現代においてもアフリカや東南アジア方面からやってくるコンテナの一部には腐食や錆による破損したコンテナがあったりするため、保険などで色々と面倒なことになっていたりする。
ただし、重いゆえに保安上のリスクが下がると言うこともある。以前言ったかと思うが、現代では時たま大型トレーラーを用いてコンテナごとかっぱらうという豪気な泥棒?が出没したりする。ましてやこの時代は現代以上に鋼材・・・その元ともなる粗鋼の生産力は低いのだ。それゆえ、鉄はやっぱり高い。ある漫画にも出てきたのだが、そのせいで鉄泥棒というものも割りとよく出ていたりする。現代でもたまにいたりするが・・・。だが、鋼鉄の塊であり、かつ溶接できちんととめている以上、専門の機材でもなければ分解できないコンテナは、そうした意味や中ぬきなどに対抗するうえでもメリットが高いのだ。万能ではないが・・・。
そんなわけで、義男は社員たちにこのコンテナに対して規格化を徹底させた。義男はある意味職人と言うものの重要性を認めつつも誰もが同じようなことを同じようにする・・・すなわち、大量生産を根付かせる必要性を感じていたためだ。
これができなければ、戦争を乗り越えるどころか、これから先に起こる強烈な産業の競争に勝ち抜いていけないだろうということを義男は見通していた。この時代、日本は再び円高へと突入したうえに、海外市場は再び欧米製のもので満たされていっていた。ここに日本製の商品を食い込ませるためには、少なくとも流れ作業などを中核とした大量生産技術を手に入れなければならない。だが、現在の日本・・・そして別府グループにはそれに必要な基礎技術も貧弱極まりない状態だ。だからこそ、義男は欧州からやってきたドイツ人たちに期待をかけることになるのだが、社員たちはまだ戸惑っているようだった。
「しかし、あのドイツからやってきたっつー技師連中はどうだ?」
「ああ、まだ言葉の通じん連中が大半だ。中には話せるやつもいるんだが・・・」
「でも仕事はすごいぞ?」
「ああ。伊達に欧州で働いていたわけでもないってことか」
「むこうだと、俺たちが10日かけてやる仕事を数日で終わらせたりするらしいぜ?」
「本当か?」
「ああ、どうもそうらしい・・・」
工員達が奇異な目で工事の様子を眺めているドイツ人技師を見ていると1時を告げるチャイムが鳴った。昼休みの終了時間だということで、工員達は三々五々自分たちの仕事に取りかかっていった。そんな風に、社員たちが働いているのを見つつ、義男は図面を見ていた一人のドイツ人を呼び止めた。
「どうだい、調子は」
「Es・・・ah・・・ナカナカ慣レルノガタイヘンデス。」
「Es ist OK, wenn Japanisch so nett ist.(それだけ日本語がうまければ大丈夫ですよ)」
「Ist so richtig?(そうでしょうか?)」
「Es ist, der kana-Japaner muß immer noch geübt werden, es ist reizbar, und der Standard eines Behälters ist [kana] wie in ... und Zeit?(日本語はまだ練習が必要ですね・・・ところで、コンテナはいかがですかな?)」
「Ah・・・Obwohl unser Land auch hatte, und ein Standard ist anders. Es ist immer noch eine Phase einer Versuchsproduktion.(ああ・・・我が国にもありましたが、規格が違いますので、まだ試作の段階ですよ)」
「そうですか・・・」
義男と並んで話しているドイツ人の名はハンス・シュミットという人物である。今年で42歳になる働き盛りの男であった。ドイツではUボートの製造に関わっており、大戦終了後に造船工廠をクビになった男であった。それを義男が拾ったのである。現在は技術部の技師として別府造船所に雇用されている。
「Aber es wurde überrascht, um zu sagen, daß diese schweißende Dose so weit benutzt wird.(しかし、ここまでよく溶接を使っていることに、驚きましたよ)」
「東洋の未開の国の民が・・・ですかな?」
義男がそういうとハンスは西洋人らしからぬ曖昧な笑みを浮かべながら言った
「Positive offenen-Wörter...(正直に言えば・・・)」
「そう思うのも仕方がない。我が国はこう言っては何だが全てにおいて後進国だからね。何でもまねごとから始めないと・・・だが、見くびってもらっても困ると言うものだ。」
義男はハンスに向かってニヤッと顔をゆがめた。
「だから、君や他のドイツの人々にはここの社員たちに君たちの技術を教えてほしいのだ。我々が、君たちに追いつき、追い越すためにね・・・」
「Es ist ernsthaft?(本気なのですね?)」
「Exactry(その通りだ)・・・・・・だから、君たちは困ったことがあったらなんでも言ってほしい。」
「Ich verstand.(了解しました!)」
ハンスの言葉に義男はうんと頷くと、そのまま彼を伴って事務所へと向かった。
彼に内密に頼みたいことがあったからだ・・・。この後、ハンスは別府造船にやってきたドイツ人たちの中で主導的な存在になっていくのであるが、それはまた話そう。
さて、義男は多くのドイツ人たちを別府グループにおいて雇ったわけではあるが、そこでまた幾つか問題が発生していた。法律や習慣、文化がそれである。ドイツは日本から地球を半周以上もしたところにある。それゆえに法律も違えば文化も違う。だからこそ、問題だって発生する。義男的には当たり前の話だが、あまり変な問題は起こしてもらいたくないのだ。ただでさえ、日本という国は基本単一民族で成り立っているのだ。ここで外国人に対する体制を育てておかなければ未来のグローバル化にはとてもじゃないが対応しきれないだろう。義男はグローバル化というものに関して言えばどちらかというと消極的な考えの持ち主ではあったが、だからと言って完全になくしてしまえばいいと考えているわけではない。まあ、それはまたおいおい話すとしよう。ともかく、日本人にもそしてドイツ人にもお互いにこの状況になれてもらわなければ困るのだ。
だからこそ、義男は早くから社内に法務課というものを設置することにした。これで、海外からやってくる社員に日本国内の法律についてを指導したり、あるいはこれから先別府グループが海外に進出した際にも海外の法律を日本国内の社員に指導するあるいは問題に対処するための機関として成長させていきたいと義男は考えている。また、生活習慣面などにおいてもアドバイスやカウンセリングなどを行うように心がけさせるなど、様々な配置される予定の別府造船所をはじめとして海軍将兵の多い別府汽船、そして神戸製鋼所などに散らば手法を取り入れることにしていた。
そのために、義男は日本にいたドイツ人捕虜・・・青島などの攻防戦の際に日本軍に降伏したドイツ人兵やドイツ語ができる日本人をかき集めたのであった。ドイツ人捕虜は日本においてある程度の期間生活していたこともあって、日本的な文化や倫理などにおいてかなり馴染んでいるものも多くいたこともあって、別府グループが招聘したのである。現在はドイツ人社員たちが配置されたあるいはこれからっている。彼ら法務部とそれに携わるドイツ人たちはこの後設置されることになる海外事業部と共に別府グループの海外進出における実務面の中心として機能していくこととなる。
もう一つ、義男が頭を悩ませたのが文化面である。外国にいったことのある方なら分かるかもしれないが、日本と外国の料理は全てが違う。筆者は昔イギリスにしばらく旅行したことがあるのだが、数日もすれば日本食が恋しくなってしまった。三食必ず芋が出現し、しかも妙に味が濃かった・・・いや、濃すぎたのだ。おかげで毎日割りと胃がきつかったりしたことを覚えている。あと、変なグラタンっぽいものを食べることになったのだが、その味に思わず涙を流してしまったりする。そして、いざ日本に帰ってきたときにJRの駅で食べたうどんが恐ろしいくらいに美味であったこともまた強烈に記憶している。何が言いたいのかと言うと、なれたものが一番というものである。それは古今東西どの地域に住む人間であってもそうであろう。しかし、ここは日本である。欧州での食卓を飾るのは主に肉である。・・・現代の我々には少しぴんとこないものであるが、この時代の日本人の食卓には魚が出てきていた。肉は非常に高かったのだ。理由としては日本においては未だ畜産業が現代以上に盛んではないというのが大きいだろう。日本では江戸期において宗教などの理由からあまり肉が食べられていなかった。肉を本格的に食するようになったのは明治期以降であろう。
だが、欧州ではそんなもんどうでもいい。一応謝肉祭などはあるが、たいした歯止めにはならない。ドイツで魚料理というのは実はあまり有名ではなく。沿岸部を除いては基本肉である。義男が悩んだのはまさにそれであった。はっきり言うが、牛や豚などの肉はとんでもなく高い。現代のように冷凍技術が十分あれば、アメリカなりオーストラリアからなり肉を輸入しようとしたであろう。だが、まだそこまで日本において肉文化は発展しているわけではない。結局、途方に暮れた義男が法務課、上層部、ドイツ人たちと協議を重ねたが、結局結論が出ることはできなかった。
そのことが後に義男が食品業界へのいっそうの肩入れへとつながっていくのであるが、それはまだ先の話である。
皆様お久しぶりです。
早く書き上げないとな~と思っていたらゲームのイベントや引っ越し、そしてほかのものを書いていたりして気がつけばもう11月も終わりで明日からは師走・・・年末です。全く、どうしてこうなったのかと自分を責めたいです。
今回はだいぶ話があちこちに飛んでしまいました。もう少し余裕を持たせた方がよかったかもしれません。ドイツ人とそれに戸惑う社員とそして義男というものを書きたかったので、どうしても話が詰め込みすぎた感じになってしまいました。
次は、少し時間が飛んでワシントン条約後の時期になる予定です。




