番外編⑨ 隣国に移って(オルディア視点)
ヴェルード公爵家の三男、それが僕の立場だ。
三男というものは、基本的には家を継ぐ立場ではない。場合によってはそれもあり得るが、現状僕にその役目が回ってくることなどないだろう。
兄であるアドルグ兄上もウェリダン兄上も、健康的にも素行的にも問題はない。余程のことがない限り、僕は家を継ぐのとは無縁ということになる。
それでも貴族というものは、結婚などによって家の役に立つものだ。
ただ僕の場合は、それもあまりできなかった。とある事件で名誉の負傷によって、あまりそういった話に縁がなかったのである。
そういった事情もあって、僕は現在割と自由にさせてもらっていた。
今の僕は、当てのない旅人のようなものだ。生まれ育ったアルフェリド王国を出て、隣国のカルファール王国に渡るなんて、少し前までは考えられなかったことである。
「さて、どうしたものかな?」
家を出る時、僕はこの身一つで出てきた。勝手なことをするのだから、ヴェルード公爵家に頼るべきではない。そう思ったから無一文で出て来た。
故に行く先々で、僕は仕事をしなければならなかった。カルファール王国の王都まで辿り着いた訳だが、既に財布の中身はほとんど空だ。
「まあ、王都だし仕事がないという訳でもないか……何か大きな事業でもあれば、いいけれど」
王都を歩きながら、僕は遠くにある王城を見つめていた。
カルファール王国は、アルフェリド王国と友好関係にある。故に僕も、ある程度こちらの王族については知っていた。
というか、僕の従姉にあたる人がこの国に嫁いでいる。それについては、ことここにおいては割と面倒な事実だった。
「……広い王都だ。僕が来たなんてことはわかりようもないだろう」
従姉であるラナメシア姉様とは、あまり顔を会わせたくなかった。
別に彼女のことが嫌いとか、苦手とかそういうことではないのだが、現状の僕はそこまで会わせる顔がない。
貴族としての務めを捨てて、放浪している僕は、あの人からしてみればあまり好ましいものではないだろう。そのことで色々と言われることは、勘弁願いたい。
とはいえ、広く一日に多くの人や物が出入りする王都だ。僕がそこにいることが、ラナメシア姫に把握されることなんてあり得ない。
もちろん、何か騒ぎを起こしたりすれば、話は別だろう。だが現状、僕の存在が認知されるなんて――
「――あり得ないとでも、思っているのか?」
「……え?」
聞こえてきた声に、僕は固まることになった。
僕はゆっくりと、後ろを向く。するとそこには、一人の女性がいた。その女性はフードを深く被って顔は見えない。だけれど、誰であるかはすぐにわかった。
何故、彼女がこんな王都の道のど真ん中にいるのか、僕はすぐに理解することができなかった。
ただその隙に、彼女は僕に近づいてきていたようだ。僕の体には手が回されて、そのままとても力強い抱擁が起こった。
「……大きくなったな、オルディア」
「ラ、ラナメシア姉様……?」
僕を抱き締めているのは、ラナメシア姉様その人であった。
昔から彼女の挨拶というものは、そうだった。熱い抱擁、それはなんとも力強いもので、時々苦しくなってくる。
いやというか、いつにも増して抱擁の時間が長いような気がする。これはもしかして、僕は極められているのではないか。
「うくっ……ラナメシア姉様、力が強いような気がするのですが?」
「ふふっ、せっかく王都に来たというのに、私に挨拶をしようとしなかった悪い従弟には、お仕置きが必要だろう?」
「ま、待ってください。どうか、慈悲を……おおっ!」
もしかして、僕の背骨はこれから折れるかもしれない。ラナメシア姉様からは、それ程の殺気が感じられた。
そこで僕は、後悔することになった。筋を通してきちんと挨拶をしておけば、こんなことにはならなかったというのに。僕はなんということを、してしまったのだろうか。
ああ、あちら側で手を振っているのは、お祖父様だろうか。お祖母様の姿も見える。なんだか懐かしい。
「おっと、力が強すぎたか? おい、オルディア、戻って来い」
「……はっ!」
ラナメシア姉様の力が少しずつ弱まっていくのを感じて、僕は目を覚ました。
良かった。許してもらえたようである。なんというか、今までの人生で一番やばかった。舞踏会の時にも感じなかった恐怖に、僕は少しだけ縮こまってしまう。
「ラ、ラナメシア姉様、どうしてこちらに? それに、何故僕のことを……」
「はっ! 馬鹿な奴だな、この私がお前の動向について把握していないとでも思っていたのか? この国に入ってきた時から、お前には監視の目があったのだ」
「そ、そうだったのですか?」
「大切な従弟に、もしものことがあってはいけない。もっとも、特に手は出していなかったがな。お前も随分、逞しくなったものだ。まあここにきて、一つ愚行を犯したが……」
どうやら僕の考えは、とても甘いものだったようだ。
偉大なるラナメシア姉様は、僕の動向なんてお見通しだったのだ。その可能性を思いつかなかった自分が、なんだかとても恥ずかしい。
「ラナメシア姉様、流石です」
「ああ、お前はまだまだだな」
「耳が痛いですね、ラナメシア姉様の言葉は……挨拶に行かず申し訳ありませんでした」
「精々反省するのだな……さてオルディア、お前には王城に来てもらうぞ?」
ラナメシア姉様は、堂々とした人であった。ともすれば冷たいようにも思える切れ味の鋭い言葉も、相変わらず健在であるようだ。
しかし、こうして見つかってしまったからには仕方ない。ここはラナメシア姉様の指示に従うしかないだろう。
彼女はこの国において、王子の妻という立場にある。そんな人を長い間この街中にいさせる訳にもいかないし、素直に王城に行くとしよう。
「わかりました、ラナメシア姉様……しかし、僕などが王城に行っていいものなのですかね? その、今はあまり貴族としての身なりでもありませんし」
「そんなことは些細なことだ。それよりお前は、私の夫や家族に対する挨拶の言葉でも考えておくのだな?」
「……それは中々に、気が重い問題ですね。はあ、そういうこともあるから隠れていたかったのですけれど」
「貴族を離れて軟弱になったか? これも務めだ、励め」
他国の王城に足を運ぶということは、考えるまでもなく気が重いことだった。
だがこうなってしまったのだから、覚悟を決めるしかない。端くれとはいえ、僕もヴェルード公爵家の一員だ。気合を入れて臨むとしよう。




