番外編② 初めての対面は(アドルグ視点)
王城には、定期的に足を運んでいる。伯父上に対する諸々の報告などは、立場上領地をそこまで留守にする訳にはいかない父上に代わって、俺が行っているのだ。
その役目に対して、俺は誇りを持っていた。父上から信頼されているからこそ、そういった役目を任されているのだと、我ながら笑える程に子供じみたことを考えていたのである。
「父上のことは尊敬している。立派な公爵であるということは、ずっとその背を見てきた俺が知っている。他の貴族や領地の民からの評価も高い。貴族として目指すべき人だとそう思っていたのだ。しかしそれも、考え直さなければならないのかもしれない」
「アドルグ兄様、それは……」
「くくく……リチャード、お前にこのような弱音を吐く姿を見せてしまうとは情けない限りだ。俺はお前達の前でも、長兄としての背中を見せたいと思っているのだが」
「いえ、仕方ないことでしょう。むしろ、こうして弱音を吐いていただけることを嬉しく思います。アドルグ兄様は、いつも気を張っていらっしゃいますから」
第一王子であるリチャードは、俺に対して優しい笑みを浮かべていた。
この優しき従弟は、正に国王としての素質を秘めているといえるだろう。他者を気遣うその姿に、俺はそれを感じられずにはいられない。
リチャードがこの世に生を受けた偉大なる五歳の日に、俺は羽ペンをプレゼントした。
それは平和を意味する鳥の羽でできたペンであった。このリチャードが、何れこの国を導くにあたって、何よりも大切なことを伝えるために俺はそれを選んだのだ。
ただそれは、いらぬ気遣いだったのかもしれない。俺などが言うまでもなく、リチャードはそれを知っている。
その優しさと平和をこよなく愛するその心意気には、何度も感心させられてきたものだ。
聡き従弟には、次期国王としての意識が確かに宿っている。この国に暮らす一人の男として、それはなんともありがたいものだ。
「アドルグ兄様? どうかされましたか?」
「……父上は不貞を働いた、ということなのだろう。ウェリダンの調査によって、メイドであるカルリアとその娘の所在はわかった。彼女がいなくなった年とカルリアの娘クラリアの年齢から考えて、その可能性は高いといえる」
「……それはなんとも」
リチャードは、俺の言葉にゆっくりと首を横に振った。
この従弟に言葉を失わさせてしまうことは、大変に申し訳なく思う。
しかし父上の行為は、それがもしも真実なら擁護のしようはないものだ。
誇り高き貴族であるはずの父上が、母上を裏切り不貞を働き、あまつさえ子を作ったというならば、失望などという言葉では済まない。
「とはいえ、クラリアさんが叔父様の子供であるとも限らないのではありませんか? 例えば、使用人の誰かと関係を持っただとか。妻子持ちの使用人の方と関係を持ったということもあります」
「……実の所、父上はカルリアと随分と親しくしていたように思えるのだ。母上もそうであったが、幼少期の頃から付き合いのある母上と父上とでは違う」
「アドルグ兄様としては疑惑があったからこそ調査した訳ですからね……すみません、僕はなんとも迂闊なことを言ってしまいました」
「いや、お前が提示する可能性もないとは言い切れない。その思考能力は流石だ。この国も安泰だな……」
「それは大袈裟なような気もしますが……」
リチャードの指摘はもっともだ。まだ父上が不貞を働いたと決まった訳ではない。
その可能性は高いと思っているが、断定するのは早計だといえるだろう。
それにしても、俺の焦燥を見抜き、それを冷静に指摘するリチャードは流石だ。
どのようなことがあっても、冷静に立ち振る舞えるのは王家として必要な資質だろう。俺も次期公爵として、見習わなければならない。
「しかし、仮にクラリアさんが叔父様の子供であるならば、それは大変な事実ですね。ヴェルード公爵家に隠し子がいるとなると……」
「ああ、その点については大いに問題だといえる。お前にも迷惑をかけてしまう、すまないな」
「まあ、仕方ありませんね。とにかく、真偽を確かめなければ……」
「もちろん、既に手は打ってある」
とにかく父上の口から話を聞かなければならない。それについては、伯父上を頼ることにした。伯父上からの質問には、父上も流石に真実を話さざるを得ないだろう。
仮に父上の不貞が確かなものであるならば、俺も腹を括るしかない。ヴェルード公爵家が始まって以来の危機は、長兄である俺が収めるしかないのだから。
◇◇◇
結果として、父上の不貞は事実であった。本人がそれを認めたらしい。
それを伯父上から聞いた俺は、流石に幾分か動揺した。予想していたことではあるが、いざ真実に直面すると、俺とて平静ではいられなかったのだ。
とはいえ、そんな動揺はすぐに振り払った。ヴェルード公爵家の危機に、長兄である俺が揺れている訳にはいかない。
「フォルヴァール、ここで間違いないのだな?」
「ええ、そうですよ、アドルグ様。この村にクラリア様がいらっしゃいます」
「……しかし驚くべきものだな。まさかカルリアが我が家の領地に留まっていたとは」
カルリアとクラリアは、ヴェルード公爵家の領地内にいた。
ウェリダンからそれを聞かされた時には、俺も驚いたものだ。てっきり領地からは抜け出しているものだとばかり思っていた。
いや、だからこそカルリアは留まったということか。盲点をついたというならば、それは見事であるとしか言いようがない。
「父上や母上も、見逃していたという訳か……」
「……どうやら、一度領地を出たという記録を見つけていたそうですからね。そこから戻っているということは考えていなかったということでしょう」
「しかし、ウェリダンの目は誤魔化せなかったか」
父上は、伯父上に色々と事実を話していた。
メイドに手を出したこと、そのメイドについては自分や母上も気にしていたこと、密かに探していたということもわかった。
その捜索を、カルリアは躱していたそうである。詳しい捜索手順は聞いていないが、彼女は父上と母上を上手くやり過ごしたらしい。
様々な事情が絡み合った結果として、ウェリダンが捜索にあたるまでカルリアの所在はわからなかったのである。
「フォルバル、周辺はどうだ? 一応確認しておくが、何も危険はないのだな?」
「ええ、もちろんです。その辺りは、俺達護衛を信用してください。アドルグ様の命は、この身に代えてお守りしますよ」
「俺のことなどどうでもいい。問題は、クラリアのことだ」
「え?」
「ヴェルード公爵家の血を引くクラリアのことを、賊が狙う可能性は十二分にあり得る。細心の注意を払っておけ」
護衛であるフォルバルには、よく言っておかなければならないだろう。
この男は優秀ではあるが、少々気が利かない所がある。物事の優先順位というものを、こいつはわかっていないのだ。
もちろん俺はヴェルード公爵家の嫡子である訳で、護衛として雇われた身としては守りたい気持ちは理解できる。
しかし俺にはある程度の力がある。自身の身を守れる程の力量はあるのだ。
だが、村娘であるクラリアにはそれはない。もしも彼女が狙われたならば、一巻の終わりだ。
「クラリアを守らなければならない。彼女を無事にヴェルード公爵家に連れて帰ることが、今の俺の役目だ。お前もそれを心得ておけ」
「は、はい、わかっています。クラリア様の安全も確保していますから、ご安心ください。その辺りも抜かりはありませんよ」
「俺の護衛の半数も彼女に回せ」
「いや、それは駄目ですよ。こっちはちゃんと計算しているんですから……」
「ふん、万が一ということもあるだろう」
「ああ、いつものやつですね……」
俺の言葉に対して、フォルバルは頭を抱えていた。
この男は、少々無礼な所がある。それは別に良いのだが、俺の指示に素直に従ってくれないというのは困る。
「クラリア様も守るつもりです。そんなに躍起にならないでください。というか、他の弟君や妹君以上に熱量がありますね……」
「俺は弟妹に差などつけはしない。だが、クラリアに関しては特別気にしなければならない理由がある。俺は自らの地盤を固めるために、彼女を十年間もの間放っていたのだ。その分の愛は伝えていかなければならない」
「あ、また始まった……」
クラリアの存在を、俺は何度か想像していたことはある。もしかしたら、そうなのではないかという疑念はあった。だが、俺は自らとヴェルード公爵家を優先して、それを見て見ぬ振りしてきたのだ。
家を守るために、それは必要なことだった。その判断は間違っていなかったと、今でも思っている。
しかし実に十年もの間、妹を見ていなかったという事実は心に来るものだ。
例え間違った判断だったとしても、俺はすぐにクラリアを見つけ出して、この手で抱きしめてやるべきだったのではないか、そんな思考が過ってくる。
貴族として必要だったとしても、それは兄として人間として必要なものだったのだろうか。
ヴェルード公爵家などなくとも、家族ともに生きていく道もあったはずだ。それでも良かったのではないか。様々な思考が、俺の頭には渦巻いていた。
だがいくら悔やんだ所で、失った時間が戻ってくるわけではない。今の俺にできることは、クラリアに愛情を注ぐことだけだ。
「クラリア、待っていてくれ。今この兄がお前のことを迎えに行こう」
「いや、クラリア様はそんなテンション感ではないと思いますよ? 急に公爵家に連れて行かれるなんて、怖いでしょうし……」
「離れていても兄弟というものは繋がっているものだ。まあいい。さてと、そろそろクラリアの元に行くとしようか」
とにかくまずは、クラリアに会わなければならない。こうして顔を合わせるのは初めてのことだ。兄妹の絆によって怖がられるなどということはまずないだろうが、それでも柔和な笑みを心掛けておくべきか。
しかし、妹に会えるとなるとどうしても気が抜けてしまいがちだ。だが偉大なる長兄、そしてヴェルード公爵家の代表として腑抜けた表情を見せる訳にはいかない。
「……失礼する。ヴェルード公爵家のアドルグだ」
「あっ……」
「……どうぞ、お入りください」
そんなことを思いながら、俺はクラリアが母親とともに暮らしている家の戸を叩いた。
すると程なくして、家の戸が開いた。かつてヴェルード公爵家でメイドをしていたカルリアの顔がまず見えて、それから家の奥の方にいる少女が目に入ってきた。
「……」
「……」
その少女は、こちらを真っ直ぐに見つめてきていた。
それからすぐに、少女は顔を少し歪めて後退していく。それはまるで、この兄から遠ざかっていくかのように――――――
◇◇◇
(クラリア視点)
「初めて会った時のこと、ですか?」
「……ああ、そうだ」
アドルグお兄様に呼び出された私は、唐突にされた質問に目を丸めることになった。
初めて会った時のこと、それは今でもよく覚えている。アドルグお兄様は、公爵家を代表して私を迎えに来てくれたのだ。
「あの時お前は、俺から遠ざかっていくかのように見えた。それに、少し表情も引きつっていたような気がする」
「えっと、はい。そうだったかもしれません」
「それが何故だったのか、聞いてもいいか……いや、聞きたくないような気もする」
「ど、どっちなんですか?」
アドルグお兄様は、ゆっくりと首を横に振った。
なんだかよくわからないが、迷っているらしい。いつも堂々としているアドルグお兄様から考えると、珍しい姿だ。
「とりあえず聞かせてもらえるか?」
「アドルグお兄様、少し怖かったので」
「怖かった……くくっ、うぐっ……くぅう」
「ア、アドルグお兄様?」
私の言葉に対して、アドルグお兄様は唸り始めた。
彼はそのまま頭を抱えて、今まで見たことがない程に表情を強張らせていた。
それからアドルグお兄様は、しばらく固まっていた。
後からやって来たイフェネアお姉様から、それはひどくショックを受けているからだと聞かされた。
アドルグお兄様は、怖いと思われるのを結構気にする。その日私は、それをよく知ったのだった。




