番外編① 長兄の疑念(アドルグ視点)
ヴェルード公爵家は、高貴なる家だ。国王陛下である伯父上の弟である父上が当主を務める家なのだから、それは言うまでもない。
もちろん、それによって驕り高ぶるのは以ての外である訳だが、事実は事実として受け止めておかなければならない。公爵家に生まれたからには、それ相応の振る舞いが必要だ。
家に雇う使用人などに関しても、それは適用される。
ヴェルード公爵家には、一流の使用人達が揃っている。この家に仕えられるのは、その技術を認められた者が大半だ。
ただ雇用に関しては、別の側面などもある。
例えば学びだ。一流の者達が揃う場所には、その技術を受け継ごうという者達も集う。
あるいは慈悲だ。高貴な家には、当然それらも求められる。何か事情がある者などが、当家の使用人として在籍していた期間もある。
結局の所、ヴェルード公爵家には様々な者がいたということだ。
とはいえ、人の入れ替えというものはそう頻繁に起こることという訳でもない。
仮に起こるとしても、予兆がある。来る者もともかくとして、唐突に去る者は少ない。
「兄上、どうかされたのですか? 僕を呼び出すなんて珍しいものですね」
「……珍しいということもあるまい。俺とお前は兄と弟、ともに語り合う場は設けているはずだ」
「今回はそういうものではないのでしょう?」
「ふっ……ウェリダン、流石だな。お前の勘というものは鋭いものだ。いや、この場合は推理か? 俺の様子から何かを悟ったという風に見える」
「まあ、そんな所でしょうかね……」
某日、俺は弟であるウェリダンを呼び出していた。
それは兄弟の戯れのための呼び出しではない。聡い弟はそれをよく理解しているようである。
その事実は、兄としては誇れるものであった。元より頭脳は明晰であると思っていたが、もしかしたら俺の予想以上なのかもしれない。
思えばウェリダンは、昔からそうだった。神童などと言われることもある程に、この弟は賢い。
しかしその賢さというものは、持って生まれた才覚だけで築き上げられたものではない。ウェリダンは昔から学ぶことに貪欲であった。
ヴェルード公爵家では、幼少期から上等な教育を受けることになる。それに対してウェリダンは嫌がる素振りはなかった。まだ遊びたい盛りの頃から、この弟は勉学に励んでいた。
俺はかつて、ウェリダンがこの世に生を受けた格別なる五歳の日に本をプレゼントした。絵本ではなく、活字の本をだ。
それを三日で読み終えたと告げられた時には、流石の俺も驚いたものだ。弟の才覚には、いつも驚かされている。
「兄上、何を笑っていらっしゃるのですか? まあそれはいいとして、とりあえず要件を聞かせていただけませんかね? 何もわからないというのは、どうにも居心地が悪いのです」
「……俺とて、もったいぶるつもりはない。しかしお前の成長や偉大さを噛み締めるためには時間が必要なのだ。要件は単純なものだ。調査を頼みたい」
「調査? おやおや、それは何やら、雲行きが怪しいものですね……」
俺の言葉に、ウェリダンは笑みを浮かべていた。
その笑みからして、俺が言わんとしていることは大方伝わっているのだろう。この弟には、本来であれば言葉など不要だ。
だが、認識の相違があってはいけない。言葉にしておく必要はある。
「調査を頼みたいのは、カルリアという女性だ。お前は覚えていないかもしれないが、かつてはこのヴェルード公爵家に使用人として仕えていたことがある。今から十年程前のことだ」
「カルリア、ですか? そうですね……聞き覚えはありませんね。顔を見ればわかるかもしれませんが」
「当時の年齢を考えれば、当然のことだろう。実はそのメイドは、ある日突然いなくなったのだ。一身上の都合だと聞かされているが、どうにも奇妙なものだった」
かつてヴェルード公爵家に仕えていた一人のメイドに関して、俺はある疑いを持っていた。
その疑惑に関しては、調べておく必要があると前々から考えていた。今がその頃合いであると考えている。
「気掛かりがあるならば、潰しておくことは確かに必要でしょうね? しかし、いくつか疑問があります。何故、僕に調査を?」
「お前の調査能力は、目を見張るものがある。その分野においてお前は、俺どころか父上よりも優秀だ」
「お褒めいただき光栄です、兄上。しかし何故今なのですか? 兄上であれば、もっと早くことにあたることはできたはずでしょう?」
「今回の件では、何か問題が発生していることが予想される。故に基盤を固めておきたかった。何があってもいいように、俺自身が力をつけるまでことにあたるのは避けていた」
「なるほど、そういうことでしたか……」
ウェリダンの疑問は、当然のものであった。そういった疑問を放置せず解決するその様は、正にこの弟の聡明さの表れだといえるだろう。
そういえばかつてウェリダンが、鳥に興味を持ったことがあった。
何故、鳥が空を飛べるのか、それを熱心に調べ上げている姿は、今でもこの俺の脳裏に焼き付いている。
丁度その時に、ウェリダンがこの世に生を受けた至極の六歳の日が近かったこともあって、俺は双眼鏡をプレゼントした。
あの時はなんとも感謝されたものだ。しかしその後、改めて六歳の記念日にプレゼントを用意した時に事件は起こった。
ウェリダンが怒ったのだ。双眼鏡を既に貰ったからと、この弟は俺からのプレゼントを決して受け取ってくれなかった。
それはつまり、賢弟の中にある謙虚さの表れだったといえる。ウェリダンが欲望に負けるということは、まずあり得ない。公爵家の身分におごらず、真に高貴な魂を宿した弟を持ったことを、俺は誇りに思っている。
「……兄上? どうかされましたか? まあ、いいですか。それよりも調査の話ですね? 人探しをするならば、何か手掛かりは欲しい所です。しかし、兄上が手をこまねているということは、それも少ないという訳ですか?」
「流石だな、ウェリダン。実の所、その通りだ。わかっていることは、この資料に取りまとめている。とはいえ、最低限の情報しかない。今回のことは父上や母上に聞くのもはばかられるものだ。これ以上の情報は期待できん」
ウェリダンは俺が渡した資料に、目を通し始めた。
そこに書かれているのは、カルリアの大まかなことだけだ。
かつては母上の家に仕えていたらしいこと、出身としては平民の出であること、それは資料に残っていたことだ。
それ以上のことも、父上や母上に聞けばわかるかもしれない。
ただ今回、それは避けるべきことだろう。この失踪には父上などが絡んでいる可能性がある。当人はもちろん、母上にもこちらの動きは悟られたくはない。
「まあ、その辺りの事情もなんとなくわかっていますよ。そういうことなら、僕も少し気合を入れましょうかね……とりあえず三か月は待っていただきたい。場合によっては半年必要かもしれません」
「問題はない。ただ、国外に出たかどうかに関しては先んじて調べてもらいたい所だ。それによって対応の仕方は大きく変わる」
「わかりました。お任せください、兄上」
俺の言葉に、ウェリダンは力強く頷いた。
この弟に任せておけば、問題はない。カルリアを必ず見つけてくれることだろう。
弟を信じるのは兄として当然のことではあるが、ウェリダンの能力を俺は信頼している。頼んだことであるが故に支援は惜しまないが、その必要すらないと思える程に。
仮にウェリダンが見つけられないというならば、それはもう発見は不可能ということになるだろう。もちろん、その可能性は低いとは思うが。




