第36話 明るい未来へと
王城という場所には、何度も訪れている。だけど、慣れているという訳ではない。ここではやはり、気が引き締まる。
といっても、それは王城だけに限った話という訳でもないかもしれない。公の場に出るとなると、背筋が伸びるものだ。私は生粋の貴族という訳でもないので、完全に慣れるということは、無理な話なのかもしれない。
「クラリア嬢、来ていたんだね?」
「リチャード殿下、お邪魔しています」
「ご丁寧にどうも」
そんな私は、リチャード殿下と廊下で顔を合わせていた。
それはもしかしたら、運が良いことかもしれない。次期国王である彼は、何かと忙しいため、あまり顔を合わせることができないのだ。
「ロヴェリオに会いに来たのかな?」
「はい。私はロヴェリオ殿下の婚約者ですから」
「それが決まってから、もう八年くらい経つのかな?」
「ええ、そうですね。そのくらいになると思います」
「時が経つのは早いものだ。とはいえ、二人の仲というものは変わっていない……いや、より親密になっているというべきだろうか」
リチャード殿下に言われて、私は思い出す。
婚約が決まってから、いやそれ以前から、本当に色々なことがあった。時には苦しいこともあったけれど、それも今では良い思い出だ。
「クラリア? それにリチャード兄上も」
「ロヴェリオ殿下」
「ロヴェリオ、愛しのクラリア嬢のお越しだよ」
「兄上、やめてくださいよ。からかうのは」
そんなことを話していると、ロヴェリオ殿下がやって来た。
リチャード殿下に茶化されて、彼は顔を赤くしている。ちなみにそれは、私も同じだ。
「二人の仲の良さというものは、僕もよく聞いているからね。ついからかってしまう。どうか許してくれ」
「兄上だって、義姉上との仲は良好でしょうに」
「おっと、そろそろ行かないと。クラリア嬢、僕はそろそろ失礼するよ」
「あ、はい」
「……逃げたな」
ロヴェリオ殿下の言葉を受けて、リチャード殿下は早足で駆け出した。
逃げる意図もあるのかもしれないが、忙しいのも確かだろう。今回の場合は、廊下で突発的に出会った訳だし猶更だ。
「八年、ですか……」
「クラリア? どうかしたのか?」
「いえ、婚約してからそんなに経ったんだなと改めて思いまして。考えてみれば、私はあの頃のイフェネアお姉様と同じ年です。でも、今の自分があの頃のお姉様のようになれているかというと自信がありません」
八年という月日を改めて実感して、私は今の自分というものを見つめ直していた。
私が憧れているイフェネアお姉様は、今の私くらいの年にはもっと立派だったような気がする。まるで進歩がないという訳ではないが、それでもまだ足りないと思ってしまう。
「それは……俺だって、そんなものさ。あの頃のアドルグ兄様どころか、ウェリダン兄様やオルディア兄様にすらなれていないような気がする。そもそもクラリアとイフェネア姉様は違う人なんだ。比べる必要なんてないだろうさ。スタートラインだって違う」
「それでも、精進しようという心は忘れてはならないと思うのです」
「それはそうだな。少し耳が痛いが……クラリアは立派だな」
私の言葉に、ロヴェリオ殿下は笑顔を浮かべてくれていた。
その笑顔を見ていると、安心できる。だがだからといって、努力を忘れてはならない。私は、もっと立派な貴族の令嬢になってみせるのだ。
◇◇◇
「……本当に申し訳ありませんでした。謝って許されることではないことはわかっています。だけど俺は、あなたに謝罪したかった。それは自己満足なのかもしれないが」
目の前で頭を下げているディトナス様に、私は少し面食らうことになっていた。
彼のことは事前にある程度聞いていたのだが、実際に謝罪されるとやはり驚いてしまう。それはきっと、私の中で彼に対する印象は八年前のまま止まっているからだ。
彼もこの八年の間で、心を入れ替えたのかもしれない。実際に、あれから数年後には立派な騎士となったとは聞いていた。それは間違いという訳ではないようだ。
「俺はこれからも、騎士として人を助けて生きていくつもりです。そう思えるようになれたのは、あの出来事があったから……あなたが寛大な措置を取ってくれたからです」
「あなたの処遇は、私の一存で決めた訳ではありませんが……」
「それでも、あなたの意思はそこにあったはずです」
「……もうドルイトン侯爵になろうとは思われないのですか?」
「それは兄に任せます。そもそもの話、その方が良いと心の中では思っていました。しかしそれを認められず、兄への反発をあなたにぶつけてしまった。今となっては、恥じるべき事柄です」
ディトナス様は、私に対して再度頭を下げた。
私はそんな彼に、背を向ける。彼と話をするということには、少々の躊躇いがあった。しかし話してみて良かったと今は思っている。
「これからも頑張ってください。私から言えることはそれだけです」
「……ありがとうございます」
最後にそれだけ言い残して、私は待ってくれていたロヴェリオ殿下と合流した。
彼は鋭い視線をディトナス様の方に向けている。どうやら私よりも、彼に対する警戒心というものは大きいらしい。
「ロヴェリオ殿下、少し顔が怖いですよ?」
「……仕方ないだろう。あの男は、クラリアにひどいことをした。今は一応反省しているみたいだが、それでも警戒するべき相手だ」
「その気持ちは嬉しく思います。でも、彼のことも少しは信用したい所ですね。人というものが、やり直せると思いたいですから」
ディトナス様が本当に心の底から反省して、頑張っていると私は信じたかった。
そうであった方が、単純に嬉しい。お兄様方の寛大な措置というものが、間違っていなかったと証明される訳だし。
「ペレティア嬢やサナーシャ嬢も、教会で真面目にやっていると聞いています。今度は彼女達と会うというのも良いかもしれませんね」
「それを言うなら、マネリア嬢だって模範囚ではあるらしいがな……しかし、クラリアは強いな。あんなことをされた人達と向き合うなんて、簡単なことではない」
「いいえ、私はただお兄様方の背中を見て育ったから、こうなっているだけですよ。目標があるからこそ、私は強くなれるのです」
お兄様方という存在は、私にとってとても大きなものであった。
今は一緒にいられる時間は少なくなってしまったが、それでも皆の温もりというものを、私は忘れていない。
「強くなったということか」
「ええ、今はもう、震えてロヴェリオ殿下に守られているだけではありませんからね」
「俺としては、守りたいんだがな」
「いえ、守っていただける分には構いませんよ?」
「ははっ、そうか……」
私とロヴェリオ殿下は、そこで笑い合った。
これからの日々というものも、きっと明るく楽しいものになるだろう。そんなことを思いながら、私はロヴェリオ殿下と歩き始めるのだった。
END




