第2話 長兄の怒り
「あ、あそこだ」
「あれは……」
ロヴェリオ殿下は、すぐにアドルグ様を見つけた。
私の一番上のお兄様は、辺りを見渡している。その動作から考えると、彼の方も私を探しているようだ。
そのことに、私は息を呑む。アドルグ様が怒っているのではないか。そんな思考が頭に過って来たのだ。
「む……」
そんなことを考えていると、アドルグ様がこちらに視線を向けてきた。
彼は眉間にしわを寄せている。やはり怒っているのではないだろうか。今から少し億劫になってしまう。
とはいえ、今の私がこの舞踏会の会場から帰るためには、アドルグ様を頼るしかない。彼とは話をつけなければならないのだ。
「クラリア、どこに行っていた?」
「あ、えっと、その……」
「アドルグ兄様」
「うん?」
こちらにやって来たアドルグ様は、私に声をかけてきた。
するとロヴェリオ殿下が口を挟んだ。そんな彼の声に、アドルグ様は驚いているようだ。
私のすぐ隣にいた彼に、気付かなかったというのだろうか。それはなんというか、おかしな話である。それだけ怒っているということだろうか。
「久し振りですね、アドルグ兄様」
「ロヴェリオか……お前もここに来ていたのだな?」
「ええ、そうなんです。そこでちょっと嫌な場面を見ちゃいまして」
「嫌な場面?」
「ええ、クラリアがどこかの令嬢に詰められていました」
「なんだと?」
ロヴェリオ殿下は、事情を説明してくれた。
彼がそのように言ってくれるのは、とてもありがたい。私は上手く説明できるか自信がなかったし、これならアドルグ様も多少は考慮してくれるのではないだろうか。
「……クラリア、ロヴェリオが言っていることは本当か?」
「え、ええ、本当です。誰かはわかりませんが、二人の令嬢から詰め寄られました」
「そうか……」
事実を聞かされて、アドルグ様は目を瞑った。
今回の件について、彼なりに考えているということだろうか。
ただ、別に何かを起こすことはないだろう。二人の令嬢も言っていた通り、私は所詮妾の子だ。そんな私を侮辱した所で、問題になんてならないだろう。
「ペレティア・ドルートン伯爵令嬢と、サナーシャ・カラスタ子爵令嬢だな」
「え?」
「お前を詰めたという令嬢達だ。俺の推測が正しければその二人であるだろう」
「そ、そうなんですか?」
アドルグ様が出した名前を聞いても、まったくピンとこなかった。
それは当然だ。私はあの二人の名前なんて知らないのだから。
というか私は、別のことを考えていた。アドルグ様は、とても怒った表情をしているのだ。しかもそれは私に向けたものではなく、あの二人に対してのものである。
「あの、アドルグ様……」
「安心しろ。お前を詰めたという二人を俺は許しはしない」
「え? あの……」
アドルグ様は、私の肩に手を置いてきた。
その動作からはなんというか、彼の優しさのようなものが伝わってくる。
それに困惑して、私は思わずロヴェリオ殿下の方を見た。彼は苦笑いを浮かべている。ただ、私はまだいまいち状況が飲み込めていない。
「その二人はヴェルード公爵家を侮辱した。それは許されることではない」
「あ、それは……そうなのですか?」
アドルグ様の言葉に、私はほんの少しだけ納得することができた。
妾の子であろうとなかろうと、関係はないということかもしれない。彼女達がヴェルード公爵家の血を引く者を侮辱した。アドルグ様は、それを重要視しているのかもしれない。
「しかし、そんなことはこの際どうでもいいことだ。重要なのは、その二人が俺の妹に怖い思いをさせたということにある」
「え?」
「そのようなことをした者を俺は許しはしない。万死に値する。その二人は必ず絞首台まで俺が送るとしよう」
「あ、いや、それはやり過ぎでは……」
納得していたはずの私は、続く言葉にまた混乱することになった。
ただ口からは、否定の言葉がなんとか出た。よくわからないが、これくらいのことで絞首台に送るなんてことはどう考えてもやり過ぎだからだ。そこは止めておかなければならないと、自然と言葉が口から出てきた。
「アドルグ様、絞首台まで送ったらアドルグ様の方が悪者になってしまいますよ。もちろん、冗談だとは思いますが……」
「冗談ではない。ヴェルード公爵家の男子に二言はない」
「いや、二言であってくれよ……」
アドルグ様の表情は真剣そのものだった。
その表情を見ながら、私は言われたことを考える。先程アドルグ様は、確かに私のことを妹だと言った。
それに私は衝撃を受けている。彼からそのように思われていたなんて、思ってもいなかったからだ。
「ロヴェリオ、お前はまだ幼い故にわかっていないのだろう。我々は舐められたら終わりなのだ。行いに対する報復はきちんとしておかなければならない」
「過激なんですって、それが……そりゃあもちろん、何もしないなんて訳にはいかないと思いますけど、あんまり過激なのは駄目ですからね。俺だって王族として反対します。権力の乱用じゃないですか」
「……可愛い年下のいとこのお前がそこまで言うというなら、俺もやぶさかではない」
「わかってくれましたか……」
ロヴェリオ殿下は、そこでゆっくりとため息をついた。
それは呆れている、ということだろうか。私としては驚きの方が大きいのだが、彼は結構慣れているように見える。
アドルグ様は、普段からこんな感じなのだろうか。私としては、困惑しっぱなしである。
「アドルグ様、私は……」
「クラリア、お前には言っておかなければならないことがある」
「え? あ、はい」
私が話しかけると、アドルグ様はその表情を少し強張らせた。
やはり、私が話しかけたら駄目だったのだろうか。訳がわからなくなってくる。
「お前とはヴェルード公爵家に来たばかりであるが故に話す暇というものがなかった。表面上の挨拶は交わしたが、その後にはふんぎりがつかず、結局おめおめと引き伸ばしていた。それは俺の心の弱さが招いた過ちに過ぎまいよ」
「えっと……」
「しかしながら、俺はお前のことを歓迎していると言っておこう。親の代にはしがらみの類などはあるかもしれないが、それは俺にとっては関係がないことだ。むしろお前には同情している。ヴェルード公爵家の勝手で連れ去ることになったからだ」
「そ、そうだったのですか……」
アドルグ様の言葉に、私は驚くことになった。
いつも怖い顔をしていると思っていた彼がそんな風に思っていたなんて、初耳である。
ただそう思ってくれていたなら、私としてはありがたい。ヴェルード公爵家においても、味方がいるというのは心強い限りだ。
「今まで本心を隠していた故に、お前との間に距離感があったことは否めない。しかし、こうして話した今はその必要もあるまい。俺はお前の兄である。兄――お兄ちゃんと呼べばいい」
「うん?」
「……ロヴェリオ、どうかしたのか?」
アドルグ様の言葉に口を挟んだのは、ロヴェリオ殿下だった。
彼は怪訝な顔をしている。実の所、気持ちは私も同じだ。アドルグ様は、今なんと言ったのだろうか。その言葉の意味が、よくわからない。
「アドルグ兄様、お兄ちゃんである必要はないでしょう。お兄様とかで良くありませんか?」
「ロヴェリオ、お前も遠慮することはない。俺にとってはお前も、弟のようなものだ」
「いや、遠慮とかはしていませんよ。でもアドルグ兄様の望みはなんというか、ちょっと変ですよ? アドルグお兄様で良いではありませんか。兄上とかでも良い」
「ふっ……お前にはわからないこともあるということだ。大人の世界とはそういうものだ」
「大人の世界とか関係あるんですか、本当に?」
ロヴェリオ殿下の表情を見ながら、私は考えていた。
アドルグ様という人は、少し変なのかもしれない。妾の子である私のことを受け入れてくれているのも、そういった面が関係しているのだろうか。
別に私としては、お兄ちゃんでも構わない。ただ一応は貴族の一員であるし、もう少し上品にお兄様と呼んだ方が良さそうだ。ロヴェリオ殿下と色々と言い合っているアドルグ様の顔を見ながら、私はそんなことを思うのだった。




