第二二話 真っ赤なクリスマス
2020年12月25日・ルグドラクール島北部・武装勢力支配地域・ファルナ町
その日、巨大な火球はファルナ町の広場に直撃し、巨大な火球を作りだした。
不幸にもその日、広場では『クリスマス』というルグドラクール島独自のお祭りが行われていた。その為広場には子どもを含めた多くの町民たちが集まった。
一度爆発した爆弾は、殺傷する人間を選ばない。
女も、子どもも、妻子ある男も、親の面倒を見なければならない人も、平等に死んだ。言うなれば、彼らの運命は爆撃をした機体から爆弾が離れた時点で決まっていた。
「これは……」
広場の光景を見たソラはその光景に絶句した。続けて出すべき言葉が見つからなかったのである。
地面に横たわっていたのは、普通の人たちだった。
武器を持っているでもなく、戦闘服に身を包んでいるでもない。まったくもって、普通の一般人。それらの遺体は損壊が激しい。まるで戦争で死んだ兵士の遺体のようだった。
広場の中心に佇み、静かで暖かな光を届けていたクリスマスツリーは折れ、燃えることによってその存在を消そうとしていた。
地面には死体と、大量の血を流しながら呻いている人と、爆風により散らばった木材やらガラス片やら金属片やらが大量に散らばっている。
中でも目を引いたのは、胴から下がない獣人の少女の遺体だった。兵士ではない、まして大人でもないただの女の子の死体が無造作に転がっていた。
しかも彼女は上半身だけになった後もしばらく生きていたらしい。その証拠に、少女の周りには這ったような跡が残っていた。その様子を想像すると吐き気を催した。
「……っ」
思い出したのは、南部で遭遇した自爆テロだった。それを引き起こしたのはまだ幼い子どもで、そのテロで民間人の死傷者が多数出た。
あの時、こんなことは間違っていると思った。何故ルグドラクール共和国軍やその政府高官、また同地域に展開するPKOの兵士ではなく、民間人に死者が出るような方法をとったのか? 彼らに罪はありなりや? 答えは否である。彼らにはあのような方法で殺され断罪されるべき罪などなかった。
あの時、こう思いたくないが、やはり獣人は野蛮人だと思った。だが、これでは──
「クソったれ……」
空を仰ぎ、呟きは白い息となって消えていく。
その瞳は、こんなことを起こしておきながら優雅に空を飛行する無人機の姿を捉えていた。
「なんでこんな町を爆撃した……?」
軍事施設があるわけでもない町である。それを攻撃した理由が気になった。
そんな時目に映ったのはトラックらしきものの残骸だった。見るに無限軌道を備えた雪上車である。ソラが広場にいたときは、そんなものはなかった。となればその後にここに来たのだろう。気になったのは何故そんなものがあるのか、ということだ。
しかし今の問題は別にある。
「…………」
それはこの広場の光景を見たまま動こうとしない少女──ノエルの存在だった。
蒼い瞳の中には炎が揺らめき、広場の惨状を見据え続ける。
爆撃があったとき、ソラを庇ったせいで腕のどこかを切ったらしく、指の先から血が流れていることに、ソラは今気がついた。
「なんの意味が……」
「なに?」
彼女が何を口にしたのかよく聞き取れずに怪訝な顔をする。
喧騒がその場を支配していた。悲鳴、怒号、意味不明な叫び声。その場は正しくカオスであった。だから気づけなかった。
「──っ?!」
二度目の爆発は二人のそこそこ近くで起きた。吹き飛ばされた二人の体は宙を飛んだ。そしていとも容易くソラの意識を奪った。
◇
「──ぁ? ああ……クソっ……。ノエル……? ノエル?」
目を覚まし、最初に見えたのはオレンジ色だった。てっきり夕日か朝日の色だと思った。だがジリジリと焼かれるような熱さにそれは違うのだと気がついた。
火事だった。
広場は既に原型を留めておらず、炎が町を飲み込んでいた。
木造の家が多く、家同士が密集しているファルナの町は一度火事がおきれば簡単に広がってしまうという特徴があった。
そんな中でソラはノエルを探した。
「ノエル? ああ、良かった。手足もある。脈もある。でもなんで?」
ノエルはすぐに見つかった。ソラの腕の中にいたからだ。しかし何故そんな場所に彼女がいるのかわからなかった。
「あ、そうか。間に合ったんだ」
混乱する記憶を紐解く。確か爆発の直前に彼女を抱き抱えたような記憶があった。そのお陰かどうかは不明だが、命があるようで良かった。
「ソラ……?」
名前を呼びながら揺すると、ノエルは弱々しく目を覚ました。まだ寝ぼけているのか、ぽわわわんという感じだ。
「火事になってる。すぐにここから離れないと。立てるか?」
立とうとするノエルだったがすぐ苦痛に顔を歪ませた。足を怪我しているらしい。
「安心してくれ。おぶる」
「いい」
「何言ってる。それじゃ歩けないだろ」
「私はいい。ソラだけ逃げて」
「そんなこと言うな。南に行くんだろ。南で国籍を取れば外国にだっていける。そうすれば──」
「どこに行っても私はハーフだもの」
息を飲んだ。そうするしかなかった。ノエルの顔は見れなかった。彼女が顔を下げていたからだ。
あまり、こういう場面で感情を出すのは得意では無い。こういう時に出る言葉こそ人間性を示すからだ。そして自分はそれほど優れた人間性を持っていないからだ。それを見透かされるのが、少し怖いのだ。
「……お前がハーフでも、お前はノエルだろ」
「だから」
「俺は今、お前がハーフだから助けようとしてるんじゃない。この前助けてくれたから助けるんだ。君が助けてくれなかったら、俺は撃ち殺されてた」
愛国戦線に襲われた時のことを思い出しながら下手くそに笑った。
「とにかく今はおぶられてくれ。このまま言い合いしてたら俺もお陀仏だ」
「……うん」
強めの口調が出た。余裕がなくなってきたからだ。この火事がどこまで続いているのかわからないが、かなり危険な気がする。
おぶられた後、彼女は不安そうに聞いてくる。
「重くない……?」
それを聞いて少し安心する。この子もどうやら年相応の部分があるらしい。こういう時はなんて言うんだっけ?
「リンゴ三個分……かな?」
「ふざけないでよ……」
おかしい。こうするのが正解ではないのか。
ノエルはソラのフードに顔を埋めて怒る。ソラはそのままにしていてほしかった。口に布を当てるだけでも煙は吸いにくくなるはずだ。ソラも布で口を覆った。
だが、おぶってみて改めて彼女が細いことがわかった。それに軽い。これなら訓練の時に背負う荷物よりもマシだ。
「──ノエル、目をつぶっててくれ」
「どうして?」
「炎で目がやられる。もし俺の目がダメになったら君に案内してもらうしかないんだ」
「わかった」
完璧な嘘っぱちもいいところだった。本当にそんなことになるのかなんて知らない。
本当は、地面に横たわる遺体を彼女に見せないためだった。
「……こんな」
その遺体は高音に晒されたためなのか、炭化していた。まっ黒焦げで、とてもじゃないがそれが元は人であったことなど信じられないほどだった。おそらく爆風で吹き飛ばされ、意識を失ったまま焼かれてしまったのだろう。
──ここまでする理由が本当にあったのか?
ソラは胸の内で問いかけるが答える者はいない。
大量の煙を吸い込みながら歩き続けた。それはヘリが墜落した後、そして仲間が殺された後に歩き続けた時に似ていた。
あの時もこれから生きるか死ぬかわからない中歩いた。あの時は怖くて仕方なかった。
しかし今は不思議と心強かった。いや、心強いというのは少し違った。どちらかというと安心している、と言う方が正しい。
トクン、トクン、と規則正しいリズムが背中を通じて伝わってくる。その音が心地よく、そして同時に思う。この音を絶やしてはならない、と。
「……っ」
歩き続けていると、すぐ前の道が焼き崩れた建物に塞がれた。焔が砂煙と共に舞う。
静かなものだった。人の声が聞こえない。一度目の爆撃の後ではまだ喧騒が続いていたのに、今ではそれもない。ただ木の燃えるパチパチという音が聞こえていた。その静寂が逆に不気味だった。
「どうしたの?」
「道が塞がれた。迂回する──」
と言って隣の道に向かおうと右を向いた時。彼と目が合った。
彼と目が合った時、不思議と何も出来なかった。しかしそれは彼らも同じだった。
彼は鉄帽を被っていた。背中にはライフルを背負っていた。彼は獣人だった。彼は兵士だった。
奇妙な時間はおよそ五秒続いた。
「──ッ!」
最初に動いたのはソラだった。地面を蹴り、兵士に背を向けて駆け出した。
「白髪だ! 白髪がいたぞッ!」
背中から声が聞こえてくる。
「ノエルすまん。王国軍に見つかった。走るから舌噛むなよ!」
「足を止めろッ! 撃て、撃てぇ!」
どこから集まったのかゾロゾロ集まってきた兵士の声が聞こえる。発砲音も一緒だ。
こんな火事になって、こんな沢山死んで……何故ッ!
肩を貸すのではなく、おぶるという手法を取ったのは、この場合において正解だった。肩を貸していたらこんなに早く移動することは出来なかっただろう。
「狙われてるのは私。だから私を下ろして」
「バカ言うな。今足を止めてノコノコ下ろしたら俺はどの道蜂の巣だ」
「じゃあ投げ飛ばせばいい」
「俺を鬼にするな」
できることなら真っ直ぐ一直線に走りたかったが、射線を避けるため、くねくねと道を変えながら走った。それに倒壊した家屋で塞がれた道は避けるしかなかった。
「──のッ!」
口論は終わらなくとも敵は構わず襲ってくる。その兵士は路地へ入る角を曲がった先にいた。待ち伏せだった。
図らずともそれはソラがついさっき王国軍二人にとった手法と同じだった。皮肉なことに、今度はソラが待ち伏せされる側となったのだ。
まず目がいったのはソラの頭部にしっかりと照準をあわせた小銃の銃口。内部のライフリングすらハッキリと見えるほど近く、明確な死のイメージが湧いて出た。
──タタターン!
バースト射撃で放たれた三発の弾丸を避けられたのは反射神経の賜物だった。
僅かな重心移動で体をずらし、射線から外れたのである。そして手を伸ばすのはポケットの中。そこにある拳銃を即座に取り出し、獣人に向けて手も伸ばしきらないままに発砲する。
考える暇はなかった。考えていたら殺されていた。
「う……っ」
よろめき倒れかけた獣人にタックルをかまして素早くその道を駆け抜ける。
狭い路地の先、その出口の向こうはまだ火の手が回っていなかった。ようやく見つかった出口。しかしそこに人影が二つあった。小さいものと、大きなもの。小さいものは子どもと見違うほど。でかい方はソラなんかよりずっとでかい。
殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ!
頭の中で聞こえる声のままにソラは銃口を向けた。
「──っ! ソラ、ダメッ!」
制止の声を無視して発砲する。それは当たらず──というより避けられた。二人は建物の角に身を隠した。
「ダメ! あの二人は──!」
路地の出口に差し掛かり、ソラは『敵』がいるはずの場所へ銃を向けた。そしてその姿を確認しないままにトリガーを引こうと力を込めた。
「──戦場に飲まれてんじゃねぇよ」
低い声だった。
次の瞬間、ソラは拳銃を奪われていた。そして地面に倒されていた。
腹に蹴りを食らったのだ。背中から倒れた時、雪の感触がダイレクトに伝わった。ノエルを背中に背負っていたはずなのにおかしかった。そして気がついた。敵は蹴りを入れる前にノエルを掴んでソラからひっぺがしたのだ。
反撃すべく体を起こそうとすると、チャキ、と冷たい感触がおでこに触れた。それに動揺し、動きを止めてしまった時点でソラは負けていた。
如何に反射神経がよくても、如何に体を素早く動かせても躱すのが不可能なものはある。ゼロ距離射撃だ。
「敵と味方の区別もつかなくなったか、人間──」
冷徹な声、冷徹な瞳、冷たい銃口。ソラは死を意識した。
しかしそこにいたのはルドルフだった。ソラが撃とうとしていたのはルドルフとティナだったのだ。
心が急激に冷静さを取り戻していく。それは赤く焼けた鉄が冷たい北極海の水につけられたようだった。そして同時に取り返しのつかないことをしてしまったと、後悔の念が浮かんだ。
人に銃を向けることは「お前を殺す」と宣言していることに他ならない。事実、ザナ本土の駐屯地に配属された時、誤って味方に銃口を向けていた新米兵士はこっ酷く怒られていた。それに海外では警察に銃口を向けただけで射殺されたという事件がいくつも起きている。人に銃口を向けるということはそういうことなのである。
「さっさと立て。お前の荷物も持ってきた。これからこの町を脱出する」
「すまない……こんなつもりじゃ」
「言い訳はいい。世の中結果が全てだ」
「……っ」
それは事実上の死刑宣告だった。つまり、期待を裏切ったということだ。
とんでもないことをしてしまった。やってはいけないことをしてしまった。
「なんだノエル、怪我してんのか」
「そう」
「仕方ねぇな。杖やるから歩け」
「わかった」
焦燥。
ここで死んでしまった方がいいのではないかという後悔。この先、自分は彼らについて行っても邪魔をしてしまうだけなのではないかという不安。
ルドルフの背中が遠ざかっていく。彼は次のことを考えてもう歩き出している。
ノエルが十歩歩いてこちらを振り返る。彼女はちゃんと同行メンバーの心配をしている。
それに比べて自分は……っ!
情けないとわかっていた。でも後悔は止まらなかった。まるで発作のようだった。
失敗した。また失敗した。失敗した 失敗した 失敗した 失敗した 失敗した 失敗した 失敗した 失敗した 失敗したッ!
失敗したらみんな死ぬ。ルシュール伍長も、みんな、みんな、みんな──ッ!
「大丈夫です」
だらんと下げた手が急に温かく包まれた。
やけに明るい声。そして向けられる向日葵のような笑顔。
「誰も怪我をしなかったんです。それにソラさんはノエルさんを助けてくれたんですよ。だから、大丈夫です。一歩踏み出すのに自信がなかったら、わたしが隣で一緒に歩きます」
「ティナ……」
「だから、一緒に行きませんか? こう見えて、わたし嘘はつかないんですよ? それに、お料理も得意ですしお世話をするのも大好きです。南に行ったらソラさんの面倒を見てあげます」
狐の耳を揺らしてどこか得意げな表情。それに元気をもらえない人が、果たしてこの世にいるだろうか。
こんな子どもが、人を元気づけるために無理してこんなに明るく振舞っているのだ。──いい大人の自分がこんなんでどうする。シャキッとしろ。自分は兵士なのだ。
「ありがとう。行こう」
「はい。行きましょう」
少し遅れてルドルフとノエルに着いていく。やがて町をぬけ、丘の上に登ったところでソラは後ろを振り返った。
その場所はノエルのおにぎりを食べた丘の上だった。あの時、丘の上から見た町の景色は美しかった。ザナの夜景と比べると確かに弱々しい。しかしこの大自然の中で照明に彩られる町は確かな力強さを持っていた。それが今は大火の中に沈んでいる。
ごうごう、という炎の音は、まるでこの町というひとつの命が死ぬ音のようだった。
たくさんの人がいたはずだった。良い人もいたはずだった。
そういえば、ポポは大丈夫だろうか、とソラは思う。
しかしそれを確認する手立ては存在しない。気にしても、どうにもならない。
「──行くぞ」
ルドルフの一言でソラたちは再び歩みを進める。
様々なものを、この街に忘れたまま。
次回『キャンプ・ユニマ防衛戦①』
お楽しみに




