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第九話 美味しいご飯

──寒い。


 布団の中で眠っても、手の指先や足の指先は痛いほどに冷たかった。

 体が妙に重い。目の奥が痛い。


「おはようございます!」


 やけに明るい声。障子が開けられ、太陽の光が差し込む縁側に、まるで向日葵のような笑顔の少女がいる。

 誰だ、この子は……?

 狐色の髪の毛で、獣の耳が生えている女の子だ。もしかして──


「ティナ……?」

「はい、ティナです。おはようございます、ソラさん」


 首を揺らしてニッコリと彼女は笑った。


「みんなもう朝ごはんを食べてますよ。ソラさんも早く起きてください。今日の朝ごはんは自信作なんですから」


 そう微笑むと彼女はトタトタと居間の方へ去っていった。すんすんと匂いを嗅いでみると確かに良い匂いがする。ほんのりと甘い米の匂いだ。

 ティナはどうやら自分が起きるのが遅いから起こしに来てくれたようだ。それにしても彼女の笑顔は初めて見た。年相応の、子どもらしい笑顔だ。

 それが無理矢理のものなのか、吹っ切れた証拠なのかは自分にはわからない。


 布団をしまって居間に行くと既にみんなが囲炉裏を囲んでいた。


「よう、人間の兄ちゃん。よく眠れたか?」

「おかげさまで。感謝する」


 ルドルフに問われて答える。ノエルはまるで置物か何かのように無表情でちょこんと座っていた。

 天井から吊るされた鍵には大きな鍋がかかっており、その中には汁物が入っている。これが朝ごはんらしい。


「どうぞ、ソラさん」


 囲炉裏の前に座るとティナが米の入ったお茶碗と汁物の入ったお椀を渡してきた。


 手を合わせて自分は箸で米を一口食べた。


「──お」


 美味い、と、そう思った。

 米はおそらくザナのものに味は劣る。それは調理法のせいではなく品種や育て方のせいだろう。だが炊き加減がちょうどいい。米がふっくらとしていて美味しい。

 自分はもちろん同じことをやれと言われてもできない。それほど美味しかった。


 団子汁も美味い。というかこっちは普通にザナの店で出てきてもおかしくないレベルの味だ。

 団子には里芋か何かを使っているのだろうが、これがふんわりとしていて美味しい。それに何気なくネギとエノキが入っているのもいい。寒いから味噌の温かい汁を啜れば体もぽかぽかしてくる。

 そして気がつけば今まで仏頂面をしていたであろう自分の顔が僅かに明るくなりそうになる。


「どうですか?」

「美味いよ。料理は得意なの?」

「ええ。毎日作っていましたから。お口にあって良かったです」


 思えばまともな料理を食べたのは数日ぶりだった。ここ数日で食べたものといえば缶詰とお粥と梅干しだ。缶詰の種類にもよるが、あれではどう足掻いてもまともな料理とは言えない。現代では戦闘糧食ですらもう少しまともなのだから。


 軍隊のご飯も嫌いではなかった。ザナ国防軍のご飯は演習中などを除いて、ちゃんとした調理師が作っている。稀にハズレの基地もあるらしいが、一般的には味もそこそこ良い。

 しかしティナが今日作ってくれた料理はなんというか、凄い家庭的な味だ。優しい味、母親の味とでも言えばいいか。自分はこういう味のものを食べるのは初めてだ。

 母も祖母もあまり料理は得意ではなかった。たまにどうしてこんなものを作ってしまったんだというような料理を出してきたほどだ。


「ごちそうさま」

「お粗末様でした」


 あまりの美味しさにすぐに茶碗もお椀も空にしてしまった。本音を言えばおかわりを貰いたいところだったが、流石に自重した。

 今の自分はこの家にお邪魔している身だ。かつ獣人に嫌われている存在でもあり、タダ飯を食っている身でもある。下手なことをしすぎて敵対されることは避けたい。


「やけに懐かれたな」


 ティナが食器を持って台所に行った後で、ルドルフは言った。


「ま、愛国戦線に襲われてるところを助けてもらったんだから、差し詰め兄ちゃんは白馬の王子様ってとこか?」

「茶化さないでくれ。そんなんじゃない」

「いんや、俺はティナから聞いたんだぜ。朝から何度聞かされたことか。兄ちゃんが馬に乗って颯爽と現れたこととか、愛国戦線から助けてくれたこととか、やさーしく慰めてくれたこととか」


 馬に乗って……颯爽と、ねぇ。本当は馬で逃げようとしていたところをたまたま拾ってしまったに過ぎないのだが、ティナの頭の中では多少脚色されているようだ。


「あの年頃の女ならよくあることさ。ちょっと優しくされりゃ勘違いしちまう。今回の場合は恋愛感情まではいってないみたいだけどな」

「そうなのか?」

「ああ。どっちかって言うと、慕ってるんじゃねえかな。爺さんが死んでそこにちょうど埋め合わせが来たんだからな。兄ちゃんのことを、本当の兄ちゃんみたいに考えてんのかもしれねえ。兄弟いるか?」

「あいにく一人っ子だ」


 兄弟のいなかった自分が彼女に兄のように思われているのは、どうにも不思議な気分だ。


「で、だ。そろそろ聞きたいんだけどよ。ザッシューナ一等兵さん。兄ちゃんはどうしてこんなところにいるんだ?」


 ザッシューナ、一等兵、いずれもルドルフには教えていないことだ。また、階級章が付けられた迷彩服はリュックの中に入れっぱなし。となるとノエルが彼に教えたのだろう。


「おっと、そう怖い顔すんなよ。ただの確認だ。俺としてもどうしてザナの兵隊がこんなところにいるのかは興味があるんだ。少し前にヘリが落ちたって話があったけど、それかい?」

「ああ。そうだ」

「詳しく聞いても?」


 彼の言葉に、自分は頷き、事の経緯を話し出した。

 ヘリで偵察に出たこと、そのときに攻撃を受けてヘリが落ちたこと、仲間が殺されたこと、自分一人で逃げたこと。しかし偵察の目的は適当に誤魔化した。


「災難だったな」

「信じるのか?」

「ああ。実際にお前の仲間の死体を見たからな。用があって近くの村にいたんだが、少ししたら村に死体が運ばれてきた」

「遺体はそのあとどうなった?」

「さあな。俺も長居はできなかったからわからん」

「そうか……」


 仲間の死体の居場所がわかったからって、どうにかできるわけじゃない。自分が無事に国に帰って、死体の場所を伝えたところで、軍が死体の奪還作戦などすることはないことを知っている。


「で、ノエルから聞いたが、兄ちゃんは基地へ帰りたいそうだな。味方が救出に来るアテはついてるのか?」

「わからない。だが、当分は来ないと思う。だから」

「歩いて南へ行く、か」

「…………」


 図星をつかれて押し黙った。


「お前らの言うルグドラクール共和国はずっと南だ。孤独な旅路になるぞ」

「それでも……自分の任務は基地に戻るまでだ。だから行かなきゃならない」


 自分にひとつ、現状で運が良いと言えるのは、今何をすべきかがハッキリしている事だった。基地へ帰るという大筋は兵士の義務によって既に存在している。あとはその目的に従ってどのように行動するか、ということだった。


「それなら俺らについてこねえか?」


 思いもよらぬ提案に耳を疑った。


「獣人と一緒なら兄ちゃんも少しは疑われにくいはずだ」

「どうして……あんたらにメリットなんてないのに」

「なに、俺らもちょっくら用があんだ。それに、由緒正しきザッシューナ家の一人息子を助けたとあっちゃ、ザナから後でお礼を貰えそうだしな」


 そう言ってルドルフはニッ、と笑った。その笑顔を見る限り、本当のところお礼とやらに興味はないように思える。


「詳しいんだな」

「ああ、こう見えて俺も由緒正しいお家の生まれでな。ま、王国がなくなっちまって意味なくなっちまったが。俺の古い記憶によればザッシューナ家は旧華族だ」

「アタリだ。旧華族と言っても、今じゃ田舎の山をいくつか持ってるだけだけど」

「それで、どうする?」


 自分は考えた。

 確かに彼の提案は良い。本当のところ、即答したい思いもある。しかし、目の前の獣人が本当に信用できるのかどうかわからない。彼には本当にメリットがないのだ。自分を連れていれば、面倒事に巻き込まれる可能性がぐんと上がる。それなのに何故こんな提案をしてくるのだろう。


「わかった。あんたの案に乗ろう」

「そりゃ良かった。出発は三日後だ。歓迎するぜ、兄ちゃん」


 笑いながらルドルフは手を伸ばしてくる。

 不安がないわけでもない。

 もしかしたら彼は本当に善意で自分に同行してくれるのではないかという期待があり、それと同じくらい何か裏があるのではないか、という不安がある。しかし、昨日彼が助けてくれたのも事実。少なくとも悪い人ではないはずだ。


「──私は反対」


 自分も手を伸ばそうとしたところに、一つ反対の意見が出た。

 これまで沈黙を保ってきたノエルが突如として会話に入ってきたのだった。


「私は、その人が一緒に来ることに反対」

「どうしてだ? 確かに知らねえ奴だが、ティナを助けてくれたし、それに戦いの腕も悪くねえ」

「人間なんて足手まとい。ソラはティナと残るべき」

「ティナも? どうしたってんだよ。らしくもない」

「……とにかく、反対」


 困ったもんだ、とばかりにルドルフが頭に手で掻きながらため息をつく。

 自分もどうしたものか、と考える。まさか彼女の口からこんなことが出てくるとは思っていなかった。昨日話してみた感じでは、もう少しおとなしそうな子だと思っていたのだが。

 場の雰囲気が険悪になってきたところに、台所に行っていたティナが帰ってきた。


「ソラさん、ノエルさん、この後買い物に行きたいんですけど、一緒に行きませんか?」

「わかった」


 ノエルはそう答えた。自分は確認を取りたくてルドルフを見た。しかし彼は肩をすくめるだけ。これはどっちだと判断すれば良いのか。


「ソラも来て」


 しかし意外にも自分の行動を決めたのはノエルだった。意味がわからなかった。まるでさっきの彼女の言い方では自分のことが嫌いのようだったのに、どうしてこんなことを言うのだろう。


「……わかった」


 わからないことはいろいろあったが、そう答えることにした。

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