8 パンがないならあげればいい
いつの間にか集まって来ていた半人魔物の子どもたち。ちびっ子とはいえ魔物であることには変わりはなく油断は禁物である、というのが一般的な認識というものだ。
例え自分たちが食していた料理に目を奪われ、揃いも揃ってポカンと開いた口からだばーっと涎が垂れているという間抜けな顔をしていたとしても、気を抜いてはいけないのである。
その光景に目をやる度に、ディーオは警戒していることが大袈裟に感じられてしまっていた。
だが、ここはやはり冒険者の鉄則に従ってちびっ子たちの反応を探ることにしたのだった。
「それで、どうやってこの子たちが危険かな相手かどうかを見極めるの?」
「まあ、見ていてくれよ」
自信満々な様子にこれまでの大ポカのことが思い出されてしまい、ニアは小さく眉をひそめていたのだが、幸か不幸かそのことに気が付かれることはなかった。
そんなやり取りの後、ディーオはちびっ子たちが張り付いている〈障壁〉の方へと近付いたかと思うと、〈収納〉していた焼き立てのパン――しかも冒険者御愛用の焼しめたカチカチのものではなく、発酵させてふんわりと柔らかなもの――を取り出した。
亜空間で保存されていたためにしっかりとした熱さを感じられるパンは、小麦粉の良い香りを漂わせていてこれだけで御馳走と呼べる程の代物だ。
必然、子どもたちの目は釘付けとなっていた。
「ほい。ほれ」
スッと左右に動かしたり、高く持ち上げたりするごとに子どもたちの視線も釣られて動いていく。
もしも集団で演技をしているのであれば、その一体感の素晴らしさに見る者はきっと感嘆の声と惜しみのない拍手を送ることになっただろう。
「よっ、ほっ、はっ!」
ディーオの方も興が乗ってきたのか、二つ三つと追加で取り出してはお手玉をし始める。
その様子にますます夢中になる魔物の子どもたち。もっとも、彼女たちが夢中になっているのはディーオのパフォーマンスではなく、どこからともなく増殖したように見えたパンに、ではあったのだが。
当初とは完全に目的が変わってしまっている状態に、ニアは頭痛を堪えるようにして眉間を揉んでいた。
一応、落としたりはしないように細心の注意を払ってはいるようだったが、それでも一切の状況を無視して「食べ物で遊ぶな」と叱りつけてやりたくなってしまう。
そんな背後からの厳しい視線に気が付くことなく、ディーオの行動は最終段階へと移っていた。
「あー……」
お手玉していたパンを落とすことなく全て無事につかみ取ると、おもむろにそれに向かって大きく開いた口を近づけていったのである。
それを見たちびっ子たちが、〈障壁〉の向こうで一斉に騒ぎ始める。いや、実際に換気用に開けておいた隙間を通って、悲鳴じみた叫びの大合唱が小さく聞こえていたのだった。
「やめんか」
「いて!?」
と、不意にぺしりとディーオの後頭部が叩かれる。
これは以上はやり過ぎだと判断したニアが止めに入ったのだ。
「いくら何でもやり過ぎ。ずっとお預けだった物を目の前で食べるなんて可哀想過ぎるわよ」
むしろ恨まれてしまった可能性も高い。「食べ物の恨みは恐ろしい」のは、何も人間種に限ったことではないのだから。
「いや、さすがに食べる真似だけで止めるつもりだったぞ」
「あなたはそうでも、あの子たちはそう思わなかったかもしれないでしょう」
ほら、と指し示された先には涙目になっているちびっ子たちの姿があった。
「どうするのよ、これ……。一通り全員に振る舞ってあげないと治まりそうにないわ」
「良いんじゃないか?ざっと数えたところ二十人くらいだし、パンの数なら問題ない」
「どれだけ過剰に食料を入れてきているのよ……」
「普段から頻繁に買い込んでいるからなあ……。はっきりした数は良く分からんな。まあでも、食べるものがなくなってひもじい思いをするよりは余程マシだろ」
「……本気であなたの〈収納〉の中身を確認した方がいいような気がしてきたわ」
この時の言葉を実行したあげく、大量の食べ物や生活用品だけでなく魔物素材、解体前のものなので単純に死骸といった方が適当かもしれないものが大量に出てきて大騒ぎどころの話ではなくなってしまうのだが……。
それはまた別の話である。
「このちびっ子たちを見る限りどうやら本心からのようだし、どこかで大人が確認をしているようでもない。子どもを使って油断させようという魂胆はないとみて問題ないと思う」
そもそも、子どもを前面に出すという時点でおかしいのだ。
大半の生き物にとって子どもとは時代への希望であり未来そのものだからである。魔物は人間種などよりもよほど野生動物や自然の生き物に近しい存在であるため、子どもを囮にするようなやり方はしないはずなのだ。
しかしここは魔法があり、小規模な超常現象であれば個人単位で発生させることのできる世界でもある。幻覚を見せられている可能性もあれば、小さな子どもに擬態している可能性も存在しているのである。
もっとも、ディーオたちが一番警戒していたのは人間種並みの悪辣さでもって本当に子どもを囮にしているというケースだったのだが。
「ただ、なあ……。この子たちが俺たちから食い物を貰ったりしたら、後で大人たちから叱られるんじゃないか?」
「子どもだけで侵入者である私たちのすぐそばまでやって来ているのだから、食べ物を貰う云々以前にすでに叱られてしまう要件は満たしていると思う」
「それもそうか」
ニアの指摘に納得したのか、ディーオは子どもたちのすぐそばまで歩み寄ると、〈障壁〉の状況を確認し始める。
「子どもとはいえこれだけの魔物に集られても平気とは……。図らずとも『空間魔法』がどれだけ有用なものかが実証されたわね」
後方からニアが茶化すように声を掛ける。
町や村など生息圏外で、人間種が安全に寝泊まりできる手段というものは現状ではないに等しい。それを易々と叶えてしまっているのだから、とんでもないと言わざるを得ない。
その道の研究を続けている人がこの光景を見たなら、「いっそ狂ってしまえれば良い」とすらと考えてしまうのではないかと、ニアは薄ら寒い想像をしてしまっていたのだった。
「その分魔力の消費が尋常じゃないぞ。『異界倉庫』に放り込まれていた特別製の蓄魔石がなければ起動すらできないからな」
三十階層を拠点とした訓練で『空間魔法』の取り扱いが一気に上達した感のあったディーオだが、そんな彼でも自分一人では到底この〈障壁〉結界を展開、維持する事はできそうにもなかった。
余談だが、異世界に存在していた同一存在の中でも、ディーオの魔力保有量は十本の指に入ることができる膨大な量を誇っている。
そんな彼をもってしても起動すらできないと言わしめる程、大量の魔力が必要なのであった。
ディーオがニアとの雑談を気楽にこなしながら調査を行っている一方で、壁の反対側のちびっ子魔物たちはというと、相変わらずディーオの持つパンに視線が固定されていた。
一応彼女たちの援護をしておくと、ディーオが近づいてきたことで換気用の隙間から焼けたパンの香ばしい香りが漂ってきていることも追い打ちをかけていたという点もあった。
それでも好奇心に抗えずに村を飛び出してきた結果、美味しそうな食べ物に釣られて思考を放棄してしまっているのだから危機感が皆無だと言われても仕方のない状況である。
ニアが指摘した通り、無事に村へと戻れたならば確実に叱られてしまうことになるだろう。
まあ、叱る役の大人たちの方にも子どもを抜け出させてしまった落ち度はあるのだが、集団生活の秩序を守るという名目が与えられ、そうした点はいったん棚上げされることになるはずだ。
ちなみにその大人たちであるが、現在子どもたちがいないことに気が付き、盛大にうろたえては悲嘆にくれている真っ最中なのであった。
「この辺りで良いか」
ちびっ子たちの内、一番体格が良さそうな子どもが真上に手を伸ばすことでようやく届くという位置に小さく穴を開けると、ディーオはひょいと掴んだパンを外へ出した。
いきなりの出来事に目を丸くして固まる子どもたち。
「ほら、食いたいんだろう。やるよ」
その言葉が通じたのかどうかは不明だが、彼がそう言うや否や近くにいた一人が急いで掴み取った。するとディーオは次のパンを差し出す。
後はもうその繰り返しとなった。
「信じられない……」
しかし、ニアが驚いていたのはそこではなかった。
何とパンを掴んだ子どもが次から次へと別の子ども、ニアが見立てた通りだとすれば小さく幼い子どもから順に手にしたパンを分け与えていたのだ。
その様子から、子どもたちはしっかりとした教育を受けているということが予想されたのである。
人型をしていたり半獣半人の姿をしていたりする者を中心に、知性や知能を持つ魔物はいくつも確認されてきたが、そのどれもが弱肉強食という生命の根本的な掟に従うものばかりであった。
このため、集団での社会生活が営めるか否かが人間種と知性ある魔物との大きな違いの一つだとされてきたのだ。
しかし目の前の魔物の子どもたちはどうだ。明らかに自分よりも弱い存在に対して気遣う姿勢を見せている。
しかも同種、異種共にその態度に変わりはなかったのである。
これまでの通説を引っ繰り返すようなまさに歴史的大発見だった。
「これはもはや変異種化しているというよりも、新しい種族だと考える方が妥当じゃないかしら……」
全員に行き渡ったことを確認してから一斉にパンにかぶりつくちびっ子たち。そんな子どもたちを見ながら、ニアは独り言ちていた。
そして、そんな常識の外にある変化を簡単に及ぼしてしまう迷宮という存在に、強い畏怖の念を抱いたのだった。
「世界の法則や理を無視しているかのよう……。まさか迷宮というのは本当に独立した一個の世界だというの?だとしたら何故もともと存在する世界に寄り添って生まれるの?」
「案外迷宮というものは新しい世界の雛型なのかもしれないな」
「え?」
予想外の所から飛び出してきた突拍子もない推論に、ニアは自己の思案の海に沈んでいた意識を急速に浮上させた。
その意見の元をたどってみると、笑顔でちびっ子たちが美味しそうにパンを食べる様を観察し続けているディーオがいた。ここに居るのは自分を除けば彼一人だけであるのだから、少し考えてみれば当然の帰結である。
が、その時のニアにはどうしてだか、その言葉がディーオが発したものだとは思えなかった。
「あなたは誰なの?」
気が付けば、そんな台詞が口をついていた。




