6 迷宮内食事事情
「このままぼけっとあの子たちを見ていても何かが変わる訳でもなし、とりあえず出発の準備をするか」
「まあ、延々とここに居続ける事もできないものね」
と、普段通りの行動をし始めることにしたディーオたち。
ちびっ子たちもワチャワチャと遊んでいるだけなので、差し当たっての危険はないと判断したようだ。問題の先延ばしとも言えるのではあるが。
使用した寝具をテントから取り出して大き目の台の上に乗せる。軽く干しておくだけでも次の使用感が断然に違うからだ。
内部の亜空間では時間が停止しているため、こうした一手間が必要になってくるのである。
大量の物資を持ち運ぶことができるという、とてつもなく便利な〈収納〉の意外な欠点であった。
本物の太陽とは比べるべくもないが、大部屋型の階層天井部からの明かりからは日差しのような温かさを感じられる。
更にそよ風程度があればもっと良いのだが、ちびっ子とはいえ多数の魔物が周囲にいることを考えると〈障壁〉の結界を解くのは得策ではない。
その分のんびりと朝食に時間を掛ければよいだろうと判断する。
他の冒険者たちが見れば頭を抱えて絶叫――もしくは発狂――しそうな状況だが、当然彼らはそんなことはお構いなしの二人なのであった。
そんな訳で、どうせだからとディーオたちは本格的な食事の態勢に入った。
豪華ではないがしっかりとした造りのテーブルと椅子というダイニングセットを取り出すと、テーブルの中央にどどんと大きな鍋を配置する。
「あらあら、ディーオさん。朝からこれを出してくるなんて」
言葉こそそれを窘めるものであったが、ニアの表情は喜色に溢れて口調は弾んでいた。つまり実際には正反対の感情を有していたのである。
それもそのはず、ディーオが取り出した大鍋に入っているのは、丸一日以上をかけてじっくりと煮込まれたバドーフのテール肉のシチューだったからだ。
しかも亜空間に放り込んであったので熱々のまま。
蓋を閉じていてなお漂ってくる芳醇な香りに、ディーオもまた思わず顔がにやけてしまっていた。「喧嘩を止めさせたいなら、この店の前に連れていけ」とさえ言われるマウズ下町で最も有名な食堂の、一番人気の料理だけのことはあるというものだ。
余談だが、冒険者協会に隣接していてディーオたちを始め多くの冒険者の行きつけの店である『モグラの稼ぎ亭』のマスターも、一時この店で修業したことがあるのだが、当時から強面で体格の良かったマスターが厨房から出ることはほとんどなかったこともあって、余り知られてはいない話だったりする。
パンにサラダ、果物まで取り出して並べれば準備は完了である。
「いけないわ。こんな贅沢を覚えてしまっては普通の冒険なんてできなくなってしまいそう」
ゆるゆると頭を左右に振りながらも、ニアの匙が行き来する頻度が落ちることはない。
今更な気もするが、一応これまでは迷宮内であるという緊張感をなくさないためにもテーブルや椅子を取り出すことはしていなかった。
今回は大部屋型という深層ではあり得ない地形な上、ちびっ子魔物たちが周囲を取り巻いて遊んでいるという特異な環境に陥ってしまっていた。特別な状況を作り上げてそれに対抗することで、冷静さを失わないようにしていたのだった。
そして先のニアの台詞こそ、これまでディーオが一人で行動することが多かった理由でもあった。
ディーオが『空間魔法』の〈収納〉を偽装しているアイテムボックスは、数あるマジックアイテムの中でも特に利用価値の高い物である。
それを所持しているという一点だけにおいても、彼のことをパーティーに誘おうとする者は多かった。まあ、そのことについて文句はない。ディーオ自身もまたその能力を最大限に発揮できるポーターという職を選んでいたのだから。
冒険者としてそれなりに独り立ちして行動できるまでの間や、マウズに到着してから迷宮に慣れるまでの期間など、固定のパーティーこそ組むことはなかったが、臨時でいくつものパーティーに雇われたこともある。
パーティーというのは、いわば運命共同体だ。同じルールに従うことで一体感を生み出し、協力関係を強固なものにしていく。
そしてそうしたルールが適用される最も重要なことの一つが食事なのである。「同じ釜の飯を食う」という言葉に代表されるように、仲間意識を高めるためには同じ食事を摂ることが有効なのである。
そうなると当然、ディーオは〈収納〉内にある料理を食べる事はできなくなる。
まあ、中にはディーオが持ち運ぶことのできる料理を目当てにパーティーに誘う変わり者たちもいたが、それはあくまで少数派だった。
せっかく美味い料理が手元――正確には亜空間の中だが――にあるというのに、どうしてわざわざ不味い保存食を食べなくてはならないのか。
迷宮についての知識や生き抜く方法、そして魔物を倒すことができるだけの強さを得ていくごとに、ディーオの単独行動の度合いが増していくのは当然の結果だったといえよう。
また彼は、迷宮内で他の冒険者パーティーと接触しても、可能な限り行動を共にすることは控えるようにしていた。
これはある苦い経験からきたもので、匂いというものは存外広い範囲へと拡散していくものである。
要するに、いくらパーティーメンバーではないとしても、近くで美味そうな匂いを発せられていると腹が立つ、という話なのだった。
こうした事情もあって、ディーオはポーターでありながらも単独で迷宮に挑戦するという変わった冒険者となってしまったのであった。
余談だが、冒険者の中には迷宮内でディーオに遭遇した際に「手持ちの料理を売ってくれ」と交渉する剛の者たちも存在する。
そうした者たちの間では、いつでも料理を購入できるようにと、多めの金を持って迷宮に入ることが常識となっているのだとか。
そうこうしている間にも、鍋の中のシチューはどんどんと減少していた。
「いかんなあ。この後の事を考えると、そろそろ食べるのを止めないといけないんだが……」
五回目のお代わりを自身の皿に入れながら言うディーオ。
その表情は誰が見ても口に出した言葉ほど困っているようには見受けられないものだった。
「そんな満面の笑みを浮かべながら言っても、説得力の欠片もないわね」
案の定、ニアから突っ込まれる。
しかしそう言う彼女も、既に四皿目を終えようとしていたので、似たようなものである。
「このパンも焼き立てで美味しい。外はさっくりしているのに、中はもちもちふわふわ。さすがは市場で一番売れているパンね」
「そのままバターを付けて食べても美味いけど、シチューに浸して食べるのも絶品だぞ」
「……言いたいことは分かるけど、それってマナーとしてはどうなの」
ディーオの提案に軽く眉を顰めるニア。
「迷宮の中でマナーを気にしても仕方がないと思うんだがな」
「それはそれ、これはこれよ。……ほら、見ている子どもたちの教育にも良ろしくないもの」
チラリと向けた視線の先には、こちらをじーっと見続ける幾人もの姿があった。
「子どもって……。確かにちびっ子だが、魔物だぞ」
さっきまで〈障壁〉結界で遊び回っていたはずの魔物の子どもたちである。
「でも、かなり賢そうよ。薄着だけど着ている物はしっかりとしているようだし、遊んでいる様子を見た限りでは無意味な喧嘩もしていなかった。文化度はかなり高いんじゃないかしら。それこそ私たちと同じくらいなのかもしれない」
「おいおい。それはいくら何でも、期待が高過ぎるんじゃないか?」
とはいえ、この迷宮のとんでもなさを考えると、言い切る事はできそうにもなかった。
二十階層のエルダートレントと直接話をして、その知能の高さを思い知らされているのだ。その上彼のエルダートレントは、コナルア草という現在ラカルフ大陸で繁栄している人類が知らない、もしくは忘れてしまった秘薬の原料について知っていた。
そしてこの階層もまた、迷宮の力が色濃く表れた特殊な場所である。特殊個体が発生しているどころか、生息している魔物全てが変異種化まで果たしていたとしても何らおかしくはない。
「三種の魔物の子どもたちが互いに襲い合うこともなく遊んでいたのよ。少なくとも共存関係を築いているのは間違いないはずだわ」
「まあ、それについては同感だな」
仲良く並んでこちらを見続けているラミア、アラクネ、ハーピーの子どもたち。
どう見ても争い合っている関係だとは思えない。
「しかし、この子たちはどうしたものかな」
「それが問題よ。飽きたらどこかへ行くかと思っていたから放置していたけれど、この調子だと延々私たちのことを観察していそうだわ」
「俺たち、というよりシチューを見ているような気が……」
しかも換気用にいくつか開けておいた穴から漏れ出た匂いに誘われたのか、子どもたちの数はディーオたちが起きてテントから這い出して来た時よりも明らかに増えていた。
〈障壁〉の外をぐるりと取り囲むどころか、天井部分からも相当数が覗き込んでいる始末だ。
そのほとんどが目を見開くようにしてこちらの食事風景を見続けていた。半開きになった口から涎が垂れてしまっている子どもも少なくない。
そんな状況下で平然と食事をしていたのだから、二人とも大した神経の持ち主である。
まあ、それもこれも先程まで子どもたちが元気に遊び回っているところや、見る限り栄養状態が悪そうな子どもはいなかったから、なのではあるが。
しかしながら、二人を見ているにしても料理を見ているにしても、これだけの数に取り囲まれているとなると脱出は難しい。
いや、魔物の子どもたちへの攻撃を躊躇しないのであればさして苦労はしないだろうが、二人ともそうするつもりはなかった。
「我がことながら完全に情が移ってしまったみたいね……」
「これが狙いでちびっ子どもばかりを先に接触させたのだとしたら、この階層の大人の魔物は凶悪だな」
「そうね。それこそ人間並みに凶悪ってことになりそう」
ニアの比較に納得しながらも苦い顔になるディーオ。その脳裏には故郷の村から共に口減らしのために売られた者たちの顔がよぎっていた。
一応、それぞれが生活できるようにはなっていたはずだが、彼らは今も元気でいるのだろうか?そんな郷愁にも似た何かが彼の心の中を通り過ぎて行ったのだった。
「まずはそんな悪辣な魔物なのかどうかを見極めないといけなさそうだな」
「その意見には賛成だけど、私たちが悪辣に思われるようなことはしちゃダメよ」
「……ニアの中で俺はどんな人間だと思われているのか」
「時々とんでもない大ポカをやらかしたり、常識外れのことをしたりする人ね」
即答されてしまい、絶句するディーオ。
ただし、前半はともかく後半は自覚している部分もあったので、絶句していなくとも言い返す事はできなかったことだろう。
つまり破天荒な彼の行動の内半分くらいは、実は狙ってやっていたことだったのである。




