4 実地訓練
「さて、それじゃあ始めようか」
「はいはい」
やけに楽しそうなディーオに対し、ニアは微妙にお疲れ気味である。
作戦の内容を聞いた時の事が未だ尾を引いているようだ。一応彼女の名誉のために言っておくと、この反応こそが真っ当なものであり、楽しそうにしているディーオの方がぶっ飛んでいるのだ。
なにせ彼が思い付いた作戦というのが、十字路に〈障壁〉による壁を作ってノーアイズたちだけを〈オーバーフロー〉による洪水で押し流す、という作戦と呼んでいいのか微妙に迷うような力技だったからだ。
しかし力技だからこそ有効であることが分かる、理解できてしまうこともまた事実だった。彼女自身一度はそれを提案したくらいだから当然である。
もっとも、その時は半分以上冗談のつもりだったのだが。
どちらかといえば、十字路のノーアイズたちとは反対側に潜んでいるサイレントファザントたちを巻き込まない、という前提条件さえなければ取れる手段はまだいくらでもある、ということを教えることが目的だったのである。
余談だが、〈オーバーフロー〉のような周囲に多大な影響を及ぼす魔法は、迷宮内では使用を制限、または使用禁止となっていることも多い。
『八階層事件』で四人組が大火傷を負った原因が中規模魔法の暴発だったことを思い出してもらえれば、その理由もおのずと理解できることだろう。
今回彼らがそんな禁を犯してまで無茶な作戦を結構としているのは、ひとえに『変革型階層』で他の冒険者たちと鉢合わせることがないためだった。
ここに至るまでに溜まったストレスの発散という意味合いがないとは言わないが。
「じゃあ、やるぞ」
改めて開始の一言をニアに告げると、ディーオはその場で『空間魔法』を使用するための集中に入った。
実はこれこそ、この作戦を行うもう一つの理由であった。
これまでディーオは自分を起点にして、その周囲で『空間魔法』を発生させていた。例外的にシュガーラディッシュの集合体を倒した際に使用した〈隔離〉や〈虚無〉が少しばかり離れた場所であったが、それとて数尺程度の距離でしかなかった。
対して今回彼が〈障壁〉を発生させようとしているのは十尺以上離れた場所となる。
ディーオにとってほぼほぼ初めて挑戦となるのだった。
ぶっつけ本番で試すなんて、と思うものもいるだろうが、それは違う。彼らにとってこの状況は訓練の延長線上でしかないからだ。
確かに、彼らがいる場所はマウズの迷宮内、しかも深層と呼ばれる前人未到に近い地点である。だが、言い換えるならばそれだけでしかない。
魔物がいても襲われることもなければ、こちらのやることを邪魔してくる訳でもないとなれば、ディーオたちにとっては訓練場と何ら変わることはないのだ。いや、誰に見られることがない分全力を出すことができるので、この場所の方が訓練場よりも恵まれた環境かもしれない程だった。
そして十拍以上の集中の後、
「〈障壁〉」
視界の先、十尺ほどの離れた十字路に不可視の壁がそびえ立った。更に今度はディーオの言葉を聞いたニアが魔法の詠唱に入る。
「溢れ出し水よ全てを押し流せ!〈オーバーフロー〉!」
まっすぐ前へと伸ばされた左手の先から、大量の水が現れ流れていく。ニアによって生み出された水はすぐに通路一杯に広がり、十字路までの半分、五尺を進む頃には一尺以上の深さにまで増加していた。
怒涛の如く進む洪水の音でようやく異常を感知したのか、ここに至ってノーアイズたちが慌て始めたのだが全ては遅過ぎた。
ニアの制御を離れた水たちは後方からやって来る同胞に押されて、前方の空間へと殺到を始めたのだ。
それはこれまでとは比べ物にならないほどのスピードだ。あっという間に十字路へと到達すると、斜めに分断するように張られた〈障壁〉へと衝突し、逃げ場を求めてノーアイズたちが潜む通路の方へと強制的に方向転換させられたのだった。
もしもこのノーアイズたちが本来の住処である自然豊かな森に生まれ育っていたならば、結果は異なっていたかもしれない。
しかしこの場にいたのは迷宮の中で生きてきた、迷宮しか知らない者たちであった。
結果、迫り来る激流から逃れる事もできずに、潜んでいた十二匹全てが呑み込まれ、水流の腹の内で上下左右も分からないままかき回されて溺れ死ぬこととなるのだった。
「さて、もう一仕事だな」
その様子を脳内に展開した〈地図〉によって確認したディーオは、そう言い残すと〈跳躍〉によって激流が流れていったのとは反対側の通路へと短距離転移する。
「キョエー、キョエー!?」
「ギョユアー!」
「ピィー!?」
そこでは五羽のサイレントファザントが狂ったかのように飛び回っていた。
種族名に対して正面から喧嘩を売るかのごとき騒がしさである。
「大方、リーダーか使役主だったノーアイズが流されて混乱したってところか」
他に比べると狭い空間に押し込められる結果となるためか、迷宮では魔物が別の魔物を使役するということが比較的起きやすいとされている。
特に知能が高い人型の魔物に多く見られる現象だ。もっとも人型の魔物の中にはオーガ種のような脳筋種族もいるので、絶対にそうだという訳ではない。
逆に、今回のノーアイズのように獣型に分類される魔物であっても他の魔物を使役していることがある。要するに、おかしな固定観念は持たずに、そうした事象が発生するかもしれないということだけを頭に入れておけば良いのである。
閑話休題。混乱したサイレントファザントに話を戻そう。
といっても元より狩る予定だったものたちである。一羽ずつ狩られて、あえなく全滅したのだった。その際『空間魔法』の練習のために、わざと極小の〈裂空〉で首を切断するという方法を取られたために、余計に混乱が助長することになってしまった以外は、無事に終了したと言えるのかもしれない。
そして四半刻後、ディーオたちは十数頭のイビルハウンドに取り囲まれていた。
「断末魔に狂乱した叫びだから、他の魔物が寄ってくることはないと思ったんだがな……」
「……ディーオって時々大ポカをやらかすわよね」
二人の言葉通り、原因は先程のサイレントファザントの始末の仕方にあった。
そしてディーオの考えだが、これは正解でもあり間違いでもあった。魔物といえども生き物である以上、恐怖心などの感情は持っている。よって断末魔や恐怖由来の叫び声を聞けば遠ざかるなり距離を取る種も多いのである。
一方で、一般的な動物に比べると魔物に分類される者たちは強い。そのためか危機意識が希薄になっている個体も多いのである。
現在二人を取り巻いているイビルハウンドの群れは、そうした強者だったがゆえに生物が本来持ち得ていた危機感をどこかに置き去りにしてしまっていたのだった。
しかし相対した相手の力量を見抜けるだけの眼などは持っておらず、自分たちが格上相手に喧嘩を売ってしまっていることにすら気が付いていない始末である。
そもそも優れた嗅覚を用いて対象を執拗に付け回し、追いかけ回すことで体力を奪っていくことがイビルハウンドの真骨頂だ。いくら数が多いとはいえ、相手にその姿を晒している時点で本来の力を発揮できない状態に陥っていたのだった。
「基本的な性能はこいつらの方が上だけど、影に潜るとかいう厄介な特殊能力がある分、シャドウハウンドと戦う方が面倒かもな」
じりじりとした様子見に耐えかねて飛びかかってきた一体を串刺しにしながらディーオが言う。
それなりに連戦続きではあったが体力的にはまだまだ余裕がある現状では、負ける気がしなかった。更に言えば魔力も十分であり、いざとなれば〈障壁〉による安全地帯を構築することもできる。
要素という点からも彼らが負けることなど皆無であったのだ。
「そうね。あの特殊技能を使用されている間は、魔法でさえ効き辛いもの。八階層であれに当たらせるというのは、正直難易度が高過ぎると思うわ」
ニアはニアで、ぼやきながらも床から何本もの石槍を生み出しては、数匹をまとめて葬っていた。
ちなみに血の臭いに酔いやすく、その状態だと単調な攻撃しかしてこなくなるという致命的な弱点があるため、シャドウハウンドによる犠牲者はそれほど多くはない。
「悪いけど、のんびりと遊んでいられるほど暇じゃないから。〈裂空〉!」
大振りに槍を振ることで残る数体を一カ所に固めてから、『空間魔法』で一気に殲滅を計る。
「おまけよ。〈ファイアーボール〉!」
ニアの火球も炸裂し、辛うじて生き残っていた個体も炎に撒かれて息絶えるのだった。
「……革がダメになってしまったわね。火の魔法は失敗だったかしら?」
「それなりに無事なのも残っているから良いだろう。言い出すときりがないしな。ほら、さっきのノーアイズとか」
〈オーバーフロー〉によってどこへとも流されてしまったため、件のノーアイズたちの遺骸は、ディーオたちではなく迷宮に回収されてしまっていたのである。
比較的マシな状態のものを〈収納〉で亜空間へと放り込み、二人はさっさとその場を離れることにした。
「ところで、ディーオ。さっきの実験の結果はどうだったの?」
「目視ではっきり見えている範囲が限界だったよ。〈地図〉上から発生させるのはしばらくは無理だな」
「魔力の消費具合はどう?」
「通常使用する分の約二倍というところだったな。どれも同じ感覚でいけるのかは要確認だ」
遠距離に発生させた〈障壁〉についての使用感等々を確認していく二人。場合によっては切り札として使える、もしくは使わなくてはいけないかもしれないのだから重大事項といえる。
「目視の範囲でなら展開できると分かっただけでも上々よ。消費二倍はちょっとネックとなるかもしれないけれど」
「後は発動させるまでの時間だな。さっきのようにこちらが動くまで待っていてくれるなんていう楽な状況はそうないだろうし」
十拍以上ともなると、足の速い冒険者であれば百尺を超える距離を移動できる。魔物であれば大半はそれ以上だ。
つまり、見えてから準備を始めてはとてもではないが間に合わないことになる。
「〈地図〉で動きを先読みするか、そもそも普段通りに間近で使用するか。その辺りの判断ができるように訓練することも必要になりそうだ」
『空間魔法』を完全に使いこなせるようになるまでは、まだまだ先が長そうである。




