7 三十二階層へ
そうこうしている間に、三十階層へと戻る階段と三十二階層へと進む階段の両方共を発見することができていた。
「俺たちは先へ進ませてもらいますよ」
「この先も危険で厄介な階層が続いている。気を付けて探索を進めて欲しい」
マウズの迷宮が生み出されてから、未だに二桁の数の人間しか到達しえていない深層だ。支部長の言葉は今更と言えば今更な話といえる。
だが、心構えをしておくことは迷宮探索に関わらず冒険者にとって基本中の基本でもある。
ほんの少しの油断一つで命を落とす危険性があるのだから口酸っぱく言いたくなるというのも道理であろう。
しかも今は、三十一階層の異様を直に見て感じ取ったばかりなのだ。この先どんなおかしな状況になっていたとしても一向に不思議ではないと、支部長は半ば確信めいた直感を持っていたのだった。
余談だが、深層へと到達しているとされている人数は、あくまでもマウズの冒険者協会が把握しているだけの数ということになる。
グレイ王国を始めとした各国の諜報機関や潜入機関の者たちやその関係者などを含めると、百から二百の間の数が深層へと至っているだろうと支部長は予想していた。
ただし、無事に帰還してきている者となると恐らくはその半数、継続的に今でも深層への進入を繰り返しているのは三割にも満たないのではないかとも考えていたのだった。
「二人とも十分な力を持っているということは今更疑ったりはしないが、数というものはそれだけで脅威ともなるものだし、人数が少ないことでどうしても穴が増えてしまうということもある」
階段の存在を隠している極小の魔力遮断結界のこともある。〈地図〉及び〈警戒〉の隙を突かれる可能性もないとは言えない以上、ディーオたちはその言葉を真摯に受け止めていたのだった。
「せっかくここまで来たのだから、無駄死にはしないつもりです」
「しっかりと用心しておきますよ」
一方で、あまり緊迫し過ぎても碌なことにならないというのもまた事実だ。重苦しくならないよう、努めて軽く返す二人なのであった。
一団の者たちは苦々しく感じながらも、そんな彼らを見ていることしかできなかった。ディーオたちもまた連中の気持ちは分かってしまう分、特に何も言いはしない。
三十一階層でのことに礼を言おうにも、後に残される者たちからすれば嫌味にしか取ることができないであろうから。
まあ、一団の力量であれば遭遇するゴーレムたちを殲滅しながらでも新しい階段を発見するのは時間の問題だと思われる。
何より、ディーオたちが使用することによって今ある階段が消えてしまうという確たる証拠はないのだ。そうであれば、約束通り約四半刻後には自分たちと同じ三十二階層へとやって来ることになる。しかも最悪は仲間だとして同じ場所に放り込まれる可能性すらあるのだ。
そうでなくとも迷宮探索は早い者勝ちが基本だ。はっきり言ってのんびりとはしていられない。
ちなみに、ディーオたちが発見した階段を使用することで三十階層へと戻る階段も一緒に消えてしまう可能性もあるのだが、そこは現役特級冒険者という人型の化物である。
誰一人として支部長のことを心配する者はいないのであった。
「それじゃあ、お先に」
改めて一言告げてから階段を下り始める。
緩く右へと湾曲していたのか、しばらく歩いた後に足を止めて振り返ってみると、彼らを見送っていたはずの支部長たちの姿は見えなくなっていた。
ニアと顔を合わせて頷きあうと、再び先の見えない階段を下りていく。
カツンカツンという彼らの足音だけがやけに大きく、そして不気味に反響し続けていた。
「ようやく到着、だな」
長い長い階段をようやく終え、新しい階層へと着いたことでホッと息を吐く二人。
ディーオは二百を数えたくらいで、ニアでも三百を超えた時点で段数を数えるのを諦めていた。そこからニアの体感でさらに同じだけ手色の時間が経過していたといえば、いかに長い道のりだったのかが理解してもらえるだろう。
「途中からこの階段自体が罠だったらどうしようかと、本気で焦ったわ……」
口にこそ出さなかったが、ディーオも同様の疑惑が何度も頭をよぎっていたため、体を震わせているニアの気持ちはよく分かった。
これまで、こんな長い階段があったなどとは見たことも聞いたこともなかったからだ。
身体的にはともかく、精神的な疲労が酷い。しばらく休憩を取るべきだと、階段から少し離れた場所にゆっくりと腰を下ろした。
もちろん、いつも通り『空間魔法』の〈地図〉と〈警戒〉で階層の様子を脳内に展開させることは忘れてはない。
むしろそれを行ったことで問題ないと判断したため、この場で即休憩を取ることにしたのだった。
「階段が閉じた……。ということは『変革型階層』であることには間違いないようだな」
背後にぽっかりと開いていた上り階段が埋まり、壁となったことを確認する。
「それにしても、どうしてこんなに長い階段だったのかしら?」
「さて、な。まあ、いくつか仮説は立てられるけど、検証のしようがないからなあ……」
ニアの疑問にぼやくように答えるディーオ。
実際、彼の頭には二つほどの仮説が浮かんでいた。加えてどちらも同一集団として認識されていた彼らと一団の者たちが別行動を取るというイレギュラーな動きをしたために起きたものではないかと予想していたのだった。
「まあ俺の仮説だと、同一集団として認定した者たちを迷宮が同じ場所に送ろうしているっていう、これまた検証のしようがない仮説が前提になるんだけどな」
「ああ……。確かにそれは簡単に検証できるものじゃないわよね」
肩をすくめて言うディーオに、ニアは苦笑いを浮かべていた。
ついでに言えば、同一集団が別行動を取ることがイレギュラーで想定外な行動だという考え方を迷宮が持っていなくてはいけないことにもなる。
はっきり言って、ここまでくると空想だとか妄想だと言われても仕方のないレベルである。
「一応その前提が正しいとして、だ。イレギュラーな俺たちの動きに即応しきれなかった結果だというものと、元々階段の使用期限が設定されていたという二つを考えた訳だ」
「……どちらもあり得そうといえば、あり得そうなものね」
ただし、前者であった場合は何をもってして同一集団ではなくなったと判断したのかによって、また話は変わってくるのであるが。
「だろう。後、完全に今まで意識の外だったが、階段タイプの罠があるという可能性も頭の隅に置いておく必要があるかもしれない」
「階層を繋ぐ階段は安全圏だという認識があったから、そんな罠を張られたとしたら一網打尽になりそう……」
「生き物を誘い込む必要があるという話だから、低階層から中階層まではそんなある意味ルール違反なことはしないと思う。だが、最深部が近い今、迷宮の方もなり振りを構っていられないかもしれない」
「どんな凶悪な罠がでてきてもおかしくはないということね」
「できるなら最低限のルールくらいは守ってもらいたいが、迷宮自体が一つの世界だとかなんとか言われることもあるし、当てにしない方が賢明だろうな」
外の常識はもちろん、今まで通用してきたことが急にまかり通らなくなる。迷宮とはそんな不条理な存在でもあるのだった。
「まあ、罠にはこれまで以上に用心するとして……。生息している魔物にはどんな傾向があったんだったか?」
「協会に置かれていた資料の通りのままであるとするなら、大型で肉食の獣型魔物三種が三つ巴の争いを繰り広げている、とのことよ」
即ち、ソードテイルレオとファングサーベル、そして城郭犀である。
偶然か必然か、三十二階層に出現するこの三種の魔物は全てグレイ王国が隣接する魔境、『灰色の荒野』に生息している魔物でもある。
「確か、ファングサーベルは四人組が討伐したことがあるのよね?」
「ああ。故郷の村にまで迷い出てきたところを倒したらしい」
実はこの一件には裏の事情がある。
この時、村にはグレイ王国の依頼を受けて『灰色の荒野』の外延部の調査のために冒険者協会から派遣された職員を含む調査員一行が滞在していたのだが、運悪くその調査の折に中心部から迷い出てきていたファングサーベルに遭遇してしまったのである。
ここまでだけなら不慮の事故なのだが、彼らはその後で大きな失態をしてしまう。あろうことか、ファングサーベルを誘導するかのように村まで逃亡したのだ。
確かに、人員の大半が調査を目的とした構成であったこと、低予算のために碌な護衛を雇うことができなかったことなど、情状酌量の余地がある部分はいくつも存在はする。
が、仮にも冒険者協会の職員が同行していたにもかかわらず、一般人が暮らしている場所に凶悪な魔物を誘導してしまったことは汚点と言ってしまえるほどの大失敗である。
運よく四人組が討伐できたから良かったものの、最悪村一つが壊滅してしまう事態であったのだから。
四人組が期待の新人としてやけに持ち上げられていたのも、これに起因している。
彼らをファングサーベルを倒した若き英雄とすることで、自分たちの失態を隠そうとしたのである。
ただ、これには村側の都合も絡んでいる。調査団の誘導という面はあれども、村から近い場所にファングサーベルが出没したということは事実だ。
これを重く見た村長を始めとした村の重役たちは、同行していた冒険者協会の職員にある取引を持ち掛ける。調査団の失態に目をつぶる代わりに、村を調査拠点として用いるように要求したのである。
調査拠点ともなれば頻繁に人が訪れることになり、また防衛のための人材も派遣されるようになると踏んだのだ。
そして職員たちは、この要求を呑む条件として四人組を冒険者として預かることを提示、村側もこれに応えたのであった。
見ようによれば、村から売られるような形となった四人組であるが、彼ら自身、狭い村の生活に飽き飽きしていたこともあって、前向きにどころか率先してこの話に乗った。そのためか、この手の話としては珍しく、誰も不幸になる者がいなかったのは救いといえるのかもしれない。
もっとも、初心者訓練のために連れて来られたマウズでディーオにコテンパンにのされて以降は、何度も死にかけたりして冒険者の過酷さを身をもって知ることになるのであるが。
しかし、それ以上に周囲のフォローなどもあり、本人たちは苦しいながらも面白おかしく過ごしているのだった。
「四人組が倒せたからといって、楽勝だとは限らないぞ」
「そんなに甘いことは考えていないわよ」
「そうか。ならさっそく俺たちの事に勘付いた一頭が近くにまでやって来ているから、さっくりと倒してくれ」
「ちょっと!そういう大事なことはもっと早く言って!?」
唐突なディーオの宣言に慌てて魔法の準備に入るニア。
だが、現れたのはまだ年若い個体だったのか、比較的小さいそれは彼女から放たれた氷の尖塔に貫かれて、彼の台詞通りさっくりと息絶えることになるのだった。




