5 仕切り直し
三十一階層の探索を始めてから一刻程度で、ディーオたちは次の階層へと進むことを諦めた。
元々三十一階層の様子を探ることと、深層に慣れることを目的としていたためだが、〈地図〉に階層を抜け出すための階段が記されることがないことが、二人にとって予想以上に大きな負担となったのである。
もちろんそれ以外の階層の形状や罠の位置、そして魔物の居場所などは普段通り表示されていたため、他の冒険者に比べれば遥かに楽ができる状態ではあった。
だが、いつもできていることが不可能になるということは、それだけで重圧となる。
それが生死を分ける事態に直結するとなれば尚更だ。
「自分で思っていた以上に、俺は『空間魔法』に依存していたみたいだな……」
比較的大きな部屋のような形になった空間の内、目に付き難い場所で休憩を取りながらディーオがそう呟いた。
その声音にはこれでもかと自嘲が込められている。
エルダートレントとの会合を果たした際に同行していた『新緑の風』に触発されて、地力を高めることがいかに重要かを理解していたはずなのにこの体たらくだ。
己の甘さに腹が立つのを通り越して、呆れ果ててしまっていたのだった。
「ディーオ、そんなに自分を責めないで。あなたをそんな風にしてしまったのは多分、いいえ、きっと私なのだから」
「ニアに『空間魔法』のことを教えたことは関係ないさ。要は代案や代わりになる手段を考えることなく、これなしでは身動きが取れなくなった俺の怠慢だ」
「あなたの気持ちも分かる。きっと反対の立場なら私でもそう考えてしまうでしょうから。……だけど、私たちはコンビを組んでいる者同士よ。いわば一蓮托生の間柄なの。だったら、その重荷を私にも背負わせて」
傍から見れば何の寸劇かと突っ込みを入れたくなるような会話であったが、本人たちは至って真面目だった。
とりあえず一つだけ確実なこととして、今いる場所が迷宮の深層で他の誰にも聞かれることはなかったことは二人にとって幸運なことだったと言える。
もしもマウズの町中であれば、多くの嫉妬や憎悪といった負の感情のこもった視線が――主にディーオに――注がれることになったであろうから。
まあ、それと同等かそれ以上の数の面白がる視線も集まることになるので、すぐさま事件へと発展するということはないのだが。
それ以前にそんな視線に晒されていることに二人が気付かない可能性もあったりするので、実は大した問題ではないのかもしれない。
「と、とにかく、少なくとも三十五階層までは『変革型階層』が続くのよね?それならしばらくはこの三十一階層への出入りを繰り返して、階段を探すことに慣れておくべきだと思うわ」
ようやく少し手を伸ばせば触れ合えるほどの距離で見つめ合っていたことに気が付いたニアが、顔を真っ赤にしながらそう述べる。
「そ、そうだな」
一方のディーオも同じように顔を赤くしながらそっぽを向く。
やはり例え町中であっても、この二人であれば野次馬の視線など意に介さなかったかもしれない。
「しかし、それならニアにも階層内の様子が分かるようにするべきだな」
「確かに、私も大まかな階層内の形と罠の配置くらいは知っておいた方が便利そうね」
と、返事をした時点で何か感じることがあったのか、ニアが急に黙り込んだ。
「ニア?」
「……ねえ、もしかすると結界で罠を隠しているということもあり得るんじゃないかしら?」
「ああ、それなら恐らく心配はないな」
「なぜ?」
「迷宮の罠は大なり小なり魔力が込められている。それに対してあの結界は間近にある魔力を吸収してしまうものだから、結界で隠そうとすると罠が動かなくなるはずだ」
ちなみに、込められている魔力が低い順から、一人用の小さな落とし穴、飛んでくる矢、飛び出す槍衾、落ちてくる毒液、噴出する毒ガス、各種攻撃魔法、周囲一帯の陥没、モンスターハウスとなっている。
だが、毒の矢や落とし穴の下に槍衾といった複合的な罠も複数存在するので、込められた魔力量から罠の種類を完全に特定することは不可能に近い事であった。
「しかし、迷宮の中では絶対なんてものはないってことも、最近嫌というほど味合わされているからな……。ニアの言う通り用心はしておくべきかもしれない」
思い込みで無警戒になり、その挙句命を落としてしまうなど愚の極致だと言える。
もっとも用心し過ぎて疲弊してしまっては元も子もないのだが、その辺りの力の入れ具合や抜き具合に関しては訓練で身に着けることが可能だ。
「他にも気に掛かることがあれば言っておいてくれ。ここから先は単純なミスや油断でも命取りになりそうだからな」
「ちょっと待って、そんなにプレッシャーをかけないでよ……。ううん……。あ、結界の近くに魔物がいた場合はどうなるのかしら?」
「それは……、感知できないかもしれない」
つまり最悪、不意打ちを受ける危険すらあるのだ。
「これは本格的に迷宮探索の初心に帰る必要がありそうね」
「そう、だな。幸いここなら三十階層に戻れさえすれば町へと帰る事もできるからな。ただ、生息している魔物は低階層とは比べものにならないくらいに強いだろうけれど……」
「それを言わないでよ……。でも、あらかじめ出現する魔物の種類が分かっているのだから、それだけでもマシというものだわ」
何だかんだ言いながらも自分たちにとって利点になることを挙げていけるあたり、実は二人揃って楽天的な思考をしているのかもしれない。
しかしそれは決してマイナス要素という訳ではない。こうした前向きの思考や性格というものは、冒険者として大成するための得難い資質の一つでもあるのだ。
というより、過去に捕らわれてばかりの後ろ向きな性格では、冒険者稼業は務まらないと言った方が適当かもしれない。
それでも上手く自分たちの性格に付き合っていくことができるか、それとも図に乗って身を滅ぼしてしまうことになるのか。
まだまだ成長の余地がある二人の未来がどうなるのかは、神のみぞ知ることなのであった。
さて、未来も大切であるが現在もまた重要だ。
そしてここは魔物が徘徊する迷宮のど真ん中なのである。
死角になり易い位置に陣取っていたとはいえ、声の方はそれほど抑えていた訳ではない。となれば彼らの存在に勘付くものが現れるのは道理というものである。
「……ニア、どうやら御出でなさったみたいだぞ」
「あら?随分と時間が掛かったわね。もう少し早く見つかると思っていたのだけれど。まあ、いいわ。ところで相手は?」
「兵士型が単体だ。巡回中に俺たちの声が聞こえたというところだろう」
「増援もなし?」
「ああ。運の悪いことに適当な個体が近くにはいなかったようだ」
「私たちにとっては、運が良いこと、だけどね」
やがて雑談交じりの情報共有をしている二人の元へ足音が聞こえてくる。
もっとも、コツコツと石畳を踏み鳴らす音よりも、身に着けた鎧が鳴るガシャンガシャンという音の方が大きかったのだが。
「淀みのない一定間隔の足音……。間違いなく兵士型だわ」
その音が大分近くなってきた頃合いになって二人は腰を上げた。
「今度はどちらがやる?」
「私からやる。ちょっと確認しておきたい事があるの」
「確認しておきたい事?」
「さっき〈トライカッター〉で倒した時に、どうも効果が悪かった気がするの。だからもしかすると属性ごとに耐久の度合いが違うのかもしれないわ」
協会の資料コーナーに置かれていた物には、魔法はそこそこ通用するとしか書かれていなかった。
そのため、場合によっては魔法耐性の違いは個体差である可能性もあり得るのではないかとニアは考えていた。
「そうだとすれば後は場当たり的に対処するしかなくなってしまうのだけれど……。それでも調べておいて損はないと思うの」
「個体によって各属性魔法の効果が異なってくると分かるだけでも、十分に成果となるはずだ。で、俺はフォローに回ればいいのか?」
「魔法を準備する間の足止めをお願い」
「了解!」
広間へと入ってきたそれの姿が見えた瞬間、二人はそれぞれの行動を開始していた。
ディーオは頼まれた通り魔物の足止めをするべく敵へと駆け寄っていく。その際、ニアが魔法を使いやすいように射線を開けておくことも忘れない。
「そらっ!」
こちらへと意識を集中させるように、ことさら大振りに、そして大袈裟に攻撃を繰り出す。
その手には〈収納〉で取り出した愛用の短槍がいつの間にか握られていたのだった。
ガンッ!
堅い物同士がぶつかり合う鈍い音を残して、短槍が人型をした敵の持つ盾によって受け止められてしまう。が、足止めこそが目的であるため何の問題もない。
しかし完全に役目を果たせているのかどうかは疑問が残る。なぜなら兜こそこちらへと向けられていたのだが、その奥からの視線というものが感じ取れなかったからだ。
「まったく、魔法生物っていうのは厄介なものだな!」
魔法生物というのは、魔物の中でも魔力によって動くものの総称である。
現在ディーオたちが相対しているのは魔動彫像と呼ばれる種類で、魔法生物の代表格と言えるような存在である。
なお、生物と呼称されているものの、多くは無機物であり普通の生き物では不可能な挙動をとる事もできる難敵だ。
更にその体躯は疲れを知ることがないので、力比べをしようものなら余程の力自慢でも、じわりじわりと押し負けていくことになる。
「ふん!……ぐぐぐ!」
ディーオとて冒険者として一般人とは比べ物にならないだけの力はあるが、それでもパーティーを組んで前衛専門として鍛えている者たちには到底及ばない。
そんな者たちですら競り負けてしまう相手に、彼が勝てることなどあるはずがなかった。
あっという間に体勢を立て直されて、逆に押し返されてしまう。しかも盾を手にしているのは片手、つまりもう片方の腕はがら空きな状態だ。
その腕が手にした剣でもってディーオの命を刈り取ろうと動き始めたまさにその瞬間、
「〈ファイアーボール〉!」
これもまた攻撃魔法の代名詞と呼んでも支障がないだろう超有名魔法が飛来する。
ゴーレムからはすれば完全に横合いからの攻撃となっていたため、避けることも捌くもできずにまともに被弾した上、着弾時の小爆発によって発生した衝撃によって吹き飛んでいく。
「うあっつ!?」
だが火の玉という形状から、それは時として味方をも巻き込んでしまうことになる。
ゴーレムの盾の内側に着弾したため、小爆発などの影響は受けなかったが、その熱気までは遮る事はできない。
結果、ディーオは後方へと転がる形で距離を取ることになったのだった。
ただし今回の場合は、全てニアが悪いとは言い切れない。元々は魔法で攻撃をするという前提で行動していたはずなのに、力比べに興じてしまっていたディーオにもそれなりの責任はあるのだ。
あまつさえ負けそうになっていたのだから、慌てて魔法を放たれたのもある種当然であった。
「気を付けてよ!」
「すまん!」
そのことに自覚があったのか、苦言に対して短く謝ると、起き上がろうともがいているゴーレムへと近寄る。
「〈ロックシュート〉!〈ウインドカッター〉!〈アイススピア〉!」
その間にもニアは次々と異なる属性の魔法を生み出してはゴーレムへとぶつけていく。
結局ゴーレムはまともに起き上がる事はできないままに、複数の魔法を喰らってその動きを停止させることになるのだった。




