3 続・情報のすり合わせ
「そして、あの『転移石』のことを秘密にしていた理由だが、単純に恩恵に与れない者たちが騒ぎ立てるのが目に見えていたからさ」
二十一階層から続く迷路状の階層は、それまでとは比べ物にならない程の難易度となっている。加えて、根本的に探索の仕方が異なる大部屋型の階層が十六階層から二十階層まで続いていたこともこの迷路状の階層の攻略を難しくしている要因となっていた。
そのためここで足止めをされることになったり、それ以上の階層踏破を諦めたりする者たちが相当数存在していたのである。
「困ったことに、中には自分たちの準備不足や実力不足を棚に上げて、こちらに文句を言ってくる連中もいるんだよ」
そうした者たちが槍玉に挙げているのが、十四階層で設置が止まってしまっている『子転移石』についてだった。
「どうにも目的の階層に直行できることが当たり前だと勘違いしてしまっている輩が増えているようだ。しかも事情を知らない町の人々ならともかく、冒険者からしてこれなのだから嘆かわしい限りだよ」
余談だが、それらの内の何割かは他の国々の貴族などと繋がりを持つ、所謂紐付きの冒険者たちである。こうした者たちは程度の差はあるが、『冒険者協会』やマウズの迷宮、ひいてはグレイ王国の評判を下げることも任務として請け負っていることが多い。
支部長たちもそうした連中の洗い出しを進めてはいるのだが、いかんせん出入りが激しい――あの世へと出張る者たちも含めて――ために全てを把握するには至ってはいないのだった。
「そんな訳で、十五階層以降の『転移石』設置が進まない以上、秘密にせざるを得ないのだよ」
協会としてもシルバーハニーの生息域である十六階層やシュガーラディッシュに取引相手であるエルダートレントがいる二十階層への『転移石』の設置は、なんとしても行いたいことの一つである。
実は現在も極秘で『転移石』設置作業は行われているのであるが、芳しい成果は得られてはいなかった。
「秘密にしていた理由は分かりました。では一番肝心の質問です。三十一階層以降に対応する『子転移石』は存在するんですか?」
「ない。少なくとも私の知る限り、つまり三十五階層までの間には見当たらなかった」
どうやら世の中、そう楽はできないようになっているようだ。まあ、低階層と同じ環境が深層に用意されているとなれば、それこそ身の程知らずが騒ぎ立てたり無茶な突貫を仕掛けたりするのは目に見えている。
どんなに上手く隠し通していたとしても、いずれはどこからか漏れ出て行ってしまうのが秘密というものである。そうした情報を管理している支部長を始めとしたマウズの冒険者協会の面子にとっては、隠し事は少ない方が良いというのも本音だった。
「件の『転移石』に関しては以上だ。納得してもらえたかい?……と言っても知り得ていることは全て話したから、こちらとしては納得してもらう以外ないのだけれどね」
そう言って苦笑いを浮かべる支部長。その様子から嘘は言っていないと感じ取ったディーオだったが、まだ付き合いの浅いニアはそうもいかない。
「え?本当に全てを話してもらえたんですか?」
「ああ、もちろん。深層に至れる優秀な冒険者と袂を分かつ程、私たちは愚かではないよ」
「あ!すみません。そういうつもりで言った訳ではないのですが……」
「気にしなくていい。まあ、手札の一部を隠しておくのは常套手段の一つだろうからね。特に組織立って動いている者を相手にするならば、その認識を持っておくのは正しいと思う」
不躾どころか、失礼にまで踏み込んでしまっていたニアの言葉にも、支部長は顔色一つ変えることなく答える。
それを見てディーオは役者が違うと内心唸っていた。元研究者として、そして魔法使いとして豊富な知識を持ち、まさしく才気あふれると形容できるニアだったが、支部長はそんな彼女の上を行っていた。
覚悟や立場に背負っている物と、二人の違いを問われればいくつもの事柄を上げることができるだろう。しかしその根幹にあるのはたった一つ、経験の差となる。
決して特別なものではない、得ようと思えば誰しもが得られるものだ。だが、それは同時に大量の手間暇も必要とするものである。やりようによっては所謂『濃い経験』をすることも可能ではあるが、それとて密度を高めるのには限度というものがある。
だからこそ人間の数倍、場合によっては十倍に迫る長い期間で培われてきた膨大な経験は、支部長の最大の強みとなっているのであった。
それなりに丁々発止のやり取りを行い、時にはやり込めることもあったつもりのディーオであるが、実は彼の掌の上で踊らされていただけではないのかと、少々薄ら寒いものを感じてしまう。
実際には支部長とて全てを見通せている訳ではないので、ディーオの明後日の方向からの切り返しを捌ききれずに煮え湯を飲まされたことは度々ある。
そしてそうした対応をしてくるからこそディーオのことを気に入っているのであるが、そうした点については当然のごとく語られることはないため、ディーオとしては不安を感じてしまうことになるのである。
つまり、ここでも支部長の持つ経験からくる策略は見事に効果を発揮していたのだった。
「さて、本音としてはここで終わり、君たちの今後の活躍を期待していると言ってお開きにしたいところなんだが……。そうもいかないのだろうね」
「ま、まあ、その選択肢がないとは言いませんが……」
欲望に忠実な発言にニアが頬を引きつらせながら返す。
何もなかったことにしたいのはディーオたちも同じなので、なかなかに魅力的な提案ではあるのだが、そうなると仕舞いこんだあれらは箪笥の肥やしならぬ異空間の肥やしとなってしまう。
倒した魔物を丸ごと放り込んだりもしているので今さらだと思われるかもしれないが、食料や日用品その他も放り込んでいるので、できることならなるべく早く出してしまいたいとも思うのだった。
「そうなると俺たちとしては別の誰かに話を通すことになりますよ?」
そのため、彼らとしてはそうせざるを得なくなるのだった。
「……そこで話が止まるという可能性はないかな?」
「ない、でしょうね。ほぼ確実に支部長の所まで上がってくるはずです」
「はあ……。君たちがそこまで判断することのことか。これは心して聞く必要がありそうだ。うん?そういえば場所を変えなくてはいけないとか言っていなかったかね?」
「最終的にはそうなると思います。ともかく、まずはあらましだけでも説明させてください」
と、何とか言い包めて三十階層の『子転移石』が設置されていた反対側の部屋で、五人分の死体を発見したこと、そしてそれを持ち帰って来ていることを告げたのだった。
「冒険者の亡骸か……。痛ましいことだな。だが、発見された場所が三十階層だということを加味してもそれほど珍しいことではない。うちの担当の者に遺品か遺体を引き渡せばそれで終わりの話だろう」
余談だが、過去には遺品を持ち帰った者に少ないながらも報酬が与えられていたのだが、それを目当てに冒険者に成り立ての若者が襲われるという事件が連続したため、現在ではその制度は廃止となっている。
それでも以前述べたように、明日は我が身かもしれないという思いから、大半の冒険者は同業者の遺体を発見した時には、身元を証明するための品物を探し、持ち帰っていた。
「いくつか不審な点があります。まず死んだ者たちの内一人は金属製の全身鎧を身に着けていましたが、それについて俺は見覚えが全くありません。二つ目、どの死体にも血が流れた後がありませんでした。つまり死因が怪我によるものではない可能性があります。そして三つ目、今気が付いたんですが、死んでから腐敗が始まる程の期間放置されていたにもかかわらず、装備が全て残っていました」
「……ふむ。一点目はディーオの勘違いという可能性も考えられるな」
「そんな!?」
まるで聞く耳を持たないような無碍な回答に、ニアが思わず抗議の声を上げる。
が、片手をあげることでそれを制止させて、支部長は話を続ける。
「とりあえず最後まで聞きなさい。……ええと、次は二つ目だったかな。流血の後が見られないという話だけど、迷宮の罠の中には毒をまき散らすというものもあるから、それにやられたとも考えられる。そして三つ目だが、迷宮内で亡くなった者たちをアンデッドモンスターとして使役しているところもあるという。一概に全ての装備品が迷宮に回収されると決まっている訳ではないよ」
つまりディーオが挙げた点だけで異常だと断定してしまうのは早計であるようだ。
「一度、変だと思い込んでしまうと、それに捕らわれて関連する何もかもがおかしいと思えてしまう。そういう時には一度思考を平坦な状態にしてみることも大切だ」
先達の心得にしっかりと耳を傾けるディーオとニア。
素直な生徒たちに満足感を覚える一方で、もう少し疑うことも覚えた方が良いのではないかという心配も込み上げてくる。
加えてどんな場面でもそうした対処をした方が良いと限らないし、できるとも限らないのだ。冒険者を続けていれば即断即決を迫られる機会だけでなく、一時の迷いが命を落とす原因となるような状況に追い込まれてしまうことだろう。
何をどの程度考慮していくのかは、それこそ経験を積んで自分なりの答えを見つけ出すより他ないのだ。
「色々と意地悪なことを言ったが、不審に感じたのも理解できる。三十階層よりも先に進むことができるような連中が、ディーオの持つアイテムボックスの有用性に気が付かないなどあり得ないことだ。君が見覚えがないというのであれば、そいつらは冒険者ではないのかもしれない」
「冒険者ではないって、そんな人間が迷宮に入ることができるんですか?」
ここでいう『冒険者』とは『冒険者協会』の職員や関係者も含まれた広義のものである。
「もちろんだよ。確かに迷宮を管理運用しているのは『冒険者協会』だが、その所有権そのものは迷宮のあるそれぞれの国なんだよ。だから国の認可を受けた者であれば、我々に断りを入れなくとも迷宮に入ることに問題はない。まあ、入口でその証明を行うことにはなるから、そうした人物が迷宮に入ったことを我々の側でも把握しているというのが大半だけどね」
反対に言えば、見張りを買収したり懇意になったりして、報告が上がらないように迷宮へと潜りこむものが一部には存在しているということでもある。
ディーオが発見した死体というのは、そうした人物たちなのではないかと支部長は考えていたのだった。




