3 未知の感情
しばらく経って歓声も小さくなってきた頃、衆人環視の中で異性に抱き着くという行為に照れを感じたのか、突如ニアはいそいそとディーオから離れて身なりを整え始めた。
日頃から彼の片腕を取り占拠し続けておいて何を今さらという話ではあるのだが、それを見た女性陣たちは「乙女心よね」などと言って盛り上がっている。
一方の男どもはというと、こういう時に口を挟むと碌な目に合わないと本能的に、または経験として理解していたため、静かにしていたのだった。
そして、そんな場の空気に耐え切れなくなった者が一人。
「し、仕方ないわね。そこまで言うならコンビを組んであげるわ!」
ニアである。
切羽詰まって頭が真っ白になってしまったのか、おかしな台詞を口走っている。
「何故に上から目線な発言?」
「あれじゃないかしら、威厳を保ちたいというか、女の意地?」
「それ、あんなに嬉しそうな顔をしていたら意味がないと思うのだけど」
たちまち始まった考察を耳にして、ニアの顔が真っ赤に染まっていく。
本人たちは小声でこしょこしょとやっているつもりなのだろうが、そうした会話は案外遠くまで聞こえてしまうものなのである。
「わ、私はそんな――」
「ニア、落ち着け」
騒ぐ女性陣に言い返そうとするニアの頭をポンポンと優しく叩くことで押し留める。
この状況で何を言ったところで聞きはしないだろうから。
例えるならば、今の彼女たちはごうごうと燃え盛る炎なのだ。どのような言葉で言い募ったとしても、炎を消し止めることはおろか弱めることさえできないだろう。
逆に燃料に変えられてしまうのがオチなのである。
「で、でも……」
「しばらくすれば落ち着くさ。娯楽のネタにされるのは癪に障るが、それで彼女たちを味方につけられるものなら安いもんだ」
ディーオはニアにだけ聞こえるように、後半を彼女の耳元でこそっと呟いた。
その動作が女性陣たちをさらに焚き付ける極上の燃料になっていることには気が付かないままに。
さて、ここで少しディーオの言葉に補足をしておこう。
冒険者と『冒険者協会』共に女性の割合は高くはない。それぞれ二割から多くても三割に届かないくらいだろう。
ちなみに市場などに軒を連ねる商店は家族経営が主体であるためか、働く者の五割近くが女性である。このようにどうしても荒事が中心となる冒険者関連の仕事には女性はつき難くなっているのだ。
しかし、それは女性たちの立場が弱いことと必ずしもイコールではない。
協会ではどこの支部でも顔ともいえる受付業務はほぼ女性が占めている。
それは出入りしている冒険者たちと常に接しているという事であり、結果、必然的に協会内でも、そして冒険者に対しても影響力が高くなってくるのである。
つまり彼女たちの不興を買うことは、仕事にありつき難くなるどころかその支部への出入り自体がし辛くなってしまうのだ。
四人組との勝負の件の後、頻繁にディーオが差し入れをするようになったのもこのためである。
現役特級冒険者という化物じみた強さを誇るマウズの支部長でさえ、彼女たちの機嫌を損なわないように留意している程だ。
冒険の方はもっと単純で分かり易い。女性の方が大成していることが多く、高等級になるほど女性の比率が高い傾向にあるからだ。
男性に比べて女性の方が慎重に行動するからではないか?等の仮説が立てられているが、この辺りの正確なことは判明していない。
このように、数は少なくとも一大勢力となっているのが冒険者業界の女性陣なのである。
その勢力の後ろ盾を得られるのであれば、多少のからかいの言葉くらいは我慢するべきだとディーオは選択したのだった。
幸い、彼は市場など独自の人脈を築くことに成功している。
もしも度が過ぎるようであればやり返すことも可能だという自信もあってのことだった。
それでもダメなら根無し草という冒険者の伝家の宝刀を使って、別の町や国へと移動すればいい。迷宮とてマウズ以外にもこの大陸にはいくつも存在するのだから。
不快な思いを抱え込み、己の気持ちを押し殺してまで留まり続ける必要などないのである。
騒ぎ続ける女性陣を眺めながら、近い内にそうした覚悟を持っていることは示しておくべきだろうと考えるディーオなのだった。
それはさておき、ニアとコンビを組むことになった原因、もといきっかけを作ってくれたワンダにはきっちりと仕返し、ではなく礼を言っておくべきだろう。
「手間を掛けさせて悪かった」
「へへへ……。気にするなよ。兄貴にもニアにも先に進んで欲しかっただけだからさ」
「後で追いつけないなんて泣き言をいっても聞かないからな」
「いやそこは何とか目標として見られるところに留めておいて欲しいんだけど……」
「これだけの騒ぎになったんだ、手を抜ける訳ないだろうが。……それに、ニアがやる気になっている」
「あ、そりゃ止められないわ……」
こっそりと告げられた言葉に呆気なく白旗を上げる。
ニアとパーティーを組んでいた期間はディーオよりも四人組の方が長い。ニアの一途な性格はワンダも身に染みていたのである。
「まあ、さっさと復帰できるように気張れ」
「はあ……。やっぱりそれしかないか……」
追いかけようにも彼らは未だスタートラインにすら立つことができていない。
行く手を阻むように聳え立つ厳しい現実に、思わず落胆のため息が出てしまう。
「ありきたりな台詞しか言えないが、腐るなよ」
落ち込むワンダの肩を軽く叩くと、ディーオはニアを連れてそそくさと逃げるように協会から立ち去ったのだった。
まったく、どうにも締まりきらない。それでいて自分たちのことにまで気を回してくれるのだから頭が上がらない。
キャーキャーと甲高く黄色い声が収まらない中で、いつの間にかワンダの口角は上がっていた。
今はまだ中階層の序盤に到達したばかりのニアだが、ディーオと一緒ならばすぐにその到達階層を大幅に増加させることだろう。
そして近い将来、彼らにとっては未知の場所である中階層終盤の二十五階層以降へ、そしてそれを超えて深層へと挑んでいくことになるはずだ。
それにもかかわらずディーオには気負った様子が全く見られない。
ワンダは自身が追いかけている背中がまだまだ遠く離れた場所にあるのだと感じていたのだった。
本格的にコンビを組むとなると、秘密を隠し通しておく事はできないだろう。
協会から出た後、ディーオは自身が持つ異能である『異界倉庫』や『空間魔法』についてどこまで話すべきなのか考えていた。
どこか腰を据えて話し合える場所はないものか。
協会の奥にある部屋を借りることができれば一番良いのだが、あのまま居続けると危険だという直感から飛び出してしまったため、いまさらあそこに戻ることはできないだろうし、そんな気にもなれないでいた。
だからといって、いつもの『モグラの稼ぎ亭』は論外だ。多くの冒険者が出入りしている場所だし、何より協会のすぐ隣と立地条件も最悪だ。
仮にがら空きであってもすぐにディーオたちがいることを聞きつけた野次馬たちが押し寄せてくることになるだろう。
ここは多少高くついても市場にある食堂や酒場の個室を借り切るべきか?
それともディーオかニア、どちらかの部屋に行くのが手っ取り早いのかもしれない。
「でぃ、ディーオ!」
どうしたものかと悩む彼に後方から声がかけられる。
「うん?何だ?」
立ち止まって振り返ると、そこには協会にいた時よりも更に顔を赤くしたニアが立っていた。
「自分で歩けるから……。手、離して……」
「あ、ああ。すまない……」
悩み過ぎ、考え込み過ぎて手を繋いだままだったことすら忘れていた。消えてしまいそうなほどの小さな声で言われて慌てて握っていた手を解放する。
刹那、それまであった温もりが霧散して消えてしまったように感じられた。
対してその熱が集まってきたのか、それとも俯きがちなまま頬を染めていたニアの熱に当てられたのか、顔や頭にはカッカと燃え上がるような熱さを放ち始めていた。
熱いのに寒い。
そう、寒いのだ。この熱さがもっともっと欲しくなる。
そしてその願いは簡単に叶えることができた。
ニアを見ればいい。
それだけでその身に宿った火は燃え盛り、熱を放ちだすのだ。
しかしそれも束の間、すぐに新たな寒さが襲いかかってくる。
いつの間にかその手は目の前の少女を求めるように差し出されようとしていた。
(なんだ、これ!?)
慌てて手を引き、大きく息を吐いては吸ってを繰り返す。
どこまでも追い求めて、そして手にしようとも決して満たされることがないような渇望感。
それはこれまでに感じた事のない不思議な感情だった。
相変わらずニアは顔を俯けたまま硬直していたため、ディーオの不審な動きを察せられることはなかったことだけが救いか。当然のように周囲の人々からはいぶかし気な視線を向けられていたが。
ともかく落ち着かなくては話もできない。
どこか静かな場所へ、と考えた瞬間、こんな不安定な感情のままで二人きりになって良いものなのかと疑問が浮かぶ。
それはなけなしの理性が働いた結果だったのかもしれない。
しかし、話し合わなくてはいけない内容は余人に聞かせることなどできない。
むしろこれからコンビを組むニアにすら話すべきか迷っている程なのだ。
ことは重大で命にかかわるものだ。
互いの信頼を得る上でも必要な行為だろう。
彼ら二人が挑もうとしているのは、これまでとは比べ物にならないほど危険な場所なのだから。
ただ、一刻を争う緊急の事態ではない。
幸いにも八階層事件調査の報酬やその際倒した魔物素材の売却益によって懐は温かい。すぐにでも迷宮へと向かわなくてはいけないような困窮状態にはないのだ。
「い、色々あって疲れただろう?今日の所はこれで解散とするか」
「そ、そうね」
それを利用して時間を空けることを提案し、ニアもそれを受け入れる。
世間一般でいうところの問題の先送りに過ぎないのだが、そんなことに思い至ることなどできない程に二人とも余裕をなくしていた。
そしてもう一つ、二人は肝心なことを失念していた。
ニアが越してきたことで、彼らの住んでいる部屋は隣同士となっており、少しでも大きな声を出してしまうと、お互いに筒抜けになってしまうという事を……。




