2 コンビ結成
「それにしても……、ニアは相変わらず兄貴にべったりなんだな」
「…………」
ワンダの台詞を聞いたニアがジロリと彼をねめつける。
すっかりディーオの付属品と化していた彼女は、引き離されることを最も嫌がるようになっていた。
さすがに風呂やトイレ、そして就寝の際には離れざるを得ないという分別は残っていたため、最悪の事態には発展していない。
だが、逆に言うとそれ以外の時間は常に一緒にいることになってしまっていた。
「ああ、別に文句がある訳じゃないぜ。ニアの実力はパーティーを組んでいた俺たちが一番良く知っているから。きっとすぐに噛み合うようになるだろうな」
口調が変わらなかったところから、睨まれて慌て取り繕ったのではなく、言葉通り本当に文句があった訳ではないらしい。
「いや、できればパーティーメンバーとして窘めてもらいたいんだが……」
一方、ここ数日の間常に好奇と怨恨の視線に晒され続けてきたディーオとしては、少しでも状況の改善に繋がる行動をしてもらいたい、と思っていた。
「え?何だよ兄貴、ニアみたいに可愛い子と一緒に居られて嬉しくないのかよ?」
ところが逆に求めていたものとは全く異なる方向性の問い掛けをされてしまった。
しかもニアなど両手を頬に当てて「ポッ」などと呟いている始末である。
更にそれを見た連中が「もうこのまま付き合っちゃえば」とか「それでそのままゴールインしちゃえ!」と囃し立てたり、かと思えば「コロスコロスコロスコロス……」と物騒な呟きを繰り返していたりと騒ぎだしてしまう。
「そういう問題じゃねえよ」
勝手にヒートアップしていく外野に、ディーオはげんなりした顔で力なく首を横に振った。
なにせこの手の言葉は既に、それこそ嫌になるくらい大勢の人から頂いていたのである。知人のほぼ全員がワンダと似たり寄ったりの質問をしてきたと言っても過言ではないくらいだ。
下宿先の大家などは、就寝時にしか自室を利用していないニアを見て「部屋代がもったいないから、いっそのこと一緒に住んでしまったらどうだい?」とからかい半分に提案してきた程である。
もちろんそれは丁重にお断りさせて頂いたのだが。
確かにニアの顔つきは非常に整っていて、特殊な性癖の持ち主でない限りは可愛く、そして美しい部類に入ると捉えることだろう。
体の方も成人したばかりのハイティーン特有の成長途中な若々しさに満ちていて、成熟した大人とはまた違った色気を醸し出している。
更に冒険者としても伸び盛りを迎えていた。元々研究者として培ってきた素養に、四人組やその他の低位冒険者たちと行動を共にすることによって得た経験が加わり、一気に花開き始めていたのである。
もっとも、ディーオのような中堅どころにまでのし上がった者から見れば、まだまだ穴だらけなのだが、それは支部長のような上級冒険者が彼ら中堅を見た場合にも同様の感想を抱くため、さしたる問題ではないとも言える。
要するに、傍から見ればニアはとてつもなくお買い得な物件に見えるのである。
ディーオもそのこと自体は頭では理解しており、結果的に美人を侍らせていることに優越感を覚えている部分がない訳ではない。
しかし、それ以上に突然の状況の変化について行けずに困惑してしまっていたのである。
それには先の同一存在との戦いを未だに消化しきれていなかったということも大きく影響していた。
「勝手に他のパーティーのメンバーを連れ回す訳にはいかないだろう」
なにより、彼自身こそがニアと四人組にパーティーを組むように勧めたという思いがあり、そのことがニアを連れ歩くという事への禁忌感となって現れていたのだった。
「いやちょっと待て兄貴。そりゃあニアには俺たちとパーティーを組んでもらっていたけど、だからって固定で動いていた訳じゃないぞ」
「そうよ!言ってみれば一時的に手を組んでいただけ」
このように緩い結束でパーティーを組む冒険者というのは案外多い。
それというのも冒険者という職業自体が怪我を負いやすく、一時的に戦線を離脱するという事が日常茶飯事だからである。
特に依頼を受けることなく、魔物を狩りその素材を売って生計を立てることができる迷宮都市においてはその傾向が顕著であった。
固定パーティーにこだわっていては迷宮での探索などできなくなってしまうのだ。
実際、八階層の事件の時もニアは私用で迷宮探索には参加していなかった。
それゆえに四人が事件に巻き込まれることになったとも言えるのだが、そのことは今現在の話とは関係がないので、誰一人としてそれ以上追求するという事はない。
「だけど、ニアを含めた動きが様になってきたと聞いたぞ。せっかく上手くいくようになったのに別れるのはもったいないだろう」
「それはそうだけど……。兄貴、今の俺たちはこれだぜ」
くいっと自分を指さして見せるワンダ。防具も買えない金欠な状態だと言いたのだろう。
「それに、何といっても迷宮に戻れるようになるかは分からない」
「そんなことない!絶対にまた迷宮の探索ができるようになるわよ!」
自虐的な言葉にニアが過剰ともいえる反応を示したが、彼はそれをやんわりと手で制して先を続ける。
「ああ。もちろん俺たちだって諦めるつもりはねえよ。それでも時間がかかるのは間違いない。なあ、兄貴。その間中ニアは足踏みしていろって言うのか」
「…………」
「俺たちはニアにはもっと先に進んでいてもらいたい。それこそ俺たちの目標になるくらいにだ」
ワンダの訴えにギャラリーの中から「それなら俺たちと一緒に」と名乗りを上げる者がいたが、すぐさま周りの冒険者たちによって、空気の読めない意見は物理的に封殺されていた。
射貫くような視線を向けてくるそこには、かつてあった他者を見下すような傲慢さもなければ、気に入らないことにはすぐに噛みつくような短気さも存在してはいなかった。
あるのはただ、共に歩んできた仲間への気遣いと、それを託すべき相手への信頼だけだった。
弟分だと思っていた相手の成長を目の当たりにして、嬉しいやら寂しいやら、なんとも言えない感情がディーオの胸に沸き上がる。
同時に、導くとまではいかないにしても指示を出したり、指針を示したりしてやらなくてはいけない存在だと思い込んでしまっていたことを恥じていた。
「ちっ。一端な冒険者の顔をするようになりやがって……。いつまでも格下扱いはさせないってことか」
ことさら不機嫌であることを強調したように言うと、ワンダはきまり悪そうに頭を掻くのだった。
「分かったよ……。前向きに善処する」
「おいーーーー!?」
「ちょっと待って!ちょーっと待って!」
「ここまでお膳立てされておいて先延ばしかよ!?」
玉虫色の回答をした途端、成り行きを見守っていた冒険者たちが一斉に三人の所へ殺到してくる。
「ディーオ君、ここまできてそれはないわよ!」
「な、なんだ!?」
「ほら、ニアちゃんもしっかりアピールして!」
「え?え?え?」
ディーオを非難するだけでなく、ニアを煽り立てる者まで出てくる始末だ。その中には女性冒険者に加えて協会職員の女性陣もかなりの数が紛れていたのだった。
そして、あれよあれよという間に二人は向かい合わせに立たされていた。しかも少し手を伸ばせば届くほどの至近距離で。
周りをぴっちりと囲むギャラリーたちからは「逃がしはしない」という無言の圧力が圧し掛かってくるほどだ。
「!!!?」
いきなりの急展開に頭が働いていない状態のままニアの顔を直視してしまい、ディーオの口から言葉にならない叫び声が漏れ出した。
繰り返すが、彼女はかなりの美少女である。国内唯一の迷宮を抱え、それなりの人口を誇るマウズの町全体で見ても間違いなく上位に入るだろう。
ワンダたち四人などは、パーティーを組む仲間として行動を共にしていた時、周囲からの羨望と嫉妬の視線を受けて密かに優越感に浸っていたものである。
そんな美少女が周囲の熱気に当てられて上気した顔で目前にいるのだ。
衝動的に迂闊で不埒な行動に出なかっただけマシというものかもしれない。
一方のニアはといえば、ちらりとディーオに視線を飛ばしたかと思うと、すぐに俯いてしまっていた。
そんな彼女に周囲から「ニアちゃん、ファイト!」だの「頑張って!」だのという女性陣からの謎の応援が浴びせられていた。
常日頃から悲喜こもごもな人間模様が繰り広げられている冒険者協会だが、そこに集う者たちの職業柄かその大半は斬った張ったの殺伐としたものである。
そんな中今回の件は、珍しい恋愛ドラマとして彼女たちには認識されていた――この場合、当人たちの意見や真実は反映されないことが多かったりする――のだった。
そんな娯楽感覚な応援を受けて、何かを決意したかのようにニアがぐっと顔を上げた。
「ディ、ディーオは私と組むのは嫌なの?」
聞きようによっては交際を迫るような文句に、一部のお姉さま方が盛り上がる。一部のお兄さま方はそれが他人に向けられていることに膝をつかんばかりに落ち込んでいたのだが。
そんな周囲の様子とは裏腹に、ニアは純粋でまっすぐな瞳でディーオを見つめていた。
そこにあるのはただひたすらに自分のことを仲間として認めて欲しいという願いだった。
「う……」
その願いの強さに、ディーオは思わずたじろいてしまいそうになる。
しかし同時に、なぜ自分なのか?という疑問も浮かび上がってきていた。
確かにディーオはマウズにおいては有数の名の知られた冒険者の一人だろう。
ポーターという職にありながら単独で二十階層への到達記録も持っているし、冒険者協会の支部長とも繋がりを持っている。
年も若くこの先も成長が望め、客観的に見ても有望株だといえるだろう。
だが、それはマウズの町に限ったことでもある。
国外は元より、同じグレイ王国内でも他の町に行けばその名を知る者は極ごく僅かなはずだ。
そしてニアもまた有望株な若手とされていた。
その気になれば高い等級の冒険者パーティーにすら参加することができるくらいには。
「どうして、俺なんだ?」
「ディーオだから。私のことを見てくれていたあなただからよ」
ますます告白じみてきた台詞の応酬に、その真意はどうあれ周囲の野次馬たちもヒートアップしていく。
ちなみにニアの言葉の意味は「ちゃんと注意したり叱ってくれる人」ということである。
さて、そこまで真摯に請われて断ることができる程、ディーオは酷薄になる事はできなかった。
「ふう……。分かった。ニア、俺とコンビを組んでくれ」
状況に押し切られた感はあるが、これもまた一つの縁だろう。
そう思いながらニアへと右手を差し出したのだが、
「ありがとう!」
感激した彼女に体ごと飛びかかられてしまった。
再び建物中に響く程の歓声と一部悲鳴の中心で、ディーオは差し出した右手をどうすべきなのか一人悩んでいたのだった。




