2 調査開始
翌日再び四人の所へと向かい、見舞いというか救護所謹製の病人食を食べている側で屋台に寄って買いこんできた軽食を食べるという若干の嫌がらせを行った後、ディーオとニアは迷宮へと足を運んでいた。
「お疲れさん」
「ディーオとニア嬢ちゃんか。……気を付けろよ」
「ああ。用心するよ」
度重なる異変を受けて急遽数を増やした入り口脇の見張りたちに一声かけてから奥へと進む。
迷宮が発生する場所は様々であり、過去には自然洞掘の奥やがけの中腹などに入口が形成されているのが発見されたこともある。
発見された迷宮を中心に都市が形成される場合は、基本的に平地に入口があるものとなっている。その多くは地面に穴が開いていて坂や階段で下りて行けるようになっているものだが、稀に地面が盛り上がって小部屋が形成され、そこに地下一階層への階段が設置されていることもある。
マウズの迷宮はこの珍しい事例に当てはまり、入口すぐの小部屋に転移石が置かれていた。
「今回は調査が目的だから一階層から順に下りていくぞ。八階層に大量発生したゴーストが更に上の階層に移動しているかもしれないからな」
「分かったわ」
言葉を交わした二人は、階段を下り一階層へと赴いた。
「……景色が変わっているの?」
「そのようだ。ちっ、『大改修』に当たったか」
迷宮は不定期にその構造を変化させるが、低階層ではその影響は少なく、特に一階層や二階層などは変化が起きても壁一枚がどこかに追加された程度である場合が多い。
そもそも変化が起こるまでの期間も長く、「迷宮が侵入者を意図的に呼び込んでいる」とする説の二大根拠の一つとなっている。
ちなみにもう一つの根拠は、宝箱やそれに類するものが迷宮内各所に置かれていることである。
これらの宝箱には基本的に武具が収められているのだが、その多くが魔力を帯びて強化されているのである。深層へと進むほどその強化の度合いも増していき、中には国の宝物庫に収蔵されているような貴重品も存在していると言われている。
一応、侵入者の所持していた持ち物が迷宮の魔力を受けて変質したのではないか、というのが最も有力な説ではあるのだが、こうしたお宝が一体どのようにして形成されているのかは未だに解明されていない。
この大いなる謎は同時に、迷宮の価値を高めることに一役も二役もかっているというのが現状である。
話を戻そう。変化の頻度が少ない一階層や二階層であるが、全く変化が起こらないという意味ではない。時に大掛かりな変化が起こることもある。
先程ディーオが口にした『大改修』と呼ばれる現象である。
大規模な構造の変化が起こり、その範囲は迷宮内全てに及ぶと言われている。それは迷路型の階層だけでなく、エルダートレントたちが生息している二十階層のような大部屋型の階層でも同様だ。
例えば、円形に広がっていたものが極端に細長い長方形へと変わるといったことが、往々にして発生するのである。
また、地形が変化することもあり新たに山や川が生まれているという場合もあったりする。
「『大改修』中は常に形が変わっている。いつも以上に用心しておかないと、思わぬところで足を掬われかねないぞ」
「そんなに危険だというなら、終わるまで待つのはどうなの?」
「いや、一度始まるといつ終わるのかは分からないんだ。一年くらい前に発生した時には収束するまで三か月以上かかっている」
それも確認できた範囲での話だ。まだ誰も到達できていないもっと深い階層では、まだ続いていた可能性すらあるのだった。
「実はいつもどこかの階層では『大改修』が行われているんじゃないか、とも言われているくらいだ」
「はあ……。つまり、諦めて進むしかないという事なのね」
「そういう事だ。行くぞ」
一階層から二階層、そして三階層とディーオとニアは順調に迷宮を攻略していた。しかし、どこにどんな異変が潜んでいるのかも分からないため、慎重な姿勢は崩してはいない。
そしてディーオはこの時点ではまだ『空間魔法』を使用してはいなかったのだが、その理由は大きく分けて三つあった。
一つ目は『大改修』によって階層の形が常に入れ替わってしまうため、意識がどうしてもそちらへと引き寄せられてしまうためだ。
これは実際に一年前の『大改修』時に経験しており、その時には脳内に映し出されたマップに気を取られて魔物と出合い頭に遭遇してしまい、危うく命を落としてしまうところだった。
二つ目は〈地図〉や〈警戒〉を使って情報を得ることで、全てを知ったつもりになることを防ぐためである。
特に今回の目的は異変の調査であり、小さな見落としも許されない。その場に行って、直に見て触れて感じることでようやく分かることは多いのである。
更に言えばディーオ以外の冒険者たちは『空間魔法』が使えないのでそうするより他はない。そうした一般常識から乖離しないようにするという意味もあったのである。
そして三つ目、後回しにしてしまっていたニアの周囲の魔力変動を感知する能力を見極めることである。
これこそが本命といってもいい理由であったのだが、ディーオはその能力の高さに舌を巻くことになる。
(おいおい、研究者だからで説明がつくような生易しい能力じゃないぞ……)
基本的に感知できる範囲はニアを中心におよそ三尺四方なのであるが、何と彼女はそれを一時的に任意の方向へと伸ばすことができたのだ。
「ダークゴブリンの群れでもいたのかしら?範囲型の中級魔法でも使っているみたいね」
加えて変動した魔力の量から、使用された魔法のおおよその強さまで言い当てるという離れ業の芸当を披露して見せていた。
指をさした方角からドガガガという炸裂音が聞こえてきたかと思うと、一拍遅れて複数の断末魔が響き渡ったのだった。
「……巻き込まれないようにさっさと先に進むか」
「そうね。結構過激なようだし、距離を取った方が無難そうよ」
などという事がありつつ、その日は出来得る限り細かく階層内を見て回り、五階層へと到着した時点で引き揚げたのだった。
翌日は「面会謝絶!」と騒ぐ四人組の所で購入した朝食を美味しく頂いてから、ディーオたちは迷宮の調査を再開した。
そして七階層までの調査を終えて八階層に到達した時点で町へと帰還することになる。
余談だが、巻き添えになった同室の者たち――数十人を収容できる大部屋は、先の異変で怪我をした連中が軒並み放り込まれていたのだった――の涙ながらの嘆願によって、四人組は最低限の治療と回復が終わった時点で当初の予定を大幅に削減されて救護所を放り出されることになる。
そのため治療費もかなり減額され、余った金で武器を購入した彼らは再び迷宮へと挑むようになるのであるが……、もちろんディーオたちはこれを狙っていた訳ではなく、単なる嫌がらせ――発破をかける意味も少しはあった――を行っていただけの話だったりする。
「無理をしないという方針なのは分かっているけれど、少しでも八階層を調査しておいた方が良かったのではないかしら?まだ時間も体力も残っていたわよ?」
『モグラの稼ぎ亭』で早めの夕食を取りながら、ニアは対面に座るディーオにそう言った。不完全燃焼のためか、台詞の割に不機嫌さを隠そうともしていない。
ちょうど多くの冒険者が通った後だったのか、五階層から七階層にかけてはほとんど魔物と遭遇しなかったのである。
更に同様の理由だろう、大半の罠が解除されていた。
お陰で予定していたよりもかなり早い時間で調査を終えることになったのだ。
「最初は余禄だと思っていても、いつの間にかのめり込んでしまうなんてことは多々あることだからな。昨日の時点ならともかく八階層は目的地だ。本番を目前にした時には予定と異なる動きはしない方が無難なのさ」
「ふうん……」
「納得できないか?」
「まあ、今の私はあなたの手伝いをしているだけなのだから、その辺りはディーオの好きなようにすればいいと思うわ。それなりに儲けさせてもらっているしね」
少なかったとはいえ全く魔物が出てこなかったわけではない。五階層の探索を始めて早々にバドーフ数体を立て続けに倒したことで、本日のディーオとニアの稼ぎは並の冒険者が数日間中階層に滞在した時と同じくらいのものとなっていた。
「倒した魔物を丸ごと持って帰ることができるのだから、やっぱりアイテムボックスは便利よね」
「まあな。お陰で魔物を解体する技能はさっぱり上達しないけどな」
素材の引き渡しや換金のカウンターで担当者から毎度のように言われる苦情を思い出して、ディーオは苦い顔で答える。
彼らの言い分は分かるのだが、その時間があるなら新しい獲物を探した方が結局は稼ぎになるので直すつもりはない。
ちなみに昨日は初心者用防具素材として有用なレッドアントを大量に狩って荒稼ぎをしている。
「うーん……。どこかに落ちていないかしら」
「アイテムボックスは上級の冒険者にとっても垂涎の的なんだから、そんなに簡単に手に入る物じゃないわよ」
唸るニアに横合いから呆れた声音が飛んでくる。
横を見るとエプロンドレスを着けた女性がトレイを持って立っていた。
「あ、ジルさん。……やっぱり入手は難しいの?」
「とりあえずこのマウズの迷宮では一つも発見されていないわね。はい、お茶」
ジルと呼ばれたウエイトレスの女性の説明によると、キヤトやラビトの迷宮でも相当深い階層でようやく数点見つかったということらしい。
「一番お手軽なのは凄腕の錬金術師と知り合いになって作ってもらうことかしら。問題はそういう人たちって国や貴族や有力者や金持ち連中が囲ってしまっていることね」
「一般人にはまず無理ね」と、くすくすと笑いながらもその手はテーブルに並べられていた皿を次々に回収していた。
その姿を見ながらディーオはアイテムボックスらしきものを作ることができることは、絶対に内緒にしようと心に誓うのだった。
「あーん、やっぱり無理なのかー……」
切り崩すことなど不可能に思える程高く厚く丈夫な壁の存在に、ニアがテーブルに突っ伏してしまう。
まあ、出されたお茶のカップを正確に避けていることから、半分以上は演技なのであろう。
「あら、別に自分で持つ必要はないんじゃないかしら」
「ふえ?」
「要はアイテムボックスの恩恵に与れればいいのでしょう。だったら、アイテムボックスもを持っている人と懇意になればいいのよ」
「なるほど!」
「だからニアちゃん、ディーオのことは絶対に逃がしちゃダメよ」
「了解です!」
盛り上がる二人を前に、妙に背筋が寒くなるのを感じるディーオなのだった。




