9 新たな協力者
「異世界の料理の再現とは……。これはまた面白いことを思い付いたものだ」
ディーオが「やりたいこと」について一通りの説明を終えた後、支部長が口にしたのは肯定的な一言だった。
「しかし、先日手紙と一緒に送られてきたアレもその一つなのだろう?となれば、既に十分に再現ができているのではないかな」
特に容器や蓋などは紙のようであってそうではない不可思議な材質で、原材料並びに加工法まで想像もできない物に仕上がっていた。
「いえ。言ってみればアレはまだまだ序の口ですよ。異世界の料理はあんなものじゃない」
しかしディーオにとっては単なる取っ掛かりに過ぎず、通過点でしかないものだった。
よってそこで歩みを止めることなど、到底受け入れられるものではなかったのである。
余談だが、あくまでもこちらの世界にある物を使って、迷宮の力によってそれらしく作り上げているだけなので、存在しないはずの物だとか、存在してはいけない物ではないことだけ、あらかじめ明記しておく。
「そうなのかい?私としては十分に満足できるものだったがね」
対して支部長がアレにこだわってしまっていたのは、その言葉の通りというよりは彼の立ち位置が大きく影響していた。
冒険者協会の支部長という責任ある立場から、湯を入れて待つだけという調理の手軽さや持ち運びの便利性などの項目に、ついつい注目してしまっていたのである。
可能であるならすぐにでも冒険者たちの携帯用保存食として本格的に提供してもらいたいとすら考えていたのだった。
「ねえ、どうせ支部長に協力してもらうのであれば、いっそのことあの本も見せてしまうのはどうかしら」
と、ニアがディーオへそう提案する。それまで二人の会話を見守っていたのだが、このままでは主張が理解されずに、思惑通りに事が運ばなくなってしまいそうだと感じ取ったのである。
「あれを言葉だけで説明して理解してもらうのは難しいわよ。現に私だってあの本を見ることで、どうしてあなたがそれほどまでの情熱をささげているのかをようやく理解することができたのだもの」
「ニアの言うことにも一理あるか……」
ただ、あの料理の数々が描かれた本はディーオにとっていわば原点となった物である。
いくら支部長が信頼できる相手だとしても、それを離れた場所に送るということには抵抗を感じてしまっていた。
一方、その支部長はというと、そして「異世界の料理を再現しようというくらいなのだから、異世界の本を持っていたところで今更の話だな」と謎理論でもって半ば現実逃避を行っていた。
それというのも、ディーオたちの会話から異世界の物を所持していることに気が付いてしまっていたからである。
とある学説によれば、「異世界の物がある」という状態は世界を隔てる境界が弱まっており、場合によっては世界同士の融合や衝突といった異常事態が引き起こされる原因となってしまうかもしれない、とされていた。
ディーオの同一存在たちはその見解に否定的であり、そうしたこともあってか『異界倉庫』を用いて世界間で好き勝手に物を出し入れしていたのだった。
支部長はといえば、その学説を頭から信じているということではなかったのだが、明確に間違いであることを証明できていない以上、そうした可能性はあり得ると考えていたのである。
つまり、世界崩壊の引き金となってしまうかもしれない物を目の前に持ち出されるかもしれないとなり、さしもの彼も気が動転してしまっていたのだった。
それでもディーオたちが勘付くことのできない数拍の内に立て直すことができているだから大したものである。
現役特級冒険者の肩書は伊達ではないというところか。
「これがその本か……」
机の上に置かれた古びた本をしげしげと眺める支部長。
ひとしきり悩んだ後、結局ディーオはニアの提案に従う形で支部長の元に異世界の料理の本を転移させることになったのだった。
「ええ。見ての通り古い物ですから取り扱いには十分に注意してください」
過剰とすら思えそうな程のディーオからの忠告に、ニアと支部長は苦笑してしまう。
特に支部長はアイテムボックス持ちということで他の冒険者たちから舐められないように比較的距離を取っていることを知っていたため、このように執着を見せる姿に新鮮さすら感じていたのだった。
「それじゃあ、謹んで拝見させてもらうことにしようか」
軽口をたたきながら表紙をめくる。ディーオの言によると「それ以降の反応はニアに見せた時とほとんど一緒だった」とのことであるが、例えに出された彼女いわく「私はあれほど顕著な反応をしていない」となるようである。
もちろん、年端もいかない子どもであったことを差し引いても、ディーオが最も夢中になっていたことは間違いないのだが。
ともかく、一通り目を通した支部長から「全面的な協力を約束しよう」という言質を取ることができたのだから、この作戦は大成功だったと言えるだろう。
「はっきり言って甘く見ていたよ。いくら異世界だからといっても、同じ人である以上は食べるものにも大きな違いはないだろう、とね」
特級冒険者という地位を与えられるくらいだ、最前線で活躍していた頃の支部長は仲間たちと共に次々と前人未到の成果を打ち立てていた。
同時にそうした活躍は、次の依頼だけではなく権力者たちをも引き寄せることになる。
お分かりになった人もいるだろう。支部長たちはそうした権力者と同席するにあたり、豪華な食事を口にする機会も数多くあったのである。
そのため本人が言っていた通り、いくら異世界の料理だとしても極端に目新しく興味をそそられるようなものはないだろうと高を括ってしまっていたのだった。
「驚かされるとすれば、精々が珍味と称されるような代物程度だろうと思っていたのが……。良い意味で裏切られたということか」
もしもこれが行動を共にすることが多く、ある意味一番ディーオに巻き込まれていたブリックスであるならば、『モグラの稼ぎ亭』のマスターを始めあちこちの料理人に製作を依頼していた料理の数々の元となったのがこの本であったことに気が付いたことだろう。
それらの行動も含めて部下から報告を受けていた支部長ではあったが、ディーオは常々から「美味いものを食べるのが楽しみ」だと周囲にこぼしていたため、食い意地の張った単なる趣味でしかないと思い込んでしまっていたのだった。
「どう進めていくのか、計画などはあるのかい?この本を見る限り文字なども私たちが用いているものとは異なっているようだが?」
「文字の解読については迷宮の力で何とかなる目途が立っています。ただし原材料なども異なっているでしょうから、当面はこちらの世界にあるそれらしいもので代用することになるかと。最終的には安定的に確保できるように迷宮内部に専用の畑や牧場を作りたいところです」
その世話を行う役としては、三十四階層の魔物女性たちや二十階層のエルダートレントや配下のトレントたちに打診することも一つの手ではないかと、ディーオとニアは話し合っていたりする。
「読めた。地上部分の土壌改良は、迷宮内の事業から目を逸らさせる意味合いもあるということか」
「一発で見抜かれるとは思わなかったわ……」
密かな思惑を支部長にすかさず言い当てられてしまい、目を丸くする二人。
そんな様子にハーフエルフドワーフは端正な作りの顔に微笑みを浮かべる。すっかりディーオたちのペースに巻き込まれてしまっていたところに、ようやく一本取り返すことができたのだからご満悦になったとしても仕方がないというものだろう。
「ふむ。すると私の役目は君たちの代理人としてグレイ王国との交渉の矢面に立つ、ということで良いかな?」
「お願いします。俺たちでは搦手にしてやられるかもしれないので」
迷宮の力さえあれば大抵の不利な状況を覆すこともできるだろうが、本格的に敵対することになって、大勢の冒険者や兵士などを侵入させられてはその対処で手一杯になってしまう可能性もある。
また、交渉次第ではそれと気が付かないうちに迷宮の力を使用することを制限されてしまうかもしれない。
ディーオもニアもそれなりに場数を踏んできた自負はあるが、それでも齢二十にも届かない若造であることに違いはない。
口八丁だけで世間の荒波を越えてきた者たちや、魑魅魍魎の住処とも揶揄されるような権力の中枢で生き延びている者たち相手では分が悪いと言わざるを得ないだろう。
「それと、あくまで支部長の直感で構わないので、その料理を実際に作る料理人も探しておいてもらいたいところです」
「料理人を?……それこそ迷宮の力ならば材料さえ揃えられれば何とでもできるのではないかな?」
「まあ、いずれはそうなるかもしれないんですけど、現状では経験が足りないようでして……」
言葉を濁す二人に、すぐさま支部長は状況を察することになる。
「分かった。必ず二人も満足できる人材を見つけてくることにしよう」
彼とて精々が野営の際に食べられる程度のものを作れるくらいの腕しか持ち合わせてはいないのだ。
託されることになった任務が深刻かつ重要なものだと認識したのだった。
「おっと、これも聞いておかなくてはいけないな。君たちについての情報をどうするかなのだが……、何か要望はあるかい?」
「顔見知りの冒険者連中や市場の人たちには俺から声をかけることにしますか。それ以外の町の連中とかは支部長の判断にお任せしますよ」
「そうか。冒険者たちはともかく、市場の人たちに無茶なことはしないように」
「いや、俺だってその辺りのことはちゃんと相手を見てやりますから」
とは言いながらも、つい先程幻影である証明として支部長の手をめり込ませた前科があったため、強くは反論できないディーオなのだった。
こうして、支部長という協力者を得たことでディーオたちの計画は実現に向けて大きく動き出していく。
だが、わずか十年足らずでマウズの町が『美食の街』としてその名を轟かせていくことになるということには、中核となる三人やこれから巻き込まれることになるだろう多くの者たちの誰一人として予想だにしていなかったのだった。




