8 支部長との交渉開始
損得勘定がなかったと言えば嘘になってしまうであろうが、一団の者たちの素行の悪さや倫理観の低さが露見した時点で支部長としては切るべき相手を確定していた。
ただでさえ乱暴で粗野な者たちの集団とすら思われている節がある冒険者にあってなお、その程度の低さだ。一般的な社会としての評価でみれば犯罪者と同レベルとなるだろう。
現役特級冒険者として彼の味方や信奉者は数多いが、敵対する者もまた少なくはない。
下手に庇えばそんな連中を勢いづかせてしまうことになりかねないのである。
「彼らの処遇について、何か要望はあるかい?」
その決断を下した第一歩として、直接害を被るところであったディーオたちの希望はでき得る限り取り込むつもりであった。
対して尋ねられた二人は首を傾げながら顔を見合わせていた。
「いえ。特にはないです。また仕掛けてくるつもりなら返り討ちにしてやるだけですから。ああ、これ以上恥を晒されたくないのであれば余計なことは考えるなよ、と伝えておいてください」
そしてしばらく後、何も思い付くことはなかったのかそんな答えを返したのだった。
もしもディーオとニア、二人のことを良く知らない相手であれば、過ぎたことに捕らわれない大物だと考えるか、迷宮という強大な力を得たことで気が大きくなっているだけの小物だと判断するかの二択であるだろう。
だが、幸か不幸か支部長は彼らのことをそれなりに良く知っていた。
ディーオたちは気が付いていなかったが、マウズの町中を中心に、彼の手の者がかなり長期に渡って二人のことを監視していたのである。
そうした調査の結果、ニアの実力がラカルフ大陸内でも大国に分類される国々が抱え込んでいる宮廷魔術師に勝るとも劣らないものであることを把握しており、迷宮内では確実に行方をくらまされることから、ディーオがアイテムボックス以外にも切り札となるものをいくつも隠し持っているだろうとも推測していた。
よって、例え一団の者たちが復讐を画策したとしても返り討ちにできるだけの実力が元々を備わっており、迷宮の力はそれ柄を補強しているだけに過ぎないのだと理解することになる。
そしてその上で二人の中では、一団の者たちの件は既に終わったことになってしまっているのだと気が付いたのだった。
余談だが、二人が一緒に行動し始めた『八階層事件』の頃から、支部長に上がってくる報告書が微妙にぞんざいになっていた。
その主な原因は二人がまるで付き合い始めたばかりの初心なやり取りを行っていたことにあった。が、そもそも監視されていることを知らないため、注意どころか指摘することもできずにいたのだ。
そのためか他人の恋愛ごとに興味のある一部の者を除き、大半はディーオたちの監視を苦行だと考えていた程であった。
また、後日支部長が慰労も兼ねて監視者たちから事情を聴いた際、口を揃えて「心を無にする訓練なら、あの二人の監視が一番だ」と語ることになるのだが、それはまた別の話である。
「やけに小ぎれいな格好で帰ってきたかと思えば、やはり君たちが手を貸していたのか」
「そのまま見捨てるのを躊躇われるくらいは酷かった、とだけ言っておきます」
いくら支部長相手とはいえど、さすがに第三者へあの状況を事細かく説明するのは憚られてしまう。
もっとも、ディーオもニアもあの有様を詳しく描写したくないという気持ちが強かったことも間違いない。
仮にゴーレムではなく自分たち自身で連中の世話をする必要があったならば、水をぶっかけるなり適当に目を覚まさせる以上のことはしなかっただろう。
仮にそうなっていれば心を折り切れずに再度立ち向かってくるものが出たかもしれない。ドラゴンゾンビの衝撃的な幻影にも耐性が付いた者がいたかもしれない。
となればディーオたちの側としても排除することに全力を尽くすことになったはずであるから、死人が出ることになってしまった可能性は高かったことだろう。
もっとも、これから過去に遡ってこれまでしでかしてきた悪事――本人たちは理解していなかったようだとしても――を問い詰められ、処罰もしくは再教育という名で支部長にこき使われる日々が続くことを考えれば、どちらがマシであったのかは判断が難しいことになるかもしれないのだが。
「分かった。彼らのことはこちらでしっかり対処しておく。もちろん、君たちに危害を与えるような真似はしないと誓っておこう」
「よろしく頼みます」
「さて……、前置きはこのくらいでいいだろう。わざわざ迷宮の外へ出てくるなんて危険を冒してまで会いに来てくれた理由を聞こうか」
支部長がそう言った瞬間、不思議そうな顔で再び首を傾げる二人。
意識せずに行動が似通ってきているのだろう様を見せつけられて、監視と報告していた者たちの苦労を改めて実感することになったのだった。
「あー、どうもそこのところから認識に違いがあるみたいです」
「どういうことかな?」
「分かりやすく言うと、今の私たちは本物ではなく幻影です」
「まさか!?」
「信じられないのも無理はないとは思いますが本当です。とはいえ、こちらの言葉だけでは納得できないでしょうから、ディーオに触れてみてください」
まるでニアが自分に触れられるのを嫌がり、代わりにディーオを生け贄に差し出したようではあるが、それはそれで支部長には安心ができた。
世の中には手の甲や肩が触れ合っただけで「疵物にされた」と騒ぎ出す妄想たくましい者たちが男女問わずにいるからだ。
意外に思われるかもしれないが、彼にもそうした被害にあい、時に自分だけでなく仲間や周りの者たちの命すら危険にさらしてしまうことすらもあった。
ハーフエルフドワーフという特別変わった種族でもあったことから今でもなお見目麗しく若々しい風貌ではあるものの、支部長にもその外見にそぐわぬ経験しか持ち合わせていない若造だった頃もあったという訳である。
話を戻そう。ニアの誘導に従って支部長はディーオの前に立つと、おもむろにその肩へと手を伸ばした。
随分と気安く遠慮がない行動だったが、これには迷宮内で臨時パーティーを何度も組んだことのある間柄だったことが関係していた。
特にディーオはマウズが迷宮初挑戦だったこともあり、最初の頃は時折大きなポカをやらかして深手を負ってしまうこともあった。
そうした際に治療のため、かなり際どい部分まで裸身を見ることもあったので今更肩に触れるくらいどうということはなかったのだ。
もちろん、ディーオが先に上げたような愚かな言葉を口にすることがないという信頼も一役買っている。
「なっ!?」
目の前で起きた出来事に大声を上げなかったのは、支部長としての責任感故かそれとも特級冒険者としての意地だったのか。
肩に触れようとした瞬間、ディーオが一歩前へと動いたために、彼の伸ばした腕がその体に飲み込まれてしまったのである。
「驚かせてすみません。だけど、こうでもしないと幻影の出来が良過ぎるために、本物があると勘違いして無意識に動きを止めてしまうことになるんですよ」
しかも止める者がいなかったためにディーオもニアも好き勝手やってしまった結果、触っている感触すら錯覚させてしまうという、驚くべきものとなっていた。
そのためか、こうした不意討ちでなければ幻影であると理解させることができなくなってしまっていたのだ。
迷宮内で物は試しと実体験した際、二人揃って大いに驚くことになったのはつい先日のことである。
それならば劣化させれば済むことなのだろうが、二人揃って一度作り上げたものを改悪させることに抵抗を感じてしまったため、高性能のままとなっていた。
「ま、まあ、迷宮の力なんて膨大で強力なものを利用しているのだから、そういうこともあるのだろうね」
と支部長が上手い具合に誤解してくれたのをいいことに、しきりに首を縦に振ってそういうことにしてしまったのだった。
「まず断っておくと、別に支部長のことを疑って幻影を見せている訳ではないですから」
こういう時にわざと人を持ち上げるような性格ではないことは理解しているので、支部長はディーオの台詞に頷き返すことで先を促す。
ちなみに、迷宮の外でダンジョンマスターが殺害された場合は、迷宮内とは違って殺害した者にダンジョンマスターの権限が移行するようなことはなく、その権限を手に入れるためには最深部の迷宮核に触れる必要がある。
つまり、完全な徒労に終わることになる。
むしろ管理者を失うことになり迷宮が暴走する可能性が高くなってしまう。
よって、実は迷宮外にいる方がダンジョンマスターにとって安全なのであるが、ダンジョンマスターになった者の大抵が簒奪者であるため、その罪悪感や他人への疑心暗鬼のために最深部にこもってしまうことになるのであった。
「マウズの町やその周辺は、迷宮の表層ということで多少の力を及ぼすことができないことはないんですが、俺たち自身が出向くことができる程、しっかりした管轄下におけないようになっているみたいです」
そんなことができるのであれば、それこそ迷宮から魔物があふれ出してしまうことになるため、その報告には内心とホッと胸をなでおろす。
「色々と調べてみたところ、地面の中に鉱石を作り出すようなことはできなくとも、地質を変化させることができることが分かりました。要するに、食物を育てるのに最適な土を迷宮の力を使って作り出すことができるようなのです」
「それは、本当なのかい?」
「はい。ただ、その土を持ち運んでも効果があるのか、また他所から持ってきた土でも変化させることができるのかはまだ不明です」
グレイ王国は弱小国家であるため、土地が痩せている場所も多い。まさに『魔境』に蓋をするためだけに存在を許されているような国なのである。
それを根本的に作り変えることができるかもしれないとなれば、功績は計り知れないものとなるだろう。
「あちらに提示できる手札は分かった。それで、君たちの要求はなんだい?」
「国内の土壌の改良に協力することを条件に、俺たち、マウズの迷宮にグレイ王国が手を出さないことを確約させて欲しいんです。俺たちには、やりたいことがあるので」
ニヤリと笑うディーオに、面白いことが起きそうだと支部長の冒険者としての勘が告げていた。
もっとも、同時に碌でもない内容になりそうだ、とも警鐘を鳴らしていたのだが。




