6 異形
<注意!!>
今話には(作者基準で)グロテスクな表眼が含まれています。
あとがきに簡潔に今話の内容を書き込んでいるので、苦手な人はそちらをご覧ください。
覚悟を決めて三十七階層へと戻ってきた冒険者の一団とドラゴンの戦いは、一団の優勢で進んでいた。
ドラゴン自体ディーオが迷宮の力を使って作り出した幻影にすぎないのだから、それも当然の話だ。攻撃を当ててしまうと幻影だとバレてしまう可能性が高いため、一見してそれらしい動きにすることしかできないためである。
「魔法の準備ができたわ!」
「了解!前衛は着弾と同時に挑発を入れて意識を分散させるぞ!」
「後衛に攻撃させないのは当たり前だけど、完全に攻撃対象として認識されないように注意して!この人数だからこそドラゴンの攻撃を捌き切れていることを忘れないように!」
と、このように幸いにも冒険者たちはドラゴンの攻撃に対して過剰とも言える程警戒しており、魔法や矢などの遠距離からの攻撃を主体として接近戦を挑むようなことはなかった。
そのため、苛立ったように唸り声を出したり咆哮を上げたりと、それらしい動きで誤魔化すことができていたのだった。
余談だが、十倍以上にもなる体格差などを考えれば直撃すれば即死、かすっただけでも大怪我をすることになるので、彼らの対応は当たり前のものだと言える。
手持ちの札に防御しうる手段があるからといって、受け止め、弾き返すことを前提にしていたディーオの対応の方が常軌を逸したものだったと言える。
話を戻そう。一団の攻撃によってドラゴンは徐々にではあるが動きに精彩を欠いていき、一つ一つの動作も緩慢になっている、ように見せかけていた。
その調整具合が絶妙だったのか、はたまた強敵との戦闘に一団の者たちの気持ちが高揚していたのか、いつしかこの戦いに勝利することができると思い込み始めていた。
勝利への道筋を思い描くこと自体は問題ない。それどころか明確なビジョンを持つことができればそれだけ安定して想像を現実のものとして具現化させることができるものだ。
しかし、そこには油断という大きな落とし穴が口を開けていることを忘れてはいけない。
この時彼らは、その大前提を忘れ去ってしまっていた。
もっとも、長きにわたるラカルフ大陸全土の歴史を紐解いても、ドラゴンスレイヤーとしての名声を得た者は片手の指で足りる程しか存在していない。
その栄光や偉業に目がくらんでしまっても仕方がないことだったのかもしれない。
だが、悪意は静かに忍び寄っていた。
「〈ロックジャベリン〉!」
偶然にも一人の魔法使いが放った石の投げ槍がドラゴンの喉元、逆鱗のある場所を穿つ。
「グギャウアガアアアアア!!!?」
その瞬間、ドラゴンは苦しそうな悲鳴を上げてのたうち回り始めた。
「やったか!?」
「止めを……、くそっ!こんなに暴れ回っていたんじゃ近付けないぜ!」
「魔法に弓矢、投石でもいい!ありったけの攻撃をぶち込め!」
誰かが発した言葉に従って全員が攻撃を加えていく。
魔法を使うことができない前衛の者たちも、少しでもダメージを与えるためにそこら中に転がっている手頃な大きさの石を力の限り投げつけていた。
「どうせここで倒しきれなければ終わりなんだ。このまま矢が尽きて魔力の切れるまで、いや、全ての蓄魔石を使い切るまで攻撃するぞ!」
更なる指令に魔法使いたちの攻撃が一段と激しさを増す。
それがどこから聞こえてきたのかも考える余裕すらない程に。
三十六階層へと引き返していた短い期間で、一団の者たちにどのような心境の変化があったのかは不明である。
が、結果として逃げることはできないと決断した以上、ドラゴンか自分たちかのどちらかが力尽きることになるという覚悟を持つに至っていた。
まさにそれは死力を尽くした攻撃であった。
一人また一人と、体力に魔力、そして攻撃手段をなくした者がその場に崩れ落ちるようにして座り込んでいった。
そして……、客観的には長いようで短い、しかし本人たちにとっては短いようでいてとてつもなく長く感じられた総攻撃の時間が終わりを告げる。
満身創痍でほんの少し動くことすら億劫に思える一団の者たちの前には、漆黒のドラゴンは静かに横たわっていた。
その様子に歓声を上げる余力が残っていないだけで、誰もが勝利を確信していた。
だが、異変は唐突に始まった。
バキン!何かが割れる音がする。
ジュワア!何かが溶ける音が響く。
一団の者たち全員が、ゾワリと嫌な予感が背筋をはい回っているのを感じ取っていた。
「ガ、ギャ、ゲ、グゴ……」
ドラゴンの口元から声にならない音が漏れ出す。
と同時にその体のあちこちで体を覆う鱗が割れ、砕けていく。
その下にあるはずの皮は溶け、腐れたような肉がむき出しになっていった。
「う……!?」
異臭すら漂ってきそうなその光景に、咄嗟に口元を抑えることができた数名は幸運だった。
体力に魔力のほとんどを使い切っていた彼らは、ほんの少しの気力だけで意識を保っていたに過ぎない。そこに嘔吐という極めて体に負担を強いる行為が加わってしまえばどうなるか。
答えは単純で明快だ。気力すらも使い切ってしまい、支えを失い気絶することになってしまったのだった。
倒した魔物をその場で解体することも多い冒険者にとって、それに付随する光景は見慣れたものであるはずだった。
それこそ新米時代には解体に失敗して汚物まみれになることすらあったのだ。
異臭といった視覚以外のことにも当然耐性ができているはずであった。
ところが、ドラゴンの異変はそんな彼らの意識すら容易く奪うほど奇怪で醜悪、衝撃的なものだったのである。
だが、見ようによっては、考えようによっては吐瀉物まみれになっているとしてもこの時点で気絶した者たちの方が幸せだったのかもしれない。
以降のドラゴンが変化していくその先を見ることがなかったのだから。
「……ひっ!?」
「な、にが……」
その者たちも意図して声を発した訳ではない。
湧き上がる恐怖に翻弄された結果、止める暇もなく漏れ出してしまったのだ。
まるでそれを聞きとがめたかのように、床の上に落ちていた頭がゆっくりと持ち上がっていく。
しかし、急激に腐り果てていくかのような変化の最中であったため、その行動に耐えることができなかった。
白濁して何も映していない目玉がずるりと眼窩から抜け落ちていく。
また、まるで毒物か何かに侵されたようにおかしな色合いに変色した肉が鱗や皮といった覆いをなくしてべろりと剥がれ落ちていく。
辺りにはそれらが床に激突した際に発せられたビシャ!ベシャ!という嫌な音だけが響いていた。
「あ……、ああ……!?」
「い、やあ……。いやだあ……」
異形の物体となり果てたドラゴンの頭部だったものに顔を向けられて、辛うじて意識を保っていた数名のうち幾人かは限界に達してばたりと倒れることになった。
そんな仲間のことを考える余裕すらなく、運悪く意識を保ち続けてしまった者たちは泣き言を口にするしかできなくなっていた。
何も存在しない空洞となっているはずなのに、その暗い眼窩を向けられるとまるで心の底の底まで見透かされたように感じてしまっていた。
多くの肉がこそげ落ち、鋭い牙とその土台となっている骨が丸出しになっている口を向けられると、肉体だけではなくその精神まで貪り食われてしまいそうに思えてしまった。
そしてその想像を現実のものとするためドラゴンがその口を開く。
……そこで残っていた者たちの意識も途絶えることになるのだった。
それから数十拍後、冒険者の一団全員が意識をなくしていることが判明すると、異形のドラゴンは跡形もなく消え失せてしまった。
一言で説明するならば、ディーオが幻影の維持を止めただけであるのだが、仮に何も知らずにこの様子を目撃した者がいたとすれば、何が起きたのか理解できずに呆然とする羽目になったことだろう。
激戦の跡といえば部屋中に散乱した大量の矢と、不自然に思えるくらい多い拳大の石くらいのものだった。
余談だが、三十七階層の内装はドラゴンのブレスが暴発した時のままであったため、魔法等による破壊痕はないに等しい状態であった。
「言葉が出ないくらい哀れな結末ね」
謎板に映し出されていた映像を通してその惨状を見ていたニアが一言呟く。余りの酷さに敵対関係であったことも忘れて同情してしまいたくなる程だった。
同時に、使いようによっては幻であっても致命的な攻撃を繰り出すことができるのだと理解できてしまい、戦慄することとなっていた。
その場にいた残る一人のディーオも、勝ったはずなのにその顔には喜ぶどころか沈痛なものとなっていた。
「まあ、あれの効果の程は身をもって体験済みだからな……」
答える声にいつもの張りはなく、どことなく視線も虚ろになっているようにニアには見受けられた。
それもそのはずで、あの異形で醜悪な姿となったドラゴンはその昔彼にトラウマを植え付けた忌むべき存在だったからだ。
ディーオの数多くの同一存在の中には、他者を傷つけることを好む嗜虐思考の持ち主など、性格が破綻していると思われるような者も存在していた。
そんな人物にとって異世界の自分という存在は最も身近で遠い他者であり、格好の獲物でもあったのである。その者たちは『異界倉庫』に恐ろしい絵や映像を放り込んでは、それを見るであろう異世界の自分の反応を想像しては楽しんでいたのだった。
そして不幸なことに、ディーオにはその悪意を見抜くことができなかった。
本人の名誉のために詳しくは述べないが、中身を見てみようと思わせるように、それは巧妙な外見をしており、当時の彼はその罠に見事に引っ掛かってしまったのである。
憔悴しているようにすら見える彼の様子に、この話題は危険だと本能的に察したニアはすぐに方向転換を行う。
「幻だけで殲滅しきって見せると言われた時にはどうなることかと思ったけれど、蓋を開けてみれば狙い通りの展開となった訳よね」
本命は異形の怪物の方だが、その前にドラゴンの幻も戦わせて疲弊させるための重要な布石であった。
歴戦の冒険者でもあるはずの一団の連中が、あっさりと意識を手放したことの裏には、力の全てを使い果たさせておいたことで「これ以上戦うことなどできない」と思いこませていたことも関係していたのだった。
〇三行で分かる今話の内容
決死の覚悟でドラゴン(幻)に挑んだ冒険者たち。
ところが倒したと思ったらドラゴンゾンビになって復活!?
そのグロテスクな光景にショックを受けて、あえなく全員気絶してしまいましたとさ。
めでたし、めでたし?




