18 夢を叶えるため (本編完結)
「ええと、まだまだ理解しきれていない部分もあるけれど、とにかくこの本がディーオの原点になったのだということは納得できたと思う」
そしてこれまでの彼の食にかける意気込み、執着から本の中の料理を再現しようと企んでいるのだろうということも察せられたのだった。
「それで私に、いえ、迷宮核を含めて私たちに何をさせたいのかしら?」
「話が早くて助かる。ニアには、それと迷宮核にもなんだが、この異世界の料理の再現を手伝ってもらいたい」
やはりか、と思う反面ニアの胸中に疑問が浮かび上がってくる。
「先程のアレも異世界の食べ物なのでしょう?同じようにはできないのかしら?」
「それなんだが、あの方法が通じるのは調理と呼ばれる手順を踏まないものだけらしい」
ディーオが行ったことを極々簡単に言ってしまうと「異世界の物を召喚した」ということになるだろうか。
より正確には対象となった異世界の物が持つ情報を写し取り、こちらの世界にある物で代用して作り上げた物ということになる。
「あれが調理をされていない?……意味が分からないわ」
「文字も読めないから俺も良くは分かっていないんだが、その世界について色々と調べた人によるとだな、巨大なカラクリで食材を自動でああいう形にしているらしい」
「……異世界っていうのはもう、何でもありみたいね」
「あっちはあっちでルールに則らなくてはいけないから、ままならないことも多いらしいがな」
その辺りは人が人である限り、集団で社会というものを形成する限りなくなりはしないものなのだろう。
一時は国という巨大な集団の中枢近くに居たこともあるニアからすれば、そうしたわずらわしさから解放されるには、世捨て人としてたった一人で生きていくより他はないと思えるのだった。
もっとも、そうした選択をした人物の多くは俗世とともに多くの欲をも捨て去っているので、比較対象とするのに妥当かどうかは疑問が残るところなのではあるが。
ちなみに、二人が一心不乱になって貪ったあの食べ物の元となったのは、〈収納〉によってディーオの異空間に大量に詰め込まれているこれまで倒してきた魔物の肉やその他の素材である。
迷宮の力と膨大な魔力を用いてそれらしく作り変えたのだった。
さらに余談となるが、召喚という能力自体は迷宮のものではなく、ニアの世界にいたディーオの同一存在だったあの男が得意としていたものである。
情報だけとはいえ異世界の物を写し取るといった高度な技を難なく使いこなせたのは、同一存在の能力であったがゆえに彼の心と体に馴染みやすかったという点も挙げられる。
「とにかく、調理したものは召喚できないと思っておけば良いのね。それじゃあ、食材や調味料の類といった物はどうなの?」
「ちょっと待ってくれよ。……ああ、そっちは概ね問題ないようだ。肉なんかだと特定部位だけということもできそうだな」
そう言って新鮮そうに見える野菜や肉の塊を取り出してみせるディーオ。
「別の意味で問題が大ありな気もするわ……」
三十四階層に住む魔物女性たちが見れば狂喜乱舞しそうな光景に、早くも頭痛がぶり返してきそうになるニアなのだった。
「つまり結局のところネックとなるのは調理の技術や方法ということになりそうよね」
ただでさえ二人とも食事に関しては食べる専門であり、調理方面には疎く経験や技術は元より碌な知識すら持っていないのだ。
当人たちは至極真っ当で真面目に取り組んでいるつもりでも、傍から見れば明後日の方向へ、その道の本職たちから見れば目標地点に背中を向けて全速力で突っ走っている、などということにもなりかねない。
まあ、この点は多くの冒険者たちも同様なのでことさらディーオとニアの二人だけを責められるようなものではないのだが。
特級冒険者という地位にあるあの支部長ですらも、迷宮内では基本的に保存食だけで済ましているのだから、冒険者全体の調理技術事情は推して知るべきであろう。
一応擁護の言葉を付け加えておくならば、町の外で調理を行う場合には匂いが拡散して魔物を始めとした良くないものを惹き付けやすいとか、調理の間その場から離れることが難しくなるといった事情が、調理技術向上の壁となって立ちはだかることが多いのだった。
加えて、異世界の未知の料理だ。この世界にはない不可思議とも思える調理器具や調理法を用いる必要がある可能性も高い。
単純に形を真似れば済むことなら試行錯誤することで解決に向かうこともできるかもしれないが、例えば器具の場合、動力から燃料まで異なるとなればお手上げと言わざるを得ないだろう。
「暗雲が立ち込めている程度の先行きの悪さではないわね……」
「ああ。確実に嵐になっていて、しかも降ってくるのが水滴ではなく炎を纏った岩の塊だっていうくらいには厳しい状況だな」
踏破の際には散々苦しめられて四苦八苦したこともあって、万能に思えた迷宮の力だったが、ニアの望みであった元の世界に変えるということも含めて、世界を隔てる壁を超えるには力不足であったようだ。
「まあ、ない物ねだりを続けたところで空しくなるだけだし、今やれることを考えていくべきだろうな」
幸いにして、とディーオたちは思っていたが、本当であれば食材や調味料を手に入れるということは最も困難な作業とすら言える項目である。
それこそ幻の食材と呼ばれるようなものであっても簡単に入手出来てしまうのだから、世の料理人たちや美食家が知れば血涙を流して羨ましがるはずである。
カードで言えばジョーカーやワイルドカードなどと呼ばれるものを手にしているに等しく、それを可能にした迷宮の力も通常は絶賛されるに値するものなのである。
要するに、彼らの望みが高過ぎることにこそ問題があった訳なのだが……、迷宮内で過ごす時間が長くなってしまったことで、そうした常識的な尺度というものが損なわれつつある二人は気が付くことはなかったのだった。
「そういえばディーオ、先程の会話で思い出したのだけれど、三十四階層にいた魔物女性たちはどうにかできそうなの?」
次代を産むことができないという滅びを目前としていた彼女たちは、二人のどちらかがダンジョンマスターになり迷宮の理を変化させることによって生き延びることができるかもしれない可能性に賭けたのだ。
三十五階層を抜ける時の大騒ぎで魔物女性たちの元には相当量の食糧――主に魔物の肉――が集まったはずだ。大人から子どもに至るまできっと全員が小躍りして喜んでいることだろう。
実際にはニアの予想をはるかに超えた成果となっていたため、今この時も諸々の後処理をし続ける羽目になっていたのだが。
「ああ。まあ、彼女たちのことは迷宮の力を用いれば何とかなるとは思う」
魔物女性たちの抱える問題についてはニアが気絶している間に既に調べ終えていた。ディーオなりに彼女たちに希望を提示した責任を感じていた証拠である。
「微妙に歯切れの悪い答え方ね……。また何か一筋縄ではいかないような厄介事があったの?」
「想像していたよりも根が深い原因があったというところだな」
他種族、主に人間種の精を受けることで有精卵を作り出していた魔物女性たち三種族であるが、この時産まれるのは母体となった側、卵を産んだ種族の子ども――しかも必ず女――となる。
これは即ち、卵を産んだ側の方が精を与えた側よりも強く発現するようになっているということだ。
「どうにも気になって詳しく調べさせてみたんだが、それによると遺伝子、まあ、命や体の設計図のようなものだと思ってもらえればいいんだが、それがそれぞれの種族ごとに全く同じだったんだ」
長老たちもちびっ子たちも関係なく、ラミアであればラミアの、アラクネであればアラクネのものの、そしてハーピーであればハーピーとなるための遺伝子でしかなかったのである。
つまり遺伝子的には同一の存在であり、性格や外見の違いは全て後天的なものに影響を受けてそれぞれの個体ごとに形成されていったものだったのだ。
「しかも偶然なのかそれとも必然なのか、あの三種族の遺伝子はとてつもなく似通っていた」
異なる種族であったはずなのに、それぞれの血を用いての繁殖が早々に頓挫してしまったことには、このような原因が隠れ潜んでいたのだった。
『特殊個体』に『変異種』化したことが影響したというのが一番確度の高そうな要因ではあるが、いかんせん魔物女性たちがそうなったのは彼女たちが外で暮らしていた時のことである。
どうしてこれほどまでに似通ってしまったのかはという正確なところは、迷宮の力をもってしても判別することはできなかったのだった。
「それでも元々していたように新しい精を与え続けることができれば生き延びることはできるはずだ。後は迷宮の力で遺伝子を作り変えるということもできなくはないようなんだが、いかんせんどんな弊害が飛び出してくるか分からないからな……。ここのところはもう一度魔物女性たちと話し合う必要があるだろうと思う」
植物や動物の交配であっても、何代もかけて行ったところで望む結果を得られるとは限らないのだ。それを一代で急激に行おうというのだから、どこかに歪みが出たとしてもおかしくはない。
例え問題の先送りだと言われようとも、ニアもまた当面は精や血を与えられる人材を供給できるようにする以外に方策はないと思えたのだった。
「それで話を戻すんだが……、ニアは俺の夢を協力してくれるかい?」
逸れた話の軌道を修正しただけでなく、ディーオはここぞとばかりに一足飛びに彼女に答えを求めてきたのだった。
つまりはそれだけ行き詰っており、なおかつ迷宮の力だけではどうにもならないと感じているということなのだろう。
自分などよりもよほど強大な力を扱えるようになったというのに、それでも頼ってくれることに喜びを感じ、一見情けない態度ですらも愛おしく思えてしまう。
そんな感情を自覚してしまい、これは相当に絆されてしまっているなと、ニアは自嘲気味に苦笑する。
「今更の問い掛けよね、それ。どうせ私にはもう望む場所へと帰ることなどできないのだし、このままあなたと一緒にあなたの夢が叶う瞬間に立ち会うのも面白いかもしれないわね」
「と、言うことは?」
「いいわ。あなたの望みに手が届くように手伝ってあげる。ただし、迷宮の力を使って私のことを隷従させようとはしないこと!」
「ああ。それはもちろんだとも!」
ニアにとってはこれからの身の安全を保障させるための極めて重要な条件付けだったのだが、ディーオはあっさりとそれを認めてしまったのだった。
彼女の意識や考えこそが必要である彼にとっては当たり前の対応なのだが、そんなことまで意識が回っていない今の彼女からしてみると、拍子抜けの展開に思わず肩透かしを食らった気分になってしまうのだった。
こうして、長い年月を共にしていくパートナーにして第一の理解者であり協力者となるニアを迎え入れることになったディーオであるが、残念ながら二人だけではその苦境を打破するには至らなかった。
まあ、調理技術が基本中の煮る、焼く、切る程度のことしかできないのだからそれも当然の結果だといえよう。
結局、自我を得ることになる迷宮核や支部長を始めとしたマウズの町の住人たちをも、その野望へと巻き込んでいくこととなる。
そしてそう遠くない未来、マウズの町は『美食の街』としてラカルフ大陸はおろか、外の大陸にまでその名を轟かせていくことになるのであるが……。
それはまた別のお話し。
サブタイトルにもつけている通り、今話にて本編は完結となります。
まずはこのように急で唐突な終わり方になってしまったことを謝罪いたします。
もっと感動的……、は無理かもしれませんが、せめてしっかりと「終わった!」と感じられるようなものとするべきであったと思っています。
ひとえに作者である私の力不足が原因です。ごめんなさい。
完結したと言っても、書き足りていない所が多いことも事実です。
なので、いくつかのことについては番外編としてつらつらと書いていければと思っています。特に最後に記した『美食の街』の元になる支部長たち町の人を巻き込む辺りの話は書いておかないといけないなあ、と思っています。
むしろそこまでしたうえで完結とするべきだったのかもしれませんが、これまで以上に冗長でダラダラしたものとなりそうでしたので、区切りとして今話で一旦締めさせて頂いた次第です。
という訳で、近い内にまた番外編でお会いできるように頑張ります。
でわでわ。




