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ポーターさん最強伝説  作者: 京 高
十五章

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15 不思議な食事

 温かい湯の中を揺蕩(たゆた)っているようなふわふわとした感覚に、「ああ、ここは夢の中なのだな」と認識する。

 何もかも忘れてこのまま温かな世界で夢を見続けていられれば、どんなに幸せなことだろうかと思ってしまう。


 しかし現実とは非情なものである。

 彼女、ニアのそんなささやかな願いすらもぶち壊してしまうのだから。


 ふと、香ばしいような芳しいような複雑な匂いが鼻孔をくすぐっていく。それは決して不快なものではなく、むしろ好ましいものであった。

 が、だからこそ残酷ともいえる。彼女の意識を覚醒させて、この安らかなる空間から引きずり出そうとするのだから。


 少しの間抵抗してみるも結局は香りの誘惑に打ち勝つことはできず、ニアは自身の意識がゆっくりと浮上していくのを諦観して受け入れるのだった。


「お!目が覚めたみたいだな」


 軽く身動ぎをしたと同時に、耳に飛び込んできたのはそんな言葉だった。


「あうっ!?」


 目を見開いてみようとするも、刹那飛び込んできた光量の多さに若干の痛みを感じて慌てて瞼を閉じる。

 おかしい。確か意識を失う前に居たはずの場所は、微かに仄明るいとか薄暗いといった程度の明るさしかなかったはずだ。

 それがどうだ、昼の陽光には及ばずとも一瞬垣間見えただけでもかなりしっかりと周囲を見渡すことができていたように思う。


 少なくとも迷路型の階層――壁や天井がぼんやりとした明かりを常に発していた――や、マウズの町にいた頃にはすっかりと常連になってしまっていた『モグラの稼ぎ亭』――酔っぱらった冒険者たちが壊してしまうので、いつもランプが不足していた――に比べれば遥かに明るかった。


 もしかすると別の場所へと運ばれてしまったのかもしれない。そんな不安を抱きながら、今度はゆっくりと少しずつ目を慣らしていくように両の瞼の抱擁を解いていく。


「大丈夫か?」

「ひゃあ!?」


 ふいに目の前に現れたディーオの顔に驚いて、上半身を置き上がらせてしまうニア。


「うおっとお!?」


 上手くのけ反ってくれたお陰で難を逃れたものの、そうでなければ盛大に頭突きをかましてしまい、二人揃って痛みに悶絶してしまっていたところだ。

 とはいえ、立て続けに発生した事象に彼女の心臓は早鐘のように鳴り続けていた。


「び、ビックリした……」


 と、あえて声に出すことで気持ちの行き場を作り、感情を素早く整えていく。それが功を奏したのか十を数える頃には周囲を見回す余裕すら生まれていた。


 この時の彼女の気持ちを一言で表すならば、「一致しない」だろうか。

 見知った空間であると頭のどこかでささやいてくる一方で、明るさが大きく異なることを始めとしていくつもの物が雑多に置かれており、まるで知らない場所のようにも感じられてしまうのだった。


「ここは、三十八階層なの?」

「うん?それはそうだろう。いくら何でも気絶したままのニアを置いてはどこにも行けないからな。……ああ、そういうことか。料理をするのに光源が必要だから出してもらったんだ。いやあ、明るくなるだけで随分と印象が変わるものだよな」


 それだけではないだろうと突っ込みたくなったが、確かにディーオの言うことももっともだったためにそれらの言葉を一旦飲み込むニア。

 いや、直感的に最優先で確認しなくてはいけないことに勘付いたからかもしれない。


「ディーオ、あなた料理なんてできたの?」


 彼女が知っている限り、ディーオは常に〈収納〉していた出来立て料理を取り出すか、『モグラの稼ぎ亭』を始めとした店や屋台で作られた料理を購入していたはずだ。

 もちろん、干し肉やチーズを削るだとか、湯を沸かすだとか、卵を割って焼く程度のことはしていたが、反対に言えばそのくらいのことしかしていなかったはずなのである。


「なんだか随分と失敬な事を考えられているような気がするな……。まあ、まかり間違っても料理が得意だとは言えないから、概ね間違っている訳でもないか」


 はっきりしない物言いに、どういうことなのかと詳しく問い質そうとしたところで、彼女を夢の世界から引き戻したあの芳しい匂いが再びどこからともなく漂ってきたのだった。


「あれは、何?」


 ぐるりと再び周囲を見回し、その匂いの元が少し離れた小さなテーブルの上に置かれている物だと気が付く。


「あれがつい今しがた俺が料理していたものだ。といっても、沸いた湯を注ぎ入れただけなんだけどな」


 それは料理と呼んでも良いものなのだろうか?

 どちらかと言えば作業と称するべきものではないか。

 そう考えたところで先のディーオの良く分からない台詞の意味へと思い至るのだった。


「それでは反論できないわよね」


 揶揄うように言うと、ディーオは仕方がないとばかりに肩をすくめる。


「この際俺の料理の腕はさておいてだ。これだけ匂いがしてきているのならそろそろ出来上がりだろう。どうだ、起き上がることはできそうか?ダメなようなら持ってくるが、布団が汚れると後が面倒そうだから、できるならテーブルで食べた方がいいぞ」


 今の今まで気が付かなかったが、ニアはどうやら布団に寝かされていたようだ。よくよく見てみると、ベッドでこそないがしっかりと寝具だ。

 迷宮の探索中に使っていた魔物の毛皮をなめして多少手を加えた物とは比べものにならないほどの立派さである。


 いや、今気にするべき点はそこではない。何気に汚すことを前提にしていることにこそ突っ込むべきではないだろうか。


「あのねえ。女性に対してその言い方はどうかと思うわよ」

「ああ、悪い。でもな……。多分食べ始めたら他のことに気を配る余裕なんてなくなると思うぞ」


 自信に満ちた言い様にそこはかとない不安感が湧き上がってくる。元々は名家の出でありそれなり以上のものを食べてきて舌が肥えていたはずの彼女ですら、ディーオが提案して作らせたという料理の数々は美味だと感じられていたからだ。

 もっとも、のめり込んでしまえば食事など二の次三の次となってしまう研究者生活を送っていたためか、大半の料理や食材を美味しく感じられるようになっていたのだが。


 さて、匂いの元となっているテーブルの上に置かれた物体であるが、それは大振りのコップほどの大きさの物だった。

 様々な染料で色鮮やかに何やら描かれているようだが、遠目でもある事も含めて良く分からないというのが本当のところだ。

 湯を入れたと言っていたから、乾燥させた野菜や干し肉、または雑穀の類をあの中でふやかさせているのかもしれない。


 町から外に出た冒険者たちが食する定番の食事を思い浮かべたところで、ニアはゆるゆると首を横に振った。あれはお世辞にもそれほど美味いものではない。

 ディーオならば〈収納〉していた料理を取り出せば、それよりも上等なものをいくらでも食べることができるはずだ。


「余り放置しておくと味が落ちるって話だから、さっさと食べてみよう」


 起き上がるために差し出された手を無意識に掴んでしまったことに気が付いたのは、向かい合って席に着いた後のことだった。


 目の前にある謎物体をしげしげと眺める。

 大きさは先程も述べた通り大き目のコップくらいであろうか。安酒を浴びるようにして飲む連中からすれば物足りない大きさだ。

 そして紙のように薄っぺらい蓋の隙間から抜け出してくる湯気と共に、芳しい香りが立ち上って来ていた。


「ねえ――」

「説明は後だ。まずは食ってみようぜ」


 期待に満ち満ちた表情でそう言われてしまうと、それ以上言葉を続けるのをためらってしまう。

 いそいそと自分の割り当て分の蓋を取り去っているのを見ると、くどくどと言葉を重ねることが無粋で余計で邪魔なものに思えてくるのだった。

 ただ、せめて食べ方くらいは教えてしかるべきだとは思うのだが。


「はあ……」


 小さく一つため息を吐くと、ニアはディーオの真似をして蓋を取り去ることから始めることにした。


「うわっ!?柔らか!?それに思ったよりもしっかりと張り付いてる!?」


 入れ物部分は予想に反して柔らかく、少し力を入れただけでもふにゃりと変形してしまう。が、離すと元に戻るという不思議な感触であった。

 そして蓋の方も想像以上にしっかりと糊付けされていたようでこちらはある程度の力でもって引っ張らないとはがれそうにもない。

 相反する二つの要素に四苦八苦しながらも、何とか中身をこぼすことなく蓋を取り除くことに成功する。


「なんだか食い難いな……。熱!?あ、でも美味いな!」


 ホッと安堵していたところに、いっそ能天気とも言えるようなディーオの声が聞こえてくる。

 相席をしている者を無視して自分だけ食べ始めるとはマナー違反なのではないか。苛立ちながらも今の彼に何を言っても無駄なような気がして一時放置しておくことを決定する。


 改めて蓋を取り除いた中を覗いてみると、そこにはみっしりと詰まった紐のような食材と、その上に野菜か何かの端切れや細切れになった肉らしきものが乗っていた。

 ディーオが注いだという湯はそれらが吸い込んでしまったのかほとんど見えないようだ。


「これ、を使うのね?」


 脇に置かれていた深い切れ込みが入った匙を手に持ち、そっと紐のような物体をおしてみる。


「わわっ!?」


 にじみ出てきたスープと一緒に弾けるように香りが広がっていく。知らずごくりと唾を飲み込んでしまうニア。

 嗅ぎ慣れていないが、間違いなくそれは食欲を刺激するものだった。

 思い返してみると、最後にまともな食事をとったのは三十七階層に降りるよりも前のことではなかっただろうか。長時間何も口にすることなくすっかり空きっ腹となっていた身で、その匂いの誘惑に打ち勝つことなど到底できはしなかった。


 匙を突き込み紐状のものを掬い上げる。

 そしてぱくりと口に含むと……、そこから先の記憶は定かではない。気が付けば目の前には空になった謎素材の容器と匙が転がっていた。


 正面に座っているディーオは呆けたような、それでいて満足げな表情を浮かべている。

 恐らく自分も似たような顔になっているのだろうと、思考速度の低下した頭でニアはそんなことを考えていた。


「喜んでもらえたみたいだな」

「多分ね。空腹を満たすことに夢中になって、よく分からなかったわ」


 なけなしの強がりで言い返す。

 そしてそれを後押しするかのように、二人の腹から自己主張する音が聞こえてくる。


 どうやら、若い二人の身体が満足するにはあれだけでは足りなかったようである。


理解してもらえている、とは思うのですが、一応説明しておくとカップ型の即席麺です。

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