11 逆流
「あああああああああああああああああ!!!?」
体の中から大量の何かが抜け出していく感覚に、ニアは知らず知らずの内に悲鳴を上げていた。
だが、苦痛に喘ぐことになったのは彼女だけではなかった。
「ぐっ?……な、んだ、これ、は……?」
突如押し寄せた大量の力に、ディーオは意識だけではなく体までもが弾け飛んでしまいそうな恐怖を感じていた。
実際彼の身体は所々が不自然に膨れ上がっており、表皮付近の細い血管がいくつも裂けて鮮血の華を咲かせることとなっていた。
ニアから逆流してきた力、それは彼女がつい先だって手に入れることになった迷宮の力であった。正確にはダンジョンマスターという資格を得たことによって、迷宮との間に通路ができていたというべきか。
ディーオへと力が逆流し始めた瞬間、自身を守るため彼女は無意識にもその通路を接続してしまったのだった。
つまりディーオは奪われていた『空間魔法』などの自身の力を取り戻してからは、迷宮の力を吸収することになってしまったのだ。
いくらマウズの迷宮が年若く未熟だといっても、人一人などとは比べものにならないほどの能力や権能を秘めていることに変わりはない。そんなものがいきなり流れ込んできたのだから、ディーオの心身に破滅的な変化が起きたとしても無理はない話である。
そして自身の力は守ることができたとはいっても、大量の力がニアの身体を経由していくことには変わりがない。膨大な力の奔流に翻弄されながら、彼女はただただ悲鳴を上げながら終わりの時が訪れるまで耐え続けるしかなかったのだった。
このように、当事者の二人が苦しみ悶えているのと同時に、この場にいた残るもう一つの存在も予想外の出来事に声なき叫びを上げる羽目になっていた。
その存在とは、迷宮そのものでもあり迷宮を統括している迷宮核だった。
核になる自分が破壊されて迷宮そのものが壊滅させられることはあっても、まさか自分の力だけを奪われることになるとは露とも思っていなかったのだから当然の反応だろう。
せめてもの抗議の証としてしきりにその宝玉の身体を明滅させていたのだが……。苦しむ二人はそれどころではなく、哀れなことに結局誰にも気が付かれることはなかったのだった。
「う……、ぐぐ……」
気を抜いた瞬間弾け飛びそうになる心と体を必死になって繋ぎ止めながら、ディーオはどうすればこの状況を改善できるのかと頭を働かせていた。
幸か不幸か、それには流れ込んできた迷宮の力が大いに役立つこととなっていたのだった。逆に言えばそのために狂うことすらできなくなったとも取れるのだが、これについては元よりそうなるつもりはなかったのでこの点に関しては問題なかった。
「迷宮の、力に対して……、人、という、器が小さく、脆弱過ぎることが、問題、な、のか?」
そう思い至ったところで最初に考え付いたのが自らの肉体を改造して強靭なものにすることだった。
が、即座にその案を却下する。
「ダメ、だ……。どれだけ、強く、固い、ものに、しようとも、迷宮、の、力の大きさ、に耐えられるもの。じゃない」
ある学者の説によれば迷宮とはそれだけで一つの世界であるらしい。とある世界の一個の被造物に過ぎない生命体が取り込むことができるはずもない。
「まあ、原初の時から生き続けているっていう、始原の存在くらいになれれば、可能性はあるのかもしれないけどな」
いくつもある創世神話のうちの一つを思い浮かべては、その登場人物になった夢想をしてはにやけるディーオ。命どころか存在の危機にすら瀕しているというのに、なんとも暢気なものである。
もっとも、この丈夫な精神力こそが彼の強さの源とも言えるので、一概にバカにすることはできない。
このあたりが彼の面倒くささの象徴といえるのかもしれない。
ともかく、入れ物の方を丈夫にすることは不可能という結論に達したディーオは、新たな解決策を模索し始めた。
案その一、迷宮の力を放出する。つまりは廃棄する。
結論、却下。それを捨てるなんてとんでもない!
想定とはだいぶ異なることとなったが、これこそディーオが求め続けてきた迷宮の力だ。これがあれば長年の夢でであった異世界の料理を再現できるかもしれないのだから、廃棄するなどというのは以ての外だった。
案その二、流れ込んでくる力を止める。
結論、無理。確かに現状ニアが作り出した術式を乗っ取ることはできているが、あくまでそれだけのことだったのだ。
いくつもの『異界倉庫』産の蓄魔石を用いてその有り余る魔力によって強制的に流れを逆転させたが、細やかな知識を持たない彼にはそこまでが限度だった。
そしてニアの術式を簡単に説明すると、二つの水場を繋ぐ水門のない水路のようなものだった。元々ディーオの力をすべて奪い尽くすつもりだったため、途中で止めるための機構を必要としていなかったのである。
そして逆流によって迷宮から流れてくる力は、巨大なダムが決壊して、溜まりに溜まった水が氾濫した大掛かりな鉄砲水のようなものだった。
いくら有り余る魔力とは言っても、それが通用するのはニアという一個の人間を相手取っていたからに過ぎない。
迷宮などというとんでもない存在を相手取るには、力不足どころか全く勝負にならないほどの差が存在しているのだった。
立て続けに二つの案を使えないと判断したことによって、さしものディーオも不安と不満が蓄積していくのを感じていた。そんな負の感情に引きずられるように苦痛が一層増していた。
負荷に耐えられず眼球周辺の血管が切れてしまったのか視界が赤く染まっていく。いくら『異界倉庫』という異能を持ち、少々期からの訓練で人並外れた能力を持つに至ったディーオでも、それをはるかに超えるだけの力を宿すことなどできはしない。
限界が近づいていることを感じ取っていた。
ふと、それでは彼女の方はどうだったのかという疑問が頭をよぎる。
先にも述べたようにディーオの持つ能力は、人という種族の中では極めて高い。それを奪い取ろうとしたのだから、器としてのニアはそれを受け入れるだけの度量を持っているのではないかと思ったのだ。
実際彼女は魔法に対しての天賦の才を持っており、洞察力などは先輩冒険者のディーオを上回るところも見せつけていた。そのため、十分にそうした容量を持っているのかもしれないと感じたのだった。
ところが、である。迷宮からの力の通り道となってしまっただけで、彼女は悲鳴を上げて蹲ってしまっていた。ニアの名誉のために言っておくと、命を落とすことなく、ましてや意識を失うこともなく耐え続けていられるだけで驚愕すべき事象といえる。
それでもディーオの想定する強さにまでは至ってはいなかったのだった。
だとすれば、ディーオから力を奪ったとしてもその身体の内に留め置くことができなかったのではないだろうか。つまりは、何らかの細工を施していたのではないかと思い至ったのだ。
この推測は正しく、ニアはディーオから奪い取った力の大半を、彼女自身ではなく迷宮へと吸収させていた。迷宮の力を意のままに操ることのできるダンジョンマスターだからこそ可能な方法といえる。
この下地があったために、力の逆流が始まった時にもすぐに迷宮との通路を接続することになったのだった。
そこまで考えた時点で、迷宮の力を何かに封じることはできないだろうかと思い付く。
ふとした拍子に旅立っていきたがる意識をプロレスなる異世界の格闘の技で繋ぎ止めながら、何か都合の良いものはないかと脳内で『異界倉庫』の目録を閲覧していく。
「これは……、ダメだな。あれは!……そもそも何の道具かすら分かっていないんだった」
しかし、異世界の同一存在たちが好き勝手に放り込んでいるため難航してしまう。
そもそも、それぞれの世界で発表できるのであればこんな場所に保管しておく必要などない訳で、その一点からだけでも一筋縄ではいきそうにない事を暗示していたのだった。
「かはっ!」
小さく咳き込む声が聞こえる。絶え間なく襲い来る苦しみに役目を放棄しようとする体をこれまた強制的に労働に駆り出す。
それでもほんの少し視界が動いただけだったことから、彼の疲労の度合いが分かるというものだろう。
視界に入ってきたのは足下に飛び散った液体らしきものだった。既に朱に染まっていた視界にことさら赤く映し出されている。
どうやら血であるらしい。そう、先程の声は彼自身が吐血した際に発せられたものだったのである。そんなことさえも分からなくなりつつあったのだ。
「これは、本格的、に、まずい、な」
焦燥感に苛まれながら残った左手を握り締める。と、そこにきわめて固いものを感じ取った。
よろよろと震えながら手を持ち上げてみれば、そこにあったのは蓄魔石だった。
刹那、天啓のような閃きが走る。
「一か、八か……、だな」
残る体力を鑑みれば、動けるのは後一度きりというところだろう。それならば閃きに従ってみるのも悪くはない。
ニヤリと笑うと、ディーオは文字通り自分の命を懸けて『異界倉庫』からある物を取り出した。
「入って、くれよ!」
願いを込めるように握りしめると、身体の中で荒れ狂っていた膨大な力がどんどんと流れ込んでいくのを感じ取ることができた。
だが、それも束の間。あっという間に手にした蓄魔石の容量が一杯になってしまう。
そう、彼が迷宮の力を吸収させる品として思い付いたのが、使い切って空っぽになっていた『異界倉庫』産の蓄魔石だったのだ。
「もう、なのか!?」
慌てて足下に転がして、新たな一個を取り出しては握り込む。
それからはその繰り返しだった。力が身体の中を通過していくのはかなりの負担だったが、それまでの破裂しそうな状態に比べればはるかにマシというものだ。
気が付けば迷宮の力を封じられた元蓄魔石は八個にもなっていたのだった。
「う……、あ……」
そしてついにニアが意識を保つことができなくなり気絶する。同時に二人を繋いでいた術式が霧散してい
った。
皮肉なことに術式の制御は乗っ取られていても、それを維持し続けていたのは彼女の力だったという訳だ。
倒れた彼女の胸が小さいながらもしっかりと動き続けているのを確認して、ディーオは大きくため息を吐いてその場に座り込んだのだった。




