10 二人の戦い
「どうやらいつものハッタリだったようね」
なけなしの蓄魔石の魔力を使い切ってしまうことで得られた情報が、たったそれだけのことかと天を仰ぎたくなってしまうニアだったが、そこはぐっと堪える。
先程のこともそうだが、ディーオは発想の柔軟さという一点において彼女の知る限り他者の追随を許さない。いっそ突飛とすら言っても過言ではないのではないかと思えるそれは、世界最高峰の頭脳集団とすら呼ばれていた元の世界での同僚たちを含めても群を抜いていたのだった。
これ以上、下手に情報を与えてしまっては、独力で彼女の真なる目的にまで辿り着かれかねない。
危機感を覚えたニアは、ついに決断を下すことになる。
「何だ、これ?」
ディーオの周囲を薄っすらと光る膜のようなものに取り巻かせる。
が、事ここに及んでなお、彼から発せられた台詞は危機感や恐怖感、そして焦燥感と言ったものとは無縁の空とぼけたものであった。
盛大に脱力しそうになりながらも、それだけの信頼を得ることができていたのだと考えることにして膜の強化に努める。
心の片隅に感じた小さな痛みについては、あえて無視することにして。
本来であれば迷宮の膨大な魔力を使用できるため何と言うこともない作業であるのだが、現在その迷宮の魔力が絶賛枯渇している真っ最中である。
そしてダンジョンマスターという立場に就くことはできたが人の身であることには変わりがない。残り少ない魔力をかき集めるようにして術式を展開して維持していくだけでも多大な労力を必要としてしまうのであった。
自分たち、特に自分を排除するために配分などを一切無視して魔力を注ぎ込んだ迷宮――しかもものの見事に失敗しているときている――に対して、怒りの感情が湧いてきそうになる。
しかしながら彼女の方もまたつい先ほど感情に任せて蓄魔石の魔力を使い切ってしまっていることを考えると、決して偉そうに言えた立場ではないだろう。
更に言えば、ニアが転移してきた際そういった気質が迷宮に取り込まれた可能性もある。いずれにせよ、どんなものであっても主従というものは似通った性格になっていくものなのかもしれない。
話を戻そう。ニアが展開した術式、ディーオの周りに張られた膜のようなもの、これは内側に閉じ込めた存在から能力を奪うという代物だった。
あくまで能力だけで生命力に関しては直接的には関わりはしない辺り、無意識に情が働いていたのかもしれない。
もっとも、能力が生命力に直結しているという場合も多いため、この術式であっても結局のところは命を脅かすという事態が大半を占めることになるのではあるが。
「ぐっ……!?」
体の中から何かが抜けていくような感覚にディーオが呻き声を上げる。
強力な魔法を使って一気に大量の魔力が消費された時のような、けれどもそれとは絶対的に異なるまるで自分の根本を築き上げている何かが吸い取られているような感覚。
「な、にを、した?」
自分という存在を足元から突き崩されるような不快感に苛まれながらも懸命に口を開く。
図らずともそれは彼が自我を保つために一役以上の働きをすることになる。
「やはり、抵抗するのね……。いいわ。存分に抵抗しなさい。その上でねじ伏せて私はあなた『空間魔法』の力を手に入れる!」
抗うその姿勢に感化されたのか、ニアからその目的を引き出させることに成功したのだ。
この時の彼女の本心がどこにあったのか、今ではそれを知る術は残されていない。先に述べたようにディーオの気概に感化されたのか、それとも自らばかり事情を知ることに負い目を覚えたのか。はたまた単純に慢心していただけだったのかもしれない。
ただ、いずれにせよこのやり取りがこの後の展開を決定づけることになったのは間違いない。
ニアの決定的な失敗、それは理解したと思っていながらもディーオの発想の柔軟さを理解しきれていなかったことにあるのかもしれない。
短い言葉からディーオは自身の能力が奪い取られそうになっていること、そしてそれに抗っていることを理解していた。
そして同時に「奪われているということは、相手との間に何らかの繋がりができているということではないか」と思い付いた。
ここまでは機転が良かったり頭が回ったりする者であれば、十分に考えが及ぶことだろう。
だが、それならば「より強い力で吸い上げてやれば奪われた力を取り返せるだけでなく、逆に相手の力を奪うことができるかもしれない」というところにまで思考が広がる者となれば、そうはいないのではなかろうか。
更に、実際にそれを行ってしまえるだけの力と度胸がある者となると、恐らくは激減してしまうと思われる。外部から強力な力を取り入れた後に扱い切れずに破綻するという話は古今東西よくあるもので、そうした知識を持っていたならば自然とブレーキがかかるというのが普通であるからだ。
知らなくともここまで考えを巡らせることができたのであれば、そうした未来を迎える可能性にも気が付くのが道理だ。
その上でまだ実行に移せるだけの者となると余程の大物か、絶対に自分はそうはならないと思いこめる自身かのどちらかであろう。
では、ディーオの場合はどうだったのか?
長々と説明を加えてきたところを申し訳ないが、どちらにも当てはまらなかった。なぜなら、普通は思い浮かべるはずの強過ぎる力によって破綻する展開を全く想像していなかったからである。
幼い頃から『異界倉庫』という強大な力を手にしていて、後には『空間魔法』まで扱えるようになったという経験があったため、力を得たことで破滅するという展開を想像することができなかったのだった。
余談だが、ディーオが過不足なくその力を使いこなせるようになった背景には、異世界の年長の同一存在たちによる教育プログラムが大きく影響していた。
が、本題からはかけ離れていくためここでは詳しいことは割愛する。
方針は決まった。
後は実行するのみだ。
「ニア、悪いが思い通りにはさせられないぞ」
「ふうん。もう既に半分近くの力を吸い取っているのに、まだそれだけの口をきくことができるのね。まあ、悔いの残らないように精々足掻いてちょうだい」
これがニアの決定的な失敗の二つ目となった。
ドラゴン相手に共に戦い抜いたことで、彼女はディーオもまた自分と同じように満身創痍の状態であると確信してしまっていたのだ。
そして、そうであればこそ彼女が施した術式を解くことなどできはしないと思い込んでしまっていた。
その見立て自体は間違ってはいない。実際のところディーオは体力魔力ともにそのほとんどを使い果たしていたのだから。
この階層へとやって来た際の休息でも、ニアがいなくなっていることに気が付いてしまったことで、まともに休める精神状態ではなくなってしまった。
加えてミミックリースライムたちを過剰な戦力で殲滅してしまったことで、そのわずかに回復した体力なども消費してしまっていた。
今の彼ならば、十尺程度を全力疾走するだけで力を使い果たして床に倒れ込むことになってしまうだろう。
それにもかかわらず、ディーオは不敵に笑って見せたのだ。
それを見た瞬間、ニアは背筋を冷たいものせり上がってくるような悪寒に襲われたのだった。
ニアと組んで迷宮踏破へと本格的に乗り出して以降、格上の魔物相手に連戦を続けてきたことによって習い性になってしまっていた部分もあったのだろう。
が、今回に限って言えば、それはまさしく警告だった。
ここで矛を収めるのならばそれで良し、その後の話し合い次第では和解もできるだろう。しかしなお敵対するというのであれば容赦はしない、という彼から彼女へと向けた最後通牒だったのである。
応ずるべきだったのかどうか。これに関しては意見が分かれるところだろう。
ただ、結果としてニアは決別することを選ぶこととなる。
「……ダメよ。ここで折れる事なんてできない」
「了解。それが答えなんだな」
真剣な表情で見やって言葉を交わす。
互いにこれが最後となると理解して。
果たしてどちらが先に眼をそらしたのか。視線がズレたと同時にディーオは『異界倉庫』へとアクセスする。もっとも魂へと結びついている能力だったためか幸いにも未だ奪われることなく彼の元に残っていたのだ。
そしてそこから拳大の物をいくつも取り出しては床にバラまいていく。
「まさか!?それは!?」
「ああ、言ってなかったな。いつも俺が使っていたのは一番質が良くて大量の魔力を含有している蓄魔石だったんだ。それよりも多少落ちる程度のものならいくらでもあるって訳だな」
一番質の高いものを使うようになったのは、〈障壁〉結界が途中で途切れたりしないよう万全なものとするためであり、後々にもそれらを使用することが癖になってしまっていたのだった。
「それに、なぜ奪ったはずの力を!?」
ちなみに、この時点で既に大半の『空間魔法』は奪われてしまっていて、〈収納〉もまたニアの手元に渡ってしまっていた。
『異界倉庫』へのアクセスも〈収納〉の動作も彼からすれば慣れ親しんだもので特定の言葉や動きを必要とするものではない。そのため、他人からすればどちらを行っているのか見分けがつかないのだ。
もっとも、『空間魔法』のことを秘密にしており、基本的に人前では擬装のための袋に手を突っ込むようにしていたので、このことを見ていた他者と言えばニア以外には居なかったのだが。
「それじゃあ、ちょっとばかり無茶をさせてもらうぞ」
言うや否や転がしていた蓄魔石の一つを手に取り、蓄えられていた魔力を放出させる。そして空っぽになったら放り捨て新しい物から更に放出させていく、ということを繰り返していった。
「な、なにを……?」
その行動の先が読めずに困惑するニア。だが、その表情が驚愕に代わるまでそれ程の時間は要さなかった。
ディーオを取り囲み彼の能力を奪っていた膜、放出された魔力は最初それに触れると反発したり吸収されたりしていたのだが、しばらくすると同化し、そしてついには逆に飲み込み始めたのだ。
「……まさか大量の魔力でもって術式を塗り替えたというの!?滅茶苦茶だわ!」
「だから無茶をするって言っただろう。それに、まだこれで終わった訳じゃない」
ゾワリと嫌な予感がした刹那、彼女は急激な脱力感に襲われることになる。




