9 彼と彼女の現状
不得手だったはずの〈ウォーターブレード〉を使用してもなおニアが平然としている理由としてディーオが当たりを付けたのは、彼女が正式な迷宮のダンジョンマスターとなったことだった。
読んで字のごとく迷宮の主となったのであれば、権能やら何やらを譲り受けているという可能性は非常に高い。そうしたものの中に魔力を融通するというものがあったとしてもおかしくはないと考えたのである。
彼の考えは半分正解であり半分間違っていた。確かにダンジョンマスターとなることで迷宮との間に強い繋がりを得ることができ、その力を自身のもののように扱えるようになる。
だが、三十七階層でディーオたちを迎え討つために行ったドラゴンの召喚に従属などによって、この時の迷宮にはニアに明け渡すことのできる魔力など残っていなかったのである。
それでは一体何を元に彼女は〈ウォーターブレード〉を発動させることができたのか?
答えは何も難しいことではない。単に熟練の魔法使い数人分にも及ぶ魔力を蓄積させておける物を持っていた、ただそれだけのことだったのである。
そう、ドラゴンとの決戦より前にディーオから預かっていた『異界倉庫』産の蓄魔石、その残されていた魔力を使用したのであった。
しかしながら、真っ当な意識の時ならばともかく、現在の彼は片腕を切り落とされてしかもそこに応急処置代わりとして二つの魔法を常時展開し続けているという、維持し続けるだけでも難しい状況になっていた。
その上に敵対感情すら露わにしているニアの状況を、正確に把握しろというのは少々酷な注文だろう。半分ではあっても正解へと辿り着いたことを誉められるべきですらあった。
ディーオにとって分からないと言えば、|先の一撃《〈ウォーターブレード〉》そのものも理解が及ばないものであった。
あれは間違いなく彼の命を奪えるだけの威力を持っていた。それにもかかわらず腕一本だけで済ませたということは、警告の意味が込められていたからだろう。
ここまでは良い。だが、問題はこの先、ニアが一体何に対しての警告を行ったのかが理解できずにいた。
それはつまり、彼女が表情をなくすほどに激高してしまった理由が分からないということだった。
なぜ、そのことが問題なのか?それもまた単純なことだ。答えは命の危険に晒されるからである。
もちろん、コンビを組んできた相手であるニアを思いやる気持ちもあれば、彼女への恋心的な好意もあった。が、それでも第一に考えていたのは、どうすればこの状況を生き延びることができるのか、ということだった。
薄情だと罵るなかれ。
利己的だと蔑むなかれ。
相手はいつでも自分を殺すことができる武器を手にしているのだ。しかも銃で例えるならば、既に引き金に指がかかっている状態である。
しっかりとした意志によるだけではなく、強い感情の発露などによってでも銃弾が発射されてしまう危険すらあるのだ。
死に様を見せつける、今際の際の様子から考えさせる、という手もないではないが、死んでしまってはそれ以降何もできなくなってしまうのは間違いない。
また、そうしたことは死に直面してもなお持ち続けていられるような、確固たる信念といったものが必要になってくる。
そこまでのものを現状では持ちえていない以上、安易に死ぬことで解決などさせることはできないのだ。様々な方面からニアのことを大事に想っているからこそ、ディーオは自身もまた生き残ることに執着していたのだった。
「さて、どうしたものかな」
少しでも気を緩めた途端襲ってくる激痛に呻き声を発したくなりながらも、懸命に頭を働かそうとしていた。もはや傷の痛みに耐えるために考えを巡らそうとしているといっても過言ではない状態だ。
「あの一撃が警告……。ヒントはここにあるのか?」
実働を伴う警告には、思考にしろ行動にしろそれよりも先に進むことを規制する意味合いが込められていることが多い。
今回の場合は〈ウォーターブレード〉という魔法の行使がそれに当たる。
もっとも、それを命中させられた上に大怪我を負わされてしまったことに関しては、本当に必要だったのかと問い詰めたい気持ちがないではない訳ではないのだが。
それについては一旦置いておき、そこから導き出される答えを探っていく。
「だとすればこれ以上俺が先に行くことを拒んだってことなのか」
実はあの会話の最中、いざという時には彼女に飛び付いて無力化できるようにと、ディーオはほんの少しずつだがニアのいる方向へと近付いていた。
そこまで話術が達者という訳ではないので、意図的に話を引き延ばすようなことはできなかったが、それでもできる限りニアの意識が会話の方へと向くように仕向けていたつもりであった。
そうした諸々の策略が見破られたのではないかと考えたのである。
ふとしたきっかけで再発する痛みに千々に千切れそうになる意識を繋ぎ合わせて考えたとなれば、なかなかに上等なものであるといえるかもしれない。
が、彼は忘れていた。
いや、むしろ意図的に意識に上らせないようにしていたのかもしれない。あの〈ウォーターブレード〉による攻撃の直前に彼女の口をついて出た言葉のことを。
「どこまで知っているのかと聞いているの」
この一言こそが、真実へと至るための重要な道標であった。
ニア、本名クロニアンナ・パルキュールは古くは王家の血を引く由緒ある家の生まれである。
幼い頃から膨大な魔力を持つことで名を知られ、その出自と資質によって末席ながら王族の養子となり、国名と同じパルキュールを名乗ることを許されたという異色の存在でもある。
そんな彼女は代々の王の直属機関である王立魔法研究所に十代半ばという若さで入所した才媛でもあった。
そして仲間たちと共に彼女はその才能をいかんなく発揮しては、ある研究に邁進していくことになる。
と、ここまでであれば世界全土を隅々まで見渡せば数百年単位で一人か二人は似たような境遇の者を見つけられる、それなりにありふれた存在である。
クロニアンナ・パルキュールを他に並ぶ者がない唯一の存在として定義しているもの、それはある研究、超長距離転移を完成、起動して異世界へと渡ったという事例であった。
そしてここでもう一つ重要な事実を発表しておこう。彼女が元居た世界こそ、八階層事件の首謀者だった男、ディーオの同一存在がいた世界でもあった。
つまり男はこちらの世界へとやって来てから彼女たちの研究に目を付けたのではなく、元々の世界にいた時に既に目を付けていたということになる。
ニアが変貌する直前にディーオが言ったことを覚えているだろうか。「実は他の世界の住人で、研究していた超長距離転移は世界を超えるためのものだった」、彼としては単なる思い付き程度のことにしか過ぎなかったのだが、その実、それこそがしっかりと真実を射抜いていたのであった。
それ以外についてはおおよそのことはディーオが予想していた通りだ。
研究の成果を得ようとした男によりニアの仲間たちは殺され、辛うじて異世界への超長距離転移を成功させた彼女だけが生き残ることができたのだった。
もっとも、迷宮の最深部へと繋がってしまったのは大きな誤算だったのだろうが。
誤算と言えば、不完全ゆえにか転移した跡が一時的に道となって残ってしまったことも挙げられるだろう。
道と言っても誰でも使用できるという類のものではなく、卓越した知識か才能でもなければ痕跡を見つけることすらできないものだった。
ところが、運の悪いことにその場にいたのは『空間魔法』の才を持つディーオの同一存在だった。執念に近い力で道を探り当て、ついには自力でこちらの世界にまでやって来たのだ。
死の間際に男が「後を付けた」と言ったのはこのためである。
余談だが、最深部ではなく迷宮の浅い階層にいたのは、異世界から侵入してこようとする存在に気が付いた迷宮が咄嗟に防御した結果である。
また、似たような時期に発生した『大改修』はニアの記憶から男のことを危険視した結果、排除しようと過剰に動いたことによって発生してしまったものである。
ただし、最終的に男を吸収したのは迷宮としての本能によるものであって、異世界を超える力を得ようとしたものでもなければ、ニアの潜在意識にあった仲間の仇を討ちたいという想いを果たしたものでもなかった。
一方、そのニアであるが、鋭い眼光と貼り付けたような無表情の裏ではかなりの焦りを感じていた。
ディーオの腕を切り落としてしまったから。確かにそのことも関係していたが、一番の理由は蓄魔石に残されていたなけなしの魔力を使い切ってしまったからであった。
先にも述べた通り、前層のドラゴンの関係で迷宮にもほとんど魔力が残されてはいなかった。無尽蔵な魔力を持つと言われる迷宮がこうした事態になること自体が極めて異例のことではあるのだが、本題と外れることになるので詳しい説明はここでは割愛する。
ともかく、そうした事情もあって蓄魔石の魔力はニアにとっては切り札に近いものであり、事実そのような使い方をしようと心に決めていた。
しかし、予想外にもディーオが彼女の境遇を言い当てたことで彼女の理性は決壊し、半ば無意識に攻撃のためにその魔力を使用してしまったのだった。
正式なダンジョンマスターとして認められてからの時間が短いことも、彼女にとって不都合に作用していた。
ダンジョンマスターとなったことで迷宮の様々な知識を手に入れることになったニアだが、その中には件の男の情報も入っていたのである。そこから男の目的やディーオとの関係、即ち同一存在であるということも知ってしまったのだった。
しかしながら、情報を自分のものとするには食べ物の栄養を体に行き渡らせる時と同じように、咀嚼して飲み込み、そして消化する必要がある。
この時のニアにはそれだけの時間がなく、碌に咀嚼することすらできないままディーオと直接対面する羽目になってしまっていたのだった。
完全にものにしたとはいえず、魔力消費が大きい〈ウォーターブレード〉をわざわざ選択したのも、無意識化に「仲間の敵を討つ」という想いが働いた結果だったのかもしれない。
暴露回でした。
恐らく近い内に最終回へと到達することになると思います。
後少しですが、このままお付き合い願えたら幸いです。




