8 突然の決裂
ここしばらく立て続けに起きていた迷宮の異変。
そして迷宮とニアの関係。
思い返してみれば、確かに異変が発生し始めた時期は彼女がディーオの前へと姿を現した頃と一致していた。
とはいえ、迷宮都市として有名になりつつあるマウズの町には日々多くの冒険者たちや商機を嗅ぎつけた商売人たちなど様々な連中が出入りしている。目の前に現れた少女が迷宮と関わりのある存在であると気が付けというのはどだい無茶な要望だと言えるだろう。
そうした事実が明らかになっていくのとは裏腹に、ディーオはニアが何かを隠していることを感じ取っていた。それもとてつもなく肝心要な内容で、これからの二人の関係を大きく左右するような事柄だろう、と。
一方で、彼もまた彼女には未だに告げることのできていない秘密、『異界倉庫』と異世界の自分たちのことを抱えたままとなっていた。
特に異世界の自分のことについては、その一人が八階層事件の首謀者であったということもあって容易には口に出せるものではなくなっていた。
その男がどうやらニアとの間に因縁を持っていそうであったとなれば尚更だ。
あの男を最初目にした瞬間のニアの怯えようは相当なものであった。気丈な彼女が全く取り繕うようなことなく初手から恐怖を前面に押し出してしまったのは後にも先にもあの時だけであったはずだ。
その時の様子を鮮明に記憶してしまっていたこともあって、加えてあの一件が終わった直後の異常なまでのディーオへの執着心を見せていたことなどから、彼女に詳しい話を聞くことに躊躇いが生まれてしまっていた。
結局ずるずるとその気持ちを引きずってしまい、今日の今日まで聞き出すことはできないままとなってしまっていたのであった。
それが元でこの短期間のうちに迷宮最深部にまで至ることのできるコンビを作り上げたのだから、一概にあの時の判断が間違っていたとは言うことができないだろうが、それは冷静かつ客観的に状況を見ることのできる第三者だから言える言葉でもある。
ディーオとしては「あの時点で腹を割ってしっかりと話し合っておけば良かったのではないか」という後悔の念が生まれてしまうのだった。
「ふふふ。聞きたいことがあるという顔をしているわよ」
「……お見通しか」
「今のあなたの顔を見れば、ほとんどの人がそう考えると思うわよ」
自分で思っていた以上に分かり易い態度だったと指摘されて、反射的に口元を片手で覆うようにしてしまう。
同時にクスクスと小さな笑い声が耳に届き、そこでようやく担がれたことに気が付く。
そのまま頭を抱え込んで座り込みたい衝動に駆られるが、何とか口元の手を額に当ててゆるゆると首を軽く振るだけにとどめたのだった。
「ふふふ……。さてと、いつまでもいじめたままでは性格が悪いと言われてしまいそうだから、ここは一つ私の方から水を向けてあげましょうか。ディーオが知りたいと思っているのは……、ズバリ、八階層事件の時の犯人と私の関係、でしょう?」
正確に言うならば、「ニアが未だに語っていない真相は何なのか?」ということになるのだが、彼女が口にした項目がその核心へと繋がっているように感じられたため、黙って首を縦に振るのだった。
「うーん、素直に教えてあげてもいいのだけど……。もう、あなたなりの答えを導き出しているのではないかしら?」
「さっきまでの話を聞いて色々と予想はしていた。けれど、正解しているかどうかと言われると、あまり自信がないな」
順当に考えるのであれば、この世界へとやって来たあの男が長距離転移を研究していたニアたちのグループに目を付けた、という辺りだろうか。
彼の同一存在であっただけあって、男もまた『空間魔法』には精通していた。しかもディーオとはまた違った特性を持っていたので、そうした研究を行っている在り処を探ることができた可能性は十分にある。
とはいえ、どこまでいっても言葉の端々からの情報を無理矢理繋ぎ合わせたものに過ぎない。間違いなく真実であるなどとは言い切れるものではないのだ。
「珍しいわね、自信がないと言うなんて」
「そう見えるように振る舞っていただけさ。いつも心の中のどこかでは冷や汗を流しっぱなしだったぜ」
決して嘘ではない。嘘ではないのだが、心の大半では大抵の出来事に際して楽観視していたこともまた事実である。
これには生来の性格に加えてこれまでの人生での経験が絡んできているので、そう簡単には変えることはできないものだ。
それに楽天的で直感傾向があると言っても、全く熟考できない訳でもない。つまり、一方的に欠点であるとは言い切れないのだ。
そんなこともあってか、本人としても特に改善しなくてはいけないとは一欠片も思っていなかったのであった。
「ふうん……」
それなりの付き合いともなれば、ディーオのそうした性格傾向も把握できるようになってくるというものだ。既にそれなり以上の付き合いとなっているニアは当然、彼の言葉を話し半分程度にして聞き流していた。
同時にその様子から、彼女が抱え込んだままとなっている秘密について独力で辿り着くのは不可能であろうと、淡々と判断を下していた。
迷宮との関係すらも気が付いていなかったのだから、恐らくはこちらにも考えが及ぶことはあるまい。
もっとも、超長距離転移の事故によって仮初であっても迷宮のダンジョンマスターとなってしまったということ自体が、これまでに前例のなかったことだと思われる。
しかも当の本人はヒントを出すどころか徹底的に隠そうとしていたのだから、これに気が付けという方が元来無茶な言い分なのだ。
「突拍子もないような事でもいいなら、そっちもいくつか頭に浮かんだことはあるけどな。例えば、ニアは実は他の世界の住人で、研究していた超長距離転移は世界を超えるためのものだった、とかな」
と、そんな風に高をくくっていたからだろう。
突然発せられたディーオの予想に、ニアは何の反応も示すことができないでいた。
「……やっぱりさすがに違ったか。いくらここのところおかしなことばかり起きているとしても、そこまでとんでもない事態が発生したりはしていなかったようだな」
あまりにも荒唐無稽な話に呆れかえって固まってしまった、と思い込んだためにすぐに前言を撤回しようとし始めるディーオ。気恥ずかしさからなのか、つい明後日の方向を向いてしまう。
だから、ニアが射抜くような鋭い視線で睨み付けていることなど知る由もなかった。
「……どこまで知っている」
まるで地の底を這うような低い声音に、ディーオは一瞬誰の声なのか気が付くことができずにいた。
「どこまで知っているのかと聞いているの」
女性らしい口調に、ようやくその場にいるのは彼女だけであると頭が理解する。
慌てて視線をニアの方へと戻してみれば、見たこともない恐ろしい表情と強烈な眼光とかち合わせてしまった。
もしも彼女が『魔眼』の類の能力を持っていたなら、この時点で勝敗は決してしまっていたことだろう。幸いにしてそうした能力の保持者ではなかったため、「美人を本気で怒らせるととてつもなく恐ろしいものなのだな」などとどこかズレたことを考えてしまっていた。
仮定の話ばかりを続けて申し訳ないのだが、もしもこの時ディーオがもう少しまともなことを考えることができていたならば、後々にあのような苦労をするようなことにはならなかったのかもしれない。
「ぐわっ!?」
殺気と共に右腕に襲い掛かってきた強烈な痛みに、ほとんど無意識に左方向へと飛ぶ。
一拍遅れてどさっとそこそこの重量物が落下した音が聞こえ、横倒しになった身体の一部に暖かい液体が降りかかっていくのを感じる。
「う、く、ああああああ!!!?」
同時に強烈な痛みが全身を走り抜け、その発端となった場所を抱え込む。
どくどくと心臓が脈打つたびに赤い液体を垂れ流していく右腕は、肘より先が消失していた。
「つ、う……。あ、〈圧縮〉。……〈隔離〉」
いつか見た異世界の応急処置の方法に従って、傷口の少し上を〈圧縮〉で押さえて血が流れ出るのを止め、その上でこれ以上傷口が雑菌に触れないように〈隔離〉で覆う。
そこまでしてようやっと周囲を見回すことができるようになったディーオの目に飛び込んできたのは、先ほどの物音を発生させたであろう切り離された自身の右腕と、背後の床に生じていた抉るような跡だった。
「しゅ、〈収納〉」
このまま戦闘になってしまえば最悪跡形も残らないかもしれない。治るかどうかは別として、切り離された腕をそのままにしておくこともできずに異空間へと送り込んでおく。
恐らくは警告など諸々の意味合いが込められていたのだろう。追撃がないのをいいことに、いくつかの痕跡を頼りに痛みで労働を拒否しようとする脳を無理矢理動かしては、自分に起きた事態を把握しようと努める。
その結果、浮かび上がってきたのが、
「〈ウォーターブレード〉で、切られたのか?」
三十一階層に巣くう大量のゴーレムたちを相手に、ニアが一度だけ見せた魔法だった。
そしてそれが正解だと言うかのように、肘から先をなくしたディーオの右腕付近には己の血以外の液体が飛び散っていた。
ジロリとそれまでの彼女に負けないだけの眼光でもって睨み返す。
「いきなり問答無用で攻撃してくるとは、穏やかじゃないな」
この期に及んで軽口を叩いてしまうのは、もはや習い性になってしまったゆえなのか。それとも痛みで苦しむそぶりを見せまいとするなけなしの意地であったのか。
もっとも彼の頭の中はこの時、別の考えで一杯になってしまっていた。
それは、〈ウォーターブレード〉を使ったはずのニアが平然としていたことである。三十一階層の時点では一回使用しただけで魔力切れを起こしてまとも経っていられなくなる程燃費の悪いものだった。
彼女の性格的にこっそりと修練を積み重ねていたという可能性は否定できないが、今度は実用可能となっていたのにもかかわらず実戦投入してこなかったことに疑問が出てくる。
対するニアはそれまでとは異なって軽口に応じる様子も見せず、ようやく見つけた親の仇を射殺さんとするかのように、ただただ鋭い眼をこちらへと向けるだけであった。




