3 勝因
ディーオたちが知る由もなかったが、ドラゴンの死因は自身の最大最強の攻撃であるブレスによるものであった。
実はドラゴンに逆鱗などという明確な弱点は存在しない。しかし比較的弱い場所ではあったのだ。逆鱗伝承のある顎の裏から喉にかけての一帯は、重なっている鱗の数が少なく、また鱗自体も他の場所に比べると薄く弱い。
もちろんそれはドラゴンの中の話で、他の生き物にしてみればどこも変わらない頑丈さに思えることだろう。
ところでその理由であるが、ブレス攻撃後のクールダウンのためだ。膨大な魔力を通過させることでドラゴンの喉から口内にかけて熱がこもる。
この熱を素早く発散させるために喉裏は鱗が薄くなっているのだった。
そうした事例が巡り巡って逆鱗伝承へと繋がったと考えれば、根拠のない全くの出鱈目という訳ではなかったのかもしれない。
もっともいつ頃の時代にどこの誰が言い出したのかも不明であるため、それが真実かどうかすらも検証のしようがないのではあるが。
話を戻そう。幸いなことに他に有効な選択肢もなかったことからディーオたちは徹頭徹尾喉元を狙い続けていた。それは流血を強いるにまで達しており、決して浅い傷ではなかった。
もうお分かりだろう。ただでさえ防御の薄い喉元に深い怪我を負っていたにもかかわらずドラゴンはブレス攻撃を敢行したことで、強烈な魔力の奔流に耐え切れずに喉が裂け、やがては頭部を吹き飛ばすという残酷な事態を引き起こしてしまったのだった。
もしもこの時、意識を支配していたのがドラゴンそのものであれば自身の怪我の度合いなどから、このような悲劇を引き起こすことはなかったはずである。
しかし、不幸なことにもこの時の彼は半ば融合しかけていたとはいえ迷宮の支配下にあった。
加えて迷宮そのものの意識としては、彼どころか三十七階層をも捨て石にするつもりでいた。
そのため、受けていた傷の大きさなどは一切考慮されることはなく、階層内全てを消し去る勢いでブレス攻撃の使用が選択されてしまったのだった。
一言でいえば、ドラゴンの意識を則った迷宮による壮大な自爆だったという訳である。
しかも肝心要の倒さなくてはいけない対象であったディーオとニアには生き残られてしまっており、結果だけでみればドラゴンという切り札を無為に消費するという迷宮からすれば最悪な展開となってしまっていたのだった。
「首から下はほとんど傷のないドラゴンの全身か……。出すところに出せばとんでもない値段が付きそうだな」
ディーオが攻撃の目を自分に向けさせるために何度か〈裂空〉によってつけた前足の傷は、刺し傷のような形状であるためかほとんど目立つことはなかった。
その事に少々腹立たしいものを感じないではなかったが、生き残ることができたという喜びが勝っているのか、彼の声音には苛立ちなどは含まれてはいないようだ。
「そんな暢気なことを言っていられるものではないわよ。ドラゴンについて調査や研究をしたがる各種機関やら、見栄のために入手を希望する貴族や国、更には金儲けの匂いを嗅ぎつけた豪商に至るまで、およそ権力というものを持ったあらゆる有象無象が押し寄せてくることになると思うわ……」
ニアの推論にディーオの顔が渋さ一色となったのはその光景を思い浮かべたからであり、加えてとても簡単にその光景が思い浮かんでしまったがゆえの事だろう。
「だとすればこれは表に出さない方が無難ということになるか?」
「でもこれから先のドラゴンの生態研究を行っていくためにも、なくてはならないものだと思うわ」
「支部長経由で『冒険者協会』全体を引き込むことができればあるいは、というところだな。だが、今でもあの人には相談しなくちゃいけないことがたくさんあるからなあ……。この件は後回しにしておくべきかもな」
三十四階層以降の情報の違いに魔物女性たちの村のことなど、現状でもマウズの町に戻ったなら支部長たちと協議しなくてはいけないことが大量にある。しばらくは忙しい日々が続くことになりそうだと、小さくため息を吐くディーオなのだった。
未だ迷宮の踏破を成し遂げていないというのに、何とも気の早い話である。
「ともかく、これは一旦俺が〈収納〉しておくとするかな」
「そうね。あなたの『空間魔法』であれば劣化の心配もないから適任だと思うわ。ドラゴンと戦ったこと等は説明しなくちゃいけないけれど、現物がある事はしばらく伏せておいて、折を見て話をするようにした方が良いでしょうね」
だからまだ迷宮踏破には至っていない。
やはりこの二人、心根の深い部分ではとても似通っているようである。
「収納」
と口にしてドラゴンの遺骸を『異界倉庫』へと放り込む。『空間魔法』によって作られた異空間ではなく『異界倉庫』に入れたのは単に残り魔力が少なかっただけの話だ。
〈収納〉の場合は、入れるものに応じて異空間を確保しなくてはいけなくなるため、どうしても魔力の消費量が多くなってしまう。対して『異界倉庫』は既に幾人もの異世界の自分たちによって強固に形作られているために、そこにアクセスして出し入れを行うだけなので消費魔力はごく少量で済むのであった。
『空間魔法』を装ったのは、単に『異界倉庫』についてはニアにもまだ秘密にし続けているからというだけの話だ。
しかし、ディーオはこの時もっとよく考えるべきであった。
いかにあの『異界倉庫』内に放り込まれていた品々が便利かつとてつもなく有効な物であると同時に、危険でとんでもない代物もまた多く放り込まれていたのかということを思い出すべきだったのだ。
彼は知らない。
遠くない未来にふとこのドラゴンの遺骸のことを思い出して『異界倉庫』を覗いた時にどんなに後悔することになってしまうのかを。
彼は知らない。
ドラゴンの生態についてことごとく研究し尽くされた論文やレポートの数々に加え、それらを元にして作られた大量のアイテムの数々が鎮座ましましているということに……。
そんなある意味恐ろしい未来に気が付くことはなかったが、現在の自分たちにとって必要であり、そして最重要なものをディーオは無事に発見することができていた。
「おお!次の階層への階段だ。……そうか、ドラゴンの体の下敷きになることであの業火の影響から逃れることができたのか」
周囲の惨状に対して、階段とその周囲の床は驚くほど綺麗に元の姿を保っていたのだった。
「良かったわ。最悪階段も崩壊してしまっているかと思っていたもの」
実際ニアの言う通り、三十六階層へののぼり階段に関してはブレスの業火に巻かれてほぼほぼ崩壊してしまっていた。よって、こちらの階段までもが崩落していれば進むにしても戻るにしても本来は必要としない余計な労力を振り絞らなくてはいけないところであった。
「いくら何でも、この状態で肉体労働が追加されるのはキツかったから階段が無事で本当に良かったわ……」
「この階層自体がいつまで持つのかも分からないし、早々に離れられるのは助かった」
ドラゴンのブレス攻撃以前から怪しい揺れや地鳴りが発生していた。
最後の手段として迷宮がこの階層を潰してしまおうとしているのであれば、早急に次の階層に向かわなくては危険だ。
本音を言えば少し休息して体力――と蓄魔石の魔力を――回復させておきたいところではあるのだが、残念ながらそうも言ってはいられないというのが現実のようである。
「ともかく、今は先に進もう」
「ええ。願わくば次の階層では落ち着いて休息を取ることのできる場所がありますように」
と下り始めた時こそ軽口を言い合っていたのだが、すぐに階層の崩壊に巻き込まれやしないかとか、実は階層が途切れてしまっていたらどうしようといった不安に駆られだしたようで、三十も数えない内に早足となり、五十を数える頃には駆け足となっていたのだった。
「あらあら、そんなに次の階層が恋しいのかしら?」
「はっはっは。前人未到の階層なんだ。早くこの目で見てみたいと思うのは当然のことだろう」
そんな状況でも掛け合いを止めないのは、互いの声を聞くことで安心感を得ようという心情のせいだったのかもしれない。
幸運にも、二人の進む階段は途切れることなく無事に次の階層へと続いていた。
「ぜいぜいぜいぜい……」
「はあはあはあはあ……」
ほとんど競うようにして駆け下りて来ていたため、到着と同時に荒い息を吐いて床へとへたり込むディーオたち。
危機意識の欠片もなければ、新たな階層へとやってきたことへの感動等何もかもが台無しである。
支部長辺りが今の二人の姿を見れば思わず額へと手を当てて頭痛がするのを堪える羽目になるだろう。頭頂部地域の草原地帯の砂漠化が一気に進行する危険性があるので、副支部長には絶対に見せられない光景であることは間違いない。
たっぷり四半刻ほどの時間をかけたことでやっと息を整えることができたディーオ。その頃になってようやく周囲の様子へと気を配ることができるようになっていた。
辿り着いたのは縦横十尺程度、高さは四尺程の小部屋のような空間だった。階段はその部屋の隅の一つに繋がっており、その対角の隅近くから一本奥へと続くのだろう出口がぽっかり口を開いていた。
さて、すっかり醜態をさらしてしまっていたが、そこは疲れ果てていても冒険者というべきか、先ほどのような状態で襲われてしまっては手も足も出ないということにはすぐに思い付くことができていたようだ。そのため〈警戒〉だけはあらかじめ使用していたのだった。
もっとも、疲れ果ててしまうまで走り回っていた時点で問題ありということになるのであるが。
「この階層もまた、奇妙な雰囲気だな」
どこがと明確に言えるわけではないのだが、強いて挙げるならば三十六階層に似ているだろうか。
ああ、魔物の気配が全くしないことについてはそっくりだと言えるのかもしれない。〈警戒〉を起動させてからそれなりの時間が経過しているが、この間魔物の一体も捉えることはできてはいなかった。
そういえばあの階層では〈警戒〉だけでなく〈地図〉の使用もできなくなっていたな。
ふとそんなことを思い出していたのも、ある種の現実逃避であったのかもしれない。
ディーオが目を背けようとしていた現実、それは先程まで一緒にいたはずのニアが忽然と姿を消してしまっていたことだった。




