1 憑りついたもの、取り込まれたもの
章変更をしていますが、完全に続きです。
ディーオたちが迷宮の変化に危惧を抱いた頃、残るもう一つの生命体もまた不吉な予兆を感じ取っていた。
それは別に彼らの言葉を理解していた訳ではない。強大な存在に連なる種族に属するそれにとっては矮小な人の言葉など知ることにも値しないからである。
ただ、仲間内では脆弱な存在であるがゆえに危険に対する感度は高いやもしれないと考えるものも存在していた。その事を思い出したのかどうかは定かではないが、ディーオやニアが知らず知らずの内に発していた焦燥感や危機感を持ち前の高い感応力によって察知していたのは間違いのない事実のようである。
もっとも、そのことを知るのはそれのみであったのだが。
そしてもう一つ。強力で明確な意志がここには存在していた。ドラゴンの心と体の自由を奪い取った迷宮の意志である。
だが、それは迷宮でありながら迷宮ではなかった。外界から呼び寄せたドラゴンという異物を取り込み、そして異物の中へと入り込んだがゆえに、迷宮そのものからはほんの少し外れた存在となってしまっていたのだ。
仮にこれが迷宮内で生まれ育った、例えば三十四階層の魔物女性たちの村のちびっ子たちのような存在であったり、迷宮が産み出した三十一階層のゴーレムたちのような存在であったりしたならば、このような事態にはならなかったかもしれない。
「生き埋めにされてしまうというの!?」
「はっきりとした事は言えない。だが、迷宮では何が起きるか分からない。どうなるとしても時間はあまり残されていないと考えておくべきだ」
ディーオたちの会話を聞いて、それは今が押し時であると判断してしまった。
またしても仮の話となるが、迷宮そのものがこのことを理解していれば、また違う結末へと進むことになっただろう。
しかしこの場に残されていたのは、完全な支配を行うためにドラゴンの中へと入り込んだものだけだった。本体から切り離されたそれは、気付かぬうちに居住の意識と半ば同化することになっていた。
これによってドラゴンの思考に強い影響を与えられてしまっていたのである。
余談だが、この判断自体は決して間違っているものではなかった。先に進むことができず、また戻るにしても多大なリスクを背負わなくてはいけない二人は、文字通り進退窮まりつつあったのだから。
ところで先にも述べたように、完全なる支配のために一部を切り離してまでドラゴンの中へと侵入させるという、ほとんど前例のない荒業――ラカルフ大陸にある迷宮では三例目、世界全土でも十七例目となる。また、目撃した者はことごとくが命を落としているため、人間種側にはただの一例も伝わってはいない――をやってのけたくせに、迷宮本体はこの時三十七階層への監視を放棄していた。
なぜならディーオたちが感じていた通り、迷宮はこの階層を潰すことで彼らの進撃を止めようとしていたからだ。
つまり、早い話がトカゲの尻尾きりだったのである。……もっとも、切られて残された尻尾はとてつもなく大きく、囮になるどころか逆に相手を叩き潰してしまおうとする程のアグレッシブさを持っていたのだが。
「〈障壁〉。……げっ!?〈障壁〉!!」
正面から振り下ろされる巨大な右前足を食い止めると同時に、側面から巻き込むように叩きつけられる尻尾の一振りをギリギリのタイミングで受け流す。
頭の直上を通り過ぎていったそれは派手に土埃を巻き上げており、その鋭さと強烈さをまざまざと見せつけていた。
ついにディーオたちが恐れていたこと、ドラゴンによる連続攻撃が始まってしまった。先の攻撃は連携がまだまだ最適には程遠かったので防御できたに過ぎない。このまま精度が上がっていけばすぐにでも耐えることはできなくなってしまうだろう。
「階層が潰される以前にドラゴンの攻撃にやられちまいそうだな!」
思わず泣きごとに近い台詞が口をついてしまう始末だ。
攻撃頻度が上がったことで防御に徹する時間が増加していることも苛立ちの大きな原因となっていた。
「〈トライカッター〉!〈アイスランス〉!〈ロックバレット〉!」
ニアも適宜魔法を放っていたのだが、いかんせんダメージ量が少なくドラゴンの行動を止めるまでには至ってはいなかった。その事から決定的な攻撃にはなり得ないと判断され、ほとんど無視するような形となっていたのだ。
「このままじゃダメ……。ディーオ!」
「ああ。そっちは任せる!」
声音から彼女が仕掛けるつもりだと判断したディーオは、時間を稼ぐためにもより一層の緊張を強いられることとなる。
幸いにもドラゴンは階層を破壊しないように力を抑えているのが見て取れていた。むろん、人間種相手には十二分どころではない威力ではあるのだが、檻の中で暴れ回っていた頃に比べればその動きははるかに劣る。
ニアが一矢報いてくることを信じて、生き残るためにも目の前のことに集中していくのだった。
そして長いようで短い時間が過ぎ、待望の瞬間が訪れる。
「其は阻むものなき突き抜ける光、貫け〈シューティングレイ〉!」
ドラゴンを囲い込んでいた檻すらも貫通し修復を拒んでいた一条の光が、再び喉元へと命中した。
「――――――――!!!?」
迷宮によって操られているために声にならない悲鳴がドラゴンから迸る。もっとも、これまでにない衝撃を喉に受けていたため、どちらにしても悲鳴を上げることはできなかったかもしれないが。
「大盤振る舞いしてやるから、こいつもしっかり受け取ってくれ!〈裂空・涯〉!」
更にはディーオからも追撃を受けたことで大きく身を震わせた。
それを見て好奇だと感じたものの、胸の内から予感めいた不吉さがせり上がってきたため一転して距離を取る。直後、彼がいた場所めがけて鋭い爪が振り下ろされていた。
床を抉るどころか周辺までを粉砕するその様子に冷や汗が流れる。深追いは禁物だとこれまでの経験で嫌というほど理解していたはずなのだが、かつてない強敵を前に焦りが出ていたようである。
しかしながら焦りを覚えていたのはディーオだけではなかった。ドラゴンの方もまたこの交錯によって焦りという感情を植え付けられることになっていたのだ。
前述したとおり、ドラゴンやそれを操る迷宮の意志は攻め時であると考えていた。にもかかわらず手痛い反撃を受けて傷を負ってしまっていた。
加えて深層をわずかな日数で踏破してきたという実績から、自分たちの想定を容易く超えてしまう危険な存在だと認識してしまったのだ。
確かにそれらを現実のものとしてきたという部分は想定を超えていたのだろう。
だが、迷宮全体からすれば脅威を感じなくてはいけない程のものではなかった。それこそ一階層を犠牲にすれば完全に排除しきれるだけの存在でしかなかったのだから。
それでは、なぜ焦りを感じてしまうまでに危険視してしまったのか?
理由は簡単だ。ディーオたちと相対しているそれは、迷宮であって迷宮ではないものと変化してしまっていたためである。
ドラゴンを意のままとするために取り込み融合しかけ、その上本体は階層から手を引いてしまっている。それらが複合的に働いた結果、まるで生物と無機物の中間のような何ともおかしな精神構造となってしまっていた。
目の前のディーオたちを得体の知れない存在だと恐怖する半面、持ちうる全ての力を用いてでも合理的にただひたすらに淡々と排除しようと思考し始める。
ドラゴンが持つ最強の力とは、言わずと知れたブレス攻撃だ。炎や吹雪、砂塵の嵐と個体や種族によって差はあれど、体内に蓄積された魔力を元にした力を口から吐き出すという動作によって発現する点だけは共通している。
その威力は途方もないもので、並のドラゴンであればマウズ程度の町一つくらい消し飛ばすことは容易いとまで言われている。
「魔力の動きがおかしい!?」
「まさか本気でここで俺たちと心中するつもりか!?」
二人が驚愕するのも当然だ。いくら頑丈で強靭な迷宮とはいえものには限度がある。そしてそんな限度を軽く突破してしまえるのがドラゴンのブレス攻撃なのである。
「残りの蓄魔石を全部使い切る勢いで〈障壁〉を張れば、生き残ることくらいはできるか?」
「で、でも階層ごと崩壊してしまったら?」
「腹立たしいが、そこはもう運を天に任せるしかないだろうな……」
ブレス攻撃をしのぐことができるかもしれないと言っている時点でとてつもなくおかしな話なのであるが、生き残り次の階層に進むことができなければ二人にとって何の意味もないのであった。
「ニア、俺の後ろでできるだけ小さくなっていてくれ」
急いで座り込みながらも彼女をその背に庇うような姿勢を取ろうとするディーオ。
当のニアはともすれば恐怖に覆い尽くされてしまいそうになる心を懸命に叱咤しつつ、その言葉に従っていた。
これまでのような一枚の壁では防ぎきれないと考えた彼は、自分たちを半球状に覆うことを思い付いていた。その上で可能な限り小さくすることで強固さを増すつもりだった。
「絶対に生き残ってやる!」
口に出すことで意志を強いものとする。
背後で頷く気配を感じる。肩に添えられた手は細かく震えていたが、彼女の気持ちは折れてはいないようだ。安堵を覚えると共に力強さを感じていた。
対するドラゴンの方はというと、最後の準備とばかりに息を大きく吸い込み始めていた。
だが、口はあくまでも放出部分なだけであり、放出するのも体内にある魔力を元としたものである。だとすればあの動作には意味がないのではないだろうか?ふとニアがそんなことを考えてしまったのは、彼女の中に流れている研究者としての血のせいであったのか、それともただの現実逃避であったのか。
かくして、賽は投げられる。
ほんの少し上体を逸らせたかと思うと、ドラゴンは勢いよくブレスをディーオたちに向けた発射した。
……はずだった。
「〈障壁〉!」
ボンッ!どこか間抜けな音がしたかと思えば周囲を業火が包む。
魔法のお陰で温度を感じることはなかったが、その代わり手にした蓄魔石からとてつもない勢いで魔力が抜けていくのが分かる。
もしも直接炙られていたならば、一拍ももたずに消し炭となっていたことだろう。
「な、なにがどうなったのかしら?」
「分からない。ただ、この階層が崩壊することだけはなさそうだ」
終わりの見えない我慢比べをしているような気分で、業火が治まるのをひたすら待ち続ける。
唯一の救いは破砕音や崩落音が聞こえてこなかったことだろう。
果たしてどれくらいの時が過ぎたのか。都合二個もの蓄魔石の魔力を使い切った頃、ようやく炎は下火となった。
そして揺らめく空気の向こうに倒れ伏したドラゴンの姿が見えたのだった。




