8 初撃の重要性
迷宮探索を続けていればとんでもない事態に遭遇することもあるだろう。ディーオも、そしてニアもそれなりの覚悟はしてきたつもりだった。
だが、さすがにドラゴンと戦わされる羽目になるとは思ってもみなかったというのが本音のところだ。それ程までにドラゴンとは、名前の有名さと実在している存在の間に乖離が生じているものなのである。
「迷宮の思惑とすれば、俺たちが三十六階層で無為に浪費している間にドラゴンを隷属化させてしまいたかったんだろうな」
「そう考えるのが妥当でしょうね。誤算だったのはドラゴンの自我が強かったことかしらね」
「俺たちの到着が想定よりも早かったのかもしれないぞ。もしくはその両方という可能性もある」
確かにそれもあり得るのだが、彼ほどはっきりと自画自賛する気にはなれないニアなのだった。
もっとも、もしも他の冒険者たちが三十六階層で二人と同じ状況に置かれていたとすれば、次の階層に向かうまでにほとんどの者たちは確実に彼らの数倍の時間を必要としたはずである。
極一部、支部長のようにやたらと勘が鋭く経験も豊富な者なら、迷宮の思惑を察知して階段を発見した瞬間に次の階層へと進めていたかもしれない。
いずれにせよ次の階層でドラゴンと対面することになるので、無事では済まない状況となるのは変わりないのだが。
そして「ドラゴンと戦え」などと言われた日には、絶望するか発狂するかのどちらかになりそうなものなのだが、自分たちが置かれた状況を理解してなお慌てることがないのだから、この二人の肝の据わり様はもはや異常とすら言える程であった。
単に次々と判明する新事実に感情が追いついていないだけという可能性も無きにしも非ずなのだが。
「迷宮に操られずに力一杯攻撃を仕掛けてくるのと、隷属化させられて多少なりとも力加減ができるのとではどちらがマシなんだろうか?」
「なにその究極の二択……。はっきり言ってどちらも御免被りたいのだけど」
「捻くれたなぞかけなら、そういう第三の選択肢が正解となるのかもしれないけどな。残念ながら俺たちにはこの二つしか用意されていないようだ」
相手が理知的な存在であれば、三十四階層の魔物女性たちや二十階層のエルダートレントの時のように話し合いや取引で解決策を探るという手もあったのだろうが、魔法的な檻を破壊しようとひたすらに暴れ回っているドラゴンからは知性の欠片も感じることはできなかったのだった。
加えて、ドラゴンの鼻面に出現している怪しい光は、その頻度と間隔ともに増加傾向にあった。
それに伴いドラゴンが動きを止める時間も長くなっており、遠からず迷宮への隷属化が完成してしまうであろうことは予想に難くない。
二人が考えをまとめるための時間は残りわずかとなりつつあるのだった。
「なんとか逃げ切れる方法はないかのかしら?」
巨体の足元に時々隠れるように存在している次の階層への階段を見つめながらニアが呟く。
「今回ばかりは無理だろうな。ドラゴンが正気、……あれだけ滅茶苦茶に暴れているのを正気と言っていいのかは物凄く疑問だが。……ま、まあ、一応正気だとするならば、あの攻撃に迷宮が破壊されてしまうかもしれない」
わざわざ手間暇をかけて魔法的な檻の中で隷属化を図ろうとしているのはそのためだろう。
「一方で、迷宮が完全に服従させてしまったならば、当然次の階層へ進ませないように立ち回らせるはずだ」
最悪なのはその巨大な体でもって階段に蓋をしてしまうことだ。仮に動きを止めることができたところで、その場から移動させられなければ意味がなくなってしまうからである。
つまり、たったそれだけのことで取れるかもしれない手、可能かもしれない作戦がいくつも潰されてしまうのだ。
余談だが、想像し得る最悪は階段そのものを破壊されることだが、迷宮が主導権を握っているならばそうした反則じみた方法は使われることがないだろうとも考えていた。
「ふう……。結局は諦めるしかないということね」
ニアの物言いに苦笑を浮かべるディーオ。
本来であれば「覚悟を決める」などの言い方をすべきところなのだろうが、ドラゴンを相手に、しかも必ず勝ちを治めなくてはいけないとなると、彼女の言った通り「諦める」という方がしっくりくると思えてしまったからだった。
「踏ん切りも付いたところで確認だが、どちらにする?俺としては迷宮の意に従わない今の状態の方が付け入る隙が多いように感じるんだが」
「そうね。完全に支配されてしまったとなると、迷宮が破壊されないギリギリの威力のブレス攻撃で一網打尽にしてくるかもしれないもの」
他にも、ドラゴンの生命の危険を無視した行動をさせられるかもしれない。
そうしたイレギュラーな動きは予想が付きにくい分だけ防ぐことが難しいのだ。ただでさえ分が悪い戦いなのだ。一瞬で場を引っ繰り返されるような不確定因子は可能な限り取り除いておきたい。
「決まりだな。……と言っても、まずはあの檻をどうにかしないとドラゴンに触れることもできない訳だが」
その檻も平素はまるで何もないようにも思えるのだが、腕の一振りや尻尾の一薙ぎが当たった箇所が薄ぼんやりと光ることでようやくその存在が認識できるという摩訶不思議な代物だった。
そしてそれはドラゴンの動きを阻む折であると同時に、魔物を守る壁としても機能しているかもしれないというのは先にも考察した通りである。
「蓄魔石を一個使い切ってしまうつもりで、大火力の魔法でもって破壊するしかないか」
何気ない風を装ったディーオの一言に、ニアはギョッとして目を見開いてしまう。
ドラゴンの体は大きい。胴体だけでも二十尺はあるだろうし、頭から尻尾の先までともなれば三十尺を越えることになるだろう。そんな巨体の動きに巻き込まれてしまったら一瞬でお陀仏となってしまう。
よって、攻撃の基本が離れた位置からの魔法となることは当然の帰結ともいえるものだった。
「それは……、少々無駄が多くなってしまうのではない?」
しかし、だからと言って初手から最大火力をぶちかますというのはどうなのかと思う。
しかも彼らの目下の敵はドラゴンではなく、その周囲を取り囲んでいるだろう魔法的な檻なのだ。そんなもの相手に、切り札である蓄魔石を丸々一個消費してしまうのはもったいないのではないかと、ニアは考えてしまったのである。
それに対してディーオはゆるゆると首を横に振った。
「一概にそうとも言い切れないぞ。なにせ中途半端な攻撃で破れなければ、もう一度前回よりも強力な攻撃をぶつける必要が出てくるからな。そんな無駄なことを繰り返す羽目になるくらいなら、最初から全力の攻撃で勝負に出た方が早い」
と、そこで一旦言葉を止めてニヤリと悪賢い笑みを浮かべる。
「ニアは過剰分も含めて檻と対消滅してしまうと考えたんじゃないか?だから無駄になると考えた。違うか?」
その通りであったので、素直に頷く。
「やっぱりな。だが、檻を破壊して残った分はそのまま突き抜けていくとは考えられないか?」
これについて現状ではどちらが正解なのかは分からない。それというのも、ウォール系の魔法の場合はディーオの意見の通りに、対して大規模な儀式を必要とする守護結界などの場合はニアの考えのようになることが多いからである。
「確率は五分。でも時間が差し迫っているし、何度も繰り返していればかえって余計に魔力を消費することになる……。了解。あなたの作戦でいきましょう。でも、本当の狙いは何?単に効率だけを求めてという訳ではないのでしょう?」
あっさりと他にも理由がある事を言い当てられてしまい、思わず明後日の方へと眼をそらせてしまう。
秘密や隠し事への勘は女性の方が鋭い、というどこかで聞いた話を思い出していた。
ちなみに、そのことを話したのはマウズの町の鍛冶師たちの顔役であるドワーフのドノワ親方である。さらに余談となるが、その話題が出た時にはディーオは既にほぼ酔い潰れていたので、どういった経緯でその話が飛び出してきたのかは記憶の地平のはるか彼方である。
もっとも、ドノワの方もかなりでき上がっていたので、まともな話題だったのかは怪しいものだが。
「ほら、時間もないのだから早く話して」
ディーオが思考を他事へと飛ばしている間も、ニアの追及の手は緩んでいなかったらしい。
まあ、狙い自体は別に後ろ暗い類のものではないので、話すことに問題がある訳ではない。ただ単に簡単に言い当てられてしまったので、どことなく面白くない気がしていただけの事なのであった。
「もし過剰分があの檻を突き抜けてしまうとすれば、いい感じにドラゴンに先制攻撃ができるような気がしたんだよ」
幸いにも目標は檻に囲まれていて逃げ場はない。ぐるりと一瞬で振り向けるくらいの空間的な余裕はあるようだが、中心付近の位置はほとんど変化がないのだ。
欲をかいて頭などの急所を狙わなければ命中させることは訳もない。
「せっかくこちらから一方的に攻撃できる機会なんだ。どうせなら最大限に利用してやりたいじゃないか」
そう言う頃にはディーオの機嫌もすっかり元に戻っており、不敵な顔となっていたのだった。
一方のニアはというと、彼の言葉を受けて真剣な表情で考え込んでいた。
別にその作戦が卑怯だなんだと文句をつけるつもりはない。相手はドラゴンで世界最強とも言われる魔物なのだ。まともに正面からやり合おうとすることの方が無謀で愚かな自殺行為なのである。
彼女もまた、利用できる物事があるならばとことんまで利用し尽くすのは当然の行いだと思っていた。
その上でディーオの作戦がより効果的で、勝利のための第一手となるように考えを巡らせる。
ドラゴンの実力は未知数だ。閉じ込められて暴れる姿から推し量れるのは極わずかな部分だけだと思っておいた方が良い。
特に俊敏さなど解き放たれてから本領を発揮するような能力については全く分かっていない。
そう考えていくと、ディーオではないが最初の一撃に全力を込めるという方針はかなりの上策、いや、勝利のためには必須の手ではないかと、改めて思えてくるのだった。




