7 三十六階層の真実
魔法的な檻のお陰で被害こそ受けていないものの、暴れ回るドラゴンと対峙するのは得策ではないだろうと判断したディーオたちは、次の階層へと繋がる階段を探すことにしたのだった。
そして首尾よく階段を発見したところまでは良かったのだが、なんとそれは暴れ回るドラゴンの足元、魔法的な檻の内側にあったのだった。
「それにしても、よく今まで無事だったものね」
感心したように言うニアが見つめる先では、今も元気にドラゴンが猛威をふるい続けていた。その様子にディーオは違和感を覚えた。
「……あれだけ暴れて、しかも苛立ち紛れに足を踏み鳴らしているのに、床のどこにも傷がないのはおかしくないか?」
指摘されたことで視界が広がったのか、慌てて確認した彼女の目にもそれは異様な光景として映ることになる。
「本当だわ。敷き詰められた床石がめくれ上がるどころか、割れてもいなければ罅一つも入っていないなんて……」
迷宮の床や壁というものは、外の建造物などに比べればはるかに頑丈な性質を持ってはいるが、決して変化することがないという類のものではない。特に表面部分などは意図的に低強度にしてあるのではないかと思われるほどで、それなりの力自慢であれば十分に破壊することが可能なのである。
現にこの三十七階層の床も、ディーオが叩きつけた金属製の巨大な槌によって数枚の床石が粉々に砕け散っており、その下の部分も割れて深い亀裂が入っていた。
ちなみにこの槌だが、三十二階層で魔物と遭遇しないように逃げ回るようにして移動していた時に発見したものの一つである。魔力の伝導率こそ低いが固く粘りのある希少金属を惜しげもなく使用したそれは、まさに極上の逸品というべきものであった。
が、彼が重量系武器の扱いを不得手としていたこともあり、入手した直後に〈収納〉によって異空間へと片付けられてしまっていたのだった。
そしてようやくの出番かと思いきや……、床を叩いて頑丈さを調べるための道具にされてしまう始末だ。
仮にこの槌に意識があったのなら、扱いのぞんざいさに号泣していたかもしれない。
「階層の床自体におかしなところはないようだな。そうなるとあの檻がドラゴンの下側にまで張り巡らされていると考えるのが妥当か?」
「前後左右だけではなく下や上も含めた周囲全体を取り囲んでいるということね」
「ああ。だから厳密にいえば階段は檻の内側ではなく、外側にあるんじゃないかと思う」
「ふむふむ。その考えは一理あるわね。……ただ、現状それが分かったからといって何も好転しないのが問題だけれど」
ニアの言う通り、魔法的な檻の外側にあると分かったところでそれによって塞がれてしまっていることに変わりはないからである。
どう目を凝らしたところでドラゴンは床に直接立っているようにしか見えない。それはつまり、檻が床に接する形で存在していることを示していた。
もしも中の魔物共々檻を移動させる手段があったならば、画期的な発見となったかもしれないだけに二人の落胆は大きかった。
「結局、振出しに戻るかあ……」
思わず天を仰いで盛大に愚痴を吐き出してしまう。更に迷宮の中なのでその目に飛び込んできたのは抜けるような青空ではなく薄暗い天井でしかなかったことが、彼の心に重苦しさを与える結果となった。
一方ニアは、何気なく観察を続けていたドラゴンに不審な動きがあるのを見つけ出してしまっていた。
それは本当に偶然の出来事だった。獰猛な方向を上げながら暴れるドラゴンがくるりと向きを変えて、ちょうどこちらに顔を向けたのだ。
安全だと思われる状況にあっても、本能的な恐怖というものを消すのは難しい。数多の魔物を退けて三十七階層という前人未到の場所へと至った彼女だが、ドラゴンを相手に正面から向かい合うには場数も経験も足りていなかったのである。
喉の奥で小さく悲鳴を上げて、視線を逸らすことすらできずにただただ圧倒的な力を持つ存在を眺めていることしかできなかったのだった。
しかしながら、そんな状況が新たな発見をもたらすのであるから、世の中というものは摩訶不思議であると言わざるを得ない。
ニアなど一飲みにできそうな巨大な顎のすぐ上、ゴツゴツとした鼻面の前あたりで小さな光が生まれ、そしてすぐに消えていったのが見えたのである。
それだけであればニアとて単なる見間違いとして、すぐに脳裏から消し去っていたことだろう。なにせ今は最強の呼び声高い魔物と向かい合っているのである。生半可な情報では一瞬たりとも脳内の止まることなどできはしなかったのだ。
だが、それは彼女の記憶に残り続けた。理由は簡単だ。光が消えた直後にドラゴンの動きがおかしくなったからである。
捕らわれの身としている元凶である檻を破壊しようとする動作を一時的ではあるが止めたのだ。
もしもしっかりとその目を見据えることができていたならば、焦点が合わずに虚ろな瞳となっていたことに気が付いたかもしれない。
その後、何事もなかったかのように暴れ始めたことでニアの体に絡みついていた金縛りも解けることになった。
「ディーオ、大変よ!」
元研究者としての勘なのか、どのようなものなのかまでは明言できなくとも、先ほどの光景が自分たちに大いに関係してくるものであると確信を得ていた彼女は、すぐにディーオに詳細を伝えた。
「怪しい光?そしてそれが消えた後にドラゴンの動きが止まったって?」
にわかには信じがたい話だが、ニアに嘘を吐く理由がないこともまた事実だ。
それに何度も繰り返して述べてきたことだが、ここは迷宮の中だ。外の常識が通用しないこともある。少しばかりおかしな出来事や不可思議な現象が起きたとしても、受け入れることができなければ到底生き残ることはできない。
そして彼はすぐさま決断を下す。
「同じことが起きるのかどうか、様子を探ってみるか」
まずは真偽を確かめるためにも、その光景を確認しなくてはならないと判断すると、二手に分かれてドラゴンの動きを観察することにしたのだった。
一緒に行動しないのは単純に見逃す可能性を減らすためである。ドラゴンにとってはその場でクルリと後ろを振り返るだけの動作であっても、檻が消える条件が分からず遠巻きにせざるを得ない二人にとっては長距離を移動する必要が出てくる。
よって、ふいの動きによって見落としてしまうことがないように、視点を増やすことにしたのであった。
そして二人の努力はすぐに結実することになる。わずかな時間の後、再びニアが目にした光が現れてそして消えると、それまで暴れていたのが嘘のようにドラゴンが大人しくなってしまったのだ。
しかしそれも束の間、数拍の後にはまた思い出したかのように檻を破壊しようと動き始めたのだった。
「嫌な予感がするんだが」
合流して直後のディーオの台詞に不満げな顔になるニア。せめて一言目くらいはこちらを案じるような言葉を言えないものなのか。
しかもこれだけあからさまに不機嫌を表に出しているというのに、それに気が付く気配すらないときている。迷宮内で折につけ見せていた妙に鋭い勘もすっかりなりを潜めてしまっているようだ。
この調子だと本人が分かっていないだけで、マウズの町でもすり寄ってこようとしていた者がいた可能性がある。コンビを組んでからそれなりの期間が過ぎているので大方の周知はできているだろうが、四人組から聞いた兄貴分のブリックスの件もあるのでまだまだ油断はできない。
ニア自身ほとんど面識はなかったが、その人物は四人組にとって兄貴分だったのと同時にディーオの親友でもあったと聞かされている。そして何とその男性は見目麗しい女性たちばかりのパーティーに引き抜かれていったのだという。
ディーオの持つ能力の希少性や有用性を考えれば同様の事態が起こったとしても不思議でも何でもない。これからは彼へ向けてのアプローチと同時に、周囲への警戒とアピールも熟さなくてはいけない。
ニアが内心でそんな決意を固めている間、もう一方の当事者であるディーオはというと、ドラゴンと怪しい光の関係に考えを巡らせ続けていた。
いくら迷宮とはいえ、ドラゴンのような規格外の強さを持つ魔物に好き勝手暴れ回られては無傷ではいられないだろう、というのは以前にも推察していた通りだ。
場合によっては崩壊の危険すらある。だからこそ魔法的な檻の中に閉じ込めて被害を防いでいたのだと思っていた訳だ。
しかしながら、単に閉じ込めておくだけでは迷宮にとって何の利にもなっていない。むしろそれだけ余計な力を割かなくてはならない分、負担であるとすら言える。
果たして人間種すら手玉に取るほどに狡猾な迷宮という存在が、そんな状況を良しとして許容し続けるものなのだろうか?
ディーオの導き出した答えは否だった。
度重なるゴーレムの変異種化や三十四階層の魔物女性たちへの繁殖制限などと同じように、必ず自らの役に立たせるために手を出してくるはずだと考えたのである。
そして、そのための手段こそがあの怪しい光なのではないかという結論へと達した。
「もしも、あの光を使ってドラゴンを意のままに操ろうとしているのだとすれば?」
「大半の階層の魔物と同じように、私たちを排除しようと襲い掛かってくるようになる?でも、攻撃が強力なことには変わりがないわ。だとすればやはり迷宮にまで被害が出ることになるのではないかしら」
「多少の被害には目を瞑るつもりかもな。時間さえあれば補修は可能となるだろうから。……そうか!時間か!」
突然のディーオの叫ぶような声に、ニアの肩がビクリと跳ねた。
「一体どうしたって言うのよ?」
「三十六階層だよ。どうしてあんな中途半端なつくりになっていたのかがようやく分かった!」
「え?」
広さは一階層とほぼ同等で、魔物もいなければ罠もない。加えて『空間魔法』の〈地図〉や〈警戒〉だけが使用できないという、不可思議な階層であった。
「あの階層はただ、俺たちを足止めするためだけに存在していたんだ」
もちろんこれから先も同じということではなく、いずれは他の階層同様侵入者を誘い込んでは貪るようになるのであろう。
しかし、現状ではその存在理由はただ一つであった。
「迷宮がドラゴンを支配して意のままに操れるようにするまでの時間稼ぎとして」




