4 心構え
悩んだ末、二人は休息を取ることを優先することにした。次の階層へと進むより先に、体調と装備――主に『異界倉庫』産の特別製蓄魔石――を整えておくことにしたのだ。
昨日から今日にかけて階層内の変化を発見できなかったこと、すなわち、上層への階段へといつでも逃げ込めると判断したことがその決め手となっていた。
「今更悩んだところでどうなるものでもないからな」
「身も蓋もない言い方ね……。まあ、実際その通りなのだけど」
と、開き直ったような台詞を口走っていたのは、本心からのものなのか、それとも一時的にでも不安を払拭しようとしたものだったのか。
どちらにせよ、二人はこれまでとほとんど変わらないやり取りを経て、テントの中でしっかりと疲れを癒したのだった。
そして翌日、ついに三十七階層へと降りるために階段前へと陣取る二人。
「発光量が変わらないから、時間間隔が段々と怪しくなってきた」
「同感。多分朝なのだと思うのだけど……。町に帰ってみたら全然違っているかもしれないわ」
等と言っているが、この階層に到着してからまだようやく三日目であり、時間間隔がおかしくなってしまう程この場所で過ごしている訳ではない。
原因となる事例を追及するということであれば、三十五階層を急いで踏破するためにその前日、おかしな時間に休息を取ってしまったことの方が大きいだろう。
もっとも今回の場合はそうした点もほとんど関係はなく、大半は仄暗く碌に視界も聞かないことへのただの愚痴だったのであるが。
「ああ、そうだ、ニア。先にこれを渡しておく」
ディーオが取り出したのは切り札の一つである『異世界倉庫』産の特別製蓄魔石である。
もちろん魔力は完全充填済みだ。
「ありがと。……ってこんなに!?」
だが、今回その数が問題だった。何とディーオは三つもの蓄魔石をニアに預けたのであった。
『異界倉庫』に転がされていた蓄魔石の数は全部で七個。内一つは先程まで〈障壁〉結界を張るために使用されていたため一部魔力を使用していた。
よって完全充填されている物の半数が彼女に手渡されたことになるのだ。
この蓄魔石一個当たりに大規模な魔法を十発近い数使用できるだけの魔力が込められている。
これは一流の魔法使い数人分に該当し、一個大隊の軍を殲滅しきることのできる程の火力だ。それが三個ともなれば、大都市を破壊し尽くしてもまだ余るだけの魔力量となる。
そんなものをポンと渡されたのだからニアが驚くのも当然のことなのであった。
「あなた、国でも落とすつもりなの?」
「うん?大規模魔法を使えるのがニア一人しかいないんだから、それは無理ってものだろう」
「そういう意味じゃなくて……」
微妙にズレた答えに嘆息するニア。まあ、確かに本当に戦闘になった場合、例えば先も例に挙げた一個大隊との戦いとなると、魔法の発動にはどうしても集中等の『溜め』の時間が必要となり、どうしても次の魔法までの時間的隙間が発生してしまう。
そのため、恐らくは殲滅するには至らないと考えられるのである。
もっとも、壊滅させるには十分であり、都市部などを攻めたとすれば城を始めとした重要施設類は全て瓦礫の山と化すことになるだろう。よって国を落とすような真似はできないというディーオの考えは甘いと言わざるを得ないのだった。
ちなみに、ディーオたちの世界の蓄魔石で代用しようとするなら軍一個大隊を壊滅させるだけで軽く四桁以上の数が必要となり、集めるとなるとそれだけで国の財政を破綻させてしまう事になるはずである。
「はあ……。もういいわ。でも、どうしていきなりこんなに多く?」
「保険代わりっていうのが一番の理由だな。この階層ですら訳が分からなかったんだ。次だってこれまで俺たちが蓄えてきた迷宮の常識が通用しない可能性は高い」
「言いたいことは理解できた。だけどそれならそれで一個あれば十分じゃないかしら」
「……あまり考えたくはないが、必要な時にいつでも受け渡しができる状況にあるとは限らないだろう」
渋面になったディーオを見てニアはその言葉の意味するところを悟った。
単純に離れた位置で受け渡しができないということも含まれているが、彼が言いたかったのはもしも命を落としてしまっていた場合、ということであろう。
「それほど警戒しなくちゃいけない魔物がいるというの?」
「居るかもしれないし居ないかもしれない」
「……どっちなのよ」
「だからはっきりとしたことは分からんってことだ。言っただろ、保険だって」
推測しようにもそのための情報すらないというのが彼らの現状なのだ。結局は出たとこ勝負で何とかするより他はないのである。
ただ、その際に少しでも的確で素早い行動がとれるようにするために覚悟を決めておき、保険を準備しておくのは無駄にはならないだろう。
「……考えてみれば、私たちは今迷宮攻略の最前線にいるのよね」
三十一階層で別れたもう一組の挑戦者である複数パーティー連合が彼ら以上の速度で踏破し続けているのであれば話は変わってくるのかもしれない。
とはいえ、それを今すぐに二人が確かめる術はないので、現状ではニアの認識で間違いないと言える。
「その通り。なんだが、突然どうした?」
今更といえば今更な一言にディーオはピクリと眉を動かす。
そんな彼の仕草がツボにはまったのか、小さく吹き出しながら彼女が答える。
「少し前の自分からは想像もつかないことだなと思って」
「ああ……。そういうことか」
大規模な魔法を使えること、こちらの要求を察して時には先回りでもするかのように行動してくれること等からつい忘れがちになってしまうが、彼女が迷宮へと入り浸り始めてからまだ数か月の時しか経ってはいないのだ。
冒険者としての等級も七と、驚異的な上昇速度ではあったが一般的にはようやく一人前だと認定される程度の等級である。
そんな彼女が深層の、しかも初めて人が辿り着いたとされる階層にいるというのは、本人だけでなく周囲の者たちからしても本来ならば驚愕の事実といえる事態なのであった。
ニアが悪目立ちすることなく強引なパーティー勧誘なども行われなかったのは、ひとえに規格外的な存在であるディーオがいたからであり、また、現役特級冒険者でもある支部長から彼共々目を掛けられていたからに他ならない。
まあ、八階層事件後の精神的に不安定だった――と思われている――時期にやたらとディーオとくっ付いている姿が微笑ましいものとして、冒険者や協会支部職員のお姉さま方から認定されていたことも影響していたようではあるが。
余談だが、七等級くらいの実力の持ち主たちならば中層前半を行き来しては実力を高めていくのが一般的である。
マウズの迷宮であれば十一階層以降からに十階層未満ということになるだろうか。儲け的にはシルバーハニーが狙い目なのであるが、未だに十五階層以降の『子転移石』設置に目途が付いていないため、数日掛かりで十四階層から往復しなくてはいけないという状況が続いていた。
そのためか十四階層で冒険者たちがバイコーンに追いかけ回されている光景はもはや名物になりつつあったのだった。
閑話休題。
「まあ、俺でも深層に到着するのはまだ一年くらい先のことで、最深部を目指す競争に参加できるようになるのは数年後だと思っていたくらいだからなあ……」
ニアの心情の吐露にディーオもまた本心を呟いていた。
彼女とは違って彼の場合はその野望があったがため全く想像していないということはなかった。が、ここまで急激な進行具合になるとは考えてはいなかったというのが本音だ。
もっとも、これには三十階層に隠された『転移石』があったことや、〈障壁〉を結界化することで安全圏を構築できるようになったこととその動力源となる蓄魔石を『異界倉庫』で発見できたこと等が大きく影響していた。
特に『転移石』に関しては完全に外部要因であったので、考慮して計画を練るのはまずもって不可能であっただろう。
「そうは言ったところで実際問題ここまで来てしまったんだからどうしようもない訳だが」
「まあ、そうよね。引き返すつもりもないし、だとすれば当然先に進むしかないもの」
どう言ったところで結局のところはそこに落ち着く訳なのだが、だからと言ってそれが、それにかけた時間が無駄であるとは限らない。
なぜなら、そうした台詞が口を吐いてしまったのはそれだけ不安感に苛まれているという証でもあり、同時に何とかしてそれを乗り越えようとする懸命なる努力の発露でもあるからだ。
事実、それらの言葉を吐き出した二人の顔色は少しだけ明るくなっていた。
「さて、いい加減腹を括って進むとしますか」
「了解。あ、でもディーオが前でよろしく」
「ちゃっかり俺を囮にするつもりだな。だけどな、藪の中に潜んでいる蛇は二番目に通る奴を襲うという話もあるんだぞ」
蛇を叩き起こした一人目はそのまま先へと進んでしまっているため、その次に近付いた者を襲うことになるらしい。
と、もっともらしく話していたが、実は冒険者になりたての頃にパーティーを組んだ先輩冒険者から聞いたことがあるだけで、しかもそれも寝ずの番で見張りをしていた時に眠気覚ましの一つとして話題に登場しただけの、信憑性には難のある噂レベルのものにしか過ぎなかった。
「え?ちょっと待って。それ本当!?」
それでも、冒険者歴の短いニアには十分な効果を発揮したようである。
「さあな。それじゃあ、後ろの警戒はよろしく」
「あ!こら待ちなさい!自分だけさっさと行くな!」
迷宮の深層、しかも初到達の階層へと向かうとは思えない明るい声を響かせながら、二人は階段を駆け下りて行く。
まるで仲の良い男女の追いかけっこのようであったのも束の間、最終的には半ば以上本気の競争のようになっていたのはご愛嬌か。
が、軽やかだった足取りも三十七階層に到着した瞬間、あっという間に消え失せてしまうことになる。
なぜなら、二人の正面にはドラゴンと呼ばれる存在が暴れ回っていたからである。




