6 駆け抜ける
マウズの迷宮三十五階層。数年前にハーフエルフドワーフの特級冒険者を含む数名が到達して以来、誰一人として足を踏み込んだものがいないとされる。
そして彼らも碌に探索は行えなかったのか、まともな情報は一切と言っても過言ではない程存在しておらず、ただ、三十一階層より続く『変革型階層』であるとされているのみだった。
ところが、ここにきてこの情報すらも大きな間違いであった可能性が浮上していた。数年ぶりにようやく新しい冒険者が訪れたのだ。
彼らの前に突き付けられたのは、『変革型階層』ではなく『大部屋型』の階層であるという根本的に異なるものだった。しかもその違いは直上の三十四階層からして同じだったのである。
もたらされていた情報が意図的に改ざんされたものであったのか、それとも数年の間に迷宮が変貌してしまった為なのかどうかを確かめる術はない。
だが、当の冒険者たちはめげなかった。情報が古くて使い物にならないなどという事態は往々にしてあるものだからだ。それに何より、だからといって先に進むことを止められはしなかったからでもある。
夢のため目的のために、彼らは三十四階層に住まう魔物たちすらも味方につけて、迷宮の最深部を目指し続けたのだった……。
ディーオたちの冒険を物語にするならば、三十五階層での顛末はこのように書かれたかもしれない。
まあ、実際のところはといえば破天荒を無茶で押し固めて、迷宮内という独自のある意味理不尽さすら感じられる程に道理すらも叩き壊して突き進むというとんでもないものであったのだが。
現に踏破の最終段階である今もそれは健在だった。
ディーオとニア、二人が走る直下の氷が砕けたかと思うと、ドゴン!という鈍いながらも大きな音が響き渡る。
「な、何が起きたの!?」
「池の中にいた何者か、恐らくヌシだろうが、そいつが襲ってきたんだろう」
驚くニアに大したことはないという口調でディーオが答える。
が、その内容はというと大したことばかりだった。
「ヌシ!?ここにはそんなものまでいたの!?よく私たちは無事だったわね?」
その証拠に、教えられたニアは混乱の極みに達していた。それでも走る速度がほとんど変わらなかったのは、冒険者として過ごした期間が彼女に危険が差し迫っていることを知らせていたのか、それともディーオの非常識さに慣れてしまったがゆえのことなのか。
いずれにしても無理矢理彼女の手を引いて走らせなくて済んだのは、ディーオとニアの両者にとって幸運なことだった。
それというのも、先の出来事で道となる氷がかなり破壊されてしまっていたからである。
「ちょっと待って!どうして氷が砕けているのに、私たちは何事もなく走っていられるのよ!?」
余談だが、ちょっと待てと言いながらもその足の動きが緩むことはなかった。しかも森の外縁部から走り通しであったためか、喋りもかなり流暢になってきている。
まあ、走りながら会話する機会となると今回のように大抵は碌でもない状況となるだろうから、こんな能力が身に付いたとしてもあまり喜べないかもしれないのだが。
「そりゃあ、ニアが張った氷の上に、〈障壁〉で足場を作っているからだよ」
先にも述べた通り、ニアが魔法で作り出した氷の道は単に池の表面の水を凍らせただけに過ぎないため、凹凸が激しくその上滑り易いというおよそ人が走るには不向きな代物だった。
それを改善するためにディーオが取った方法が、連なる氷を目印として〈障壁〉による不可視の足場を作り出すことだ。
つまり先程の鈍い音はヌシらしき存在が〈障壁〉に突っ込んだことで発生したものだったのである。
「池のど真ん中にある小島に、次の階層への階段を作るくらいだから、何かあるのかもしれないと踏んでいたんだが、見事に的中してしまったな」
魔物女性たちから三十五階層の大まかな形状を聞いた際に思い付いていたことなのだった。
が、実は攻撃を受け止める、または弾くという思想のためか〈障壁〉によって作られた不可視の壁には強固な側と比較的弱い側が存在し、ディーオとしては当初は駆け抜けやすくするための手段としてしか思っていなかった。
そのため、自分たちが踏みつける上部を強固にするつもりでいたのだが、〈警戒〉によって脳内に展開されていた〈地図〉に池の中で蠢く影を見つけたことで急遽下向きに〈障壁〉を発動したのである。
お陰で強く踏みつけても破壊することがないようにと、予定よりも多くの魔力を消費することになってしまったのだが、池の中からの魔物の強襲を防ぐことが出来たのだから結果的には正解の選択をしたのだと言えるだろう。
「とりあえず、もう安全ということ?」
「いや、さすがに強度不足だ。次にあの規模の攻撃を喰らえば、持たないかもしれない」
「絶体絶命のピンチじゃない!?」
「大丈夫だ。あれだけの勢いで突っ込んできたんだから、しばらくは目を回して何もできない、はずだ」
最後の三文字がそこはかとなく不安感を漂わせているのだが、言った本人は今一気が付いていない模様である。
盛大にため息を吐きたくなったニアだが、だからと言ってそうしたところで現状が良くなるわけでもない。ともかく今はこの文字通り薄氷を渡っている状態から脱却するべく走ることに専念しようと心に誓うのだった。
そうして必死に両の足を動かし続けること数十拍、二人は何とか無事に中央の小島へと辿り着くことができていた。
「あった!階段だわ!」
「待つんだ!このまま先に進むのはまずい」
簡単に水を被ることがないようにしてあるのか、小高くなった先に次の階層へと続く階段を見つけて飛び込むような勢いで向かうニアをディーオが押し止める。
「今、俺たちがいなくなったら魔物が彼女たちに殺到することになる」
なぜ?と非難めいた視線を向けるニアに理由を述べる。
彼の指差した先には監視と伝令に飛び回るハーピーたちの姿があった。
「確かにここまで来てしまえば囮も何も関係ないか……」
ディーオたちが中心へと一直線に向かったことによって、奥地にいたハイオーガたちは二人への対処を最優先に動こうとしていた。その彼らがいなくなってしまえばその目が魔物女性たちへと向かうのは至極当然の理屈と言えよう。
一方で彼女たちが外縁部に生息する連中を中心に手近にいた魔物を片っ端から狩り尽くしていたお陰でディーオたちは背後を気にすることなく前方にだけ意識を集中することができたのだから決して一方的な関係であった訳ではない。
まあ、当初の囮と本命という役割分担を考えると、逆になってしまった感は否めないのだが。
「みすみす見殺しにするっていうのは、ちょっとな……」
そして彼女たちの村が存続できるように力を尽くすと約束した手前、彼女たちが陥ることになるだろう危機を見放すというのは、二人の心情的にも許容できるものではなかった。
更にディーオが口に出すことはなかったが、これに加えて池の中の魔物の存在という懸念もあった。
既に記したように通常であれば階段が水没することはない形状をしていた。しかし例えば水を操る術を持っていた場合、絶対に安全だとは言い切ることはできない。
階段を下っている最中に大量の水が押し寄せてきてしまえば、溺死に圧死と死因には事欠かない事態になってしまうことだろう。
後の憂いを絶ち、安心して階段を下るためにはもう一踏ん張りすることが必要であったのだ。
「だけど、ここからだと離れすぎていて彼女たちの援護なんてできないわよ」
後のことを一切気にしないということであれば大規模魔法によって森諸共焼き払うという手段がないわけではない。
が、それを行ってしまうと最悪二度とこの場所では狩りができなくなってしまいかねない。
更に、踏破を最優先にしたため直接的には確認できてはいないが、魔物女性たちの話によればこの森にはかなり有用な植物が多数繁殖しているようなのだ。迷宮が再度同様の生態系を作り出すとは言い切れない以上、安易に環境を破壊するようなことはやるべきではないだろう。
「別に何が何でも全ての魔物を相手にする必要なんてないんだ。要は森の奥、この池の周辺にいる魔物の動きを妨害してやればいいんだよ」
「だから、こういうのはどうだ」と告げられた作戦に、ニアは大いに顔をしかめることになった。
「あなた……、よくもまあ、そんなことがを思い付くことができるわね」
「……誉め言葉として受け取っておく」
呆れかえった目で見つめるニアに対して、ディーオは軽く肩をすくめながらそう答えた。
主に『異界倉庫』を通じて得た異世界の同一存在が残した知識によるものなのではあるが、それは彼にとって最後の生命線であり切り札でもあることだ。例えニアであっても話すことはできない。
まあ、異世界産の蓄魔石をあれだけ盛大に使っておいて何を今更と言われてしまいそうではあるが。ともあれディーオは、甘んじて彼女からの白眼視を受けようと我慢することにした。
同時に、この苛立ちはこの後に起こる出来事を見ることで発散させようと企むのだった。
「あら?何やらあっちでは大騒ぎをしているみたいね」
ニアの視線の先、対岸の池のほとりではようやく大量の材木の山から抜け出してきたのかハイオーガたちが口々に大声で何やら喚き散らしていた。
「騒ぐ意外にあの連中にできることなんてないから気にする必要もないな」
既にディーオが張った〈障壁〉は消えてしまっているし、ニアが作り出した氷の道も池の魔物によって途中で寸断されてしまっている。
百尺以上の距離ではホーンショットディアーの攻撃も届かないとなれば、ハイオーガたちに打てる手立ては残されてはいなかったのであった。
「さあ、さっさと終わらせて次の階層へ向かおう」
「そうね。いつまでも見苦しい光景を目にしていたくはないもの」
聞こえていれば激昂するハイオーガたちの更なる燃料となってしまったであろうこと間違いなしの台詞を口にしながら、二人は淡々と準備を開始した。
その様子を遠目に見ながら、ハーピー女性たちがそこはかとない不安感に駆られていることに気が付かないままに。




