4 対森の魔物戦
一つの森が丸ごと転移してきたかのよう、という例えは決して大袈裟なものではなかった。三十五階層には実に多くの魔物たちが巣食っていたのである。
小型――それでも体長は半尺から一尺近くもあるのだが――の鋭歯鼠や刃耳兎に始まり、中型ともなると風船狸や空歩狐と一風変わった生態を誇るようになる。
そして更に大きな体躯の槍牙猪や剛腕猿ともなると、時にハイオーガすらも倒してしまう程の恐ろしい力を持っているのだった。
そんな魔物たちが、あるものは外敵を排除しようと、またあるものは珍しい獲物を狩ろうと次々とディーオたちへと襲い掛かって来たのだった。
「邪魔だ!」
「どいて!」
が、その程度で歩みを止められてしまうようであれば、元より迷宮深層への到達などできてはいない。
大型の魔物はディーオの『空間魔法』によって首をはねられたり頭部を破壊されたりして瞬殺され、中型以下はニアが操る多様な魔法によってこんがり焼かれたり、穴だらけにされたり切り刻まれたりして一網打尽とされたのだった。
余談だが、倒した魔物の内食用に向いているものを中心に息絶えたそばからディーオの異空間へと仕舞いこまれていた。その数は膨大な量であり、ようやく森の中腹を超えようとしている今の時点で、魔物女性たちの村であれば一年近くは食いつなげるだけの量にまで達していた。
しかしそれでもディーオは〈収納〉を止めることはない。幼い頃の寒村での生活が根底にあるゆえなのか、それとも単に彼の食い意地が張っているだけなのか。
本人ですらよく分かってはいないことだったが、少なくとも彼を知る者たちならば口を揃えて後者であると主張したことだろう。
本来であれば倒された魔物は一部であれ全部であれ迷宮へと吸収されその力の一部となる。そしてその力は主に倒されてしまった魔物の補充へと宛がわれることになる。
ところが、ディーオはその力の素を余すことなく異空間へと送ってしまった。迷宮内にあって迷宮内ではないその場所にはもはや力が及ぶことはない。
食い意地の張った彼の行為は、本人が知らないところで迷宮の力を削ぐことに繋がっていたのであった。
そしてこれによって三十五階層の魔物たちが復活するまでの時間を延長することとなり、後で魔物女性たちが安全に事後処理をすることができるだけの余裕を作り出すことになるのであるが……、そのことを知る者は誰一人として存在しないのであった。
「これじゃあ、切りが、ないわね」
「ああ。大半は、囮の彼女たちの方に、向かっている、はずなんだが!」
ディーオの言う通り、魔物たちのほとんどは彼らの左右から侵攻する魔物女性たちの方へと殺到していた。
予定と異なっていたのは森の規模とそこで暮らす魔物たちの数の見積もりが甘かったせいである。
もっともそれ以上にディーオが放った最初の一撃が、潜んでいた魔物たちに脅威であると知らしめてしまった為なのではあるが。
魔物の対処だけでなく、足元にも注意を払わなければいけないこともまた、二人の負担を増す要因となっていた。
鬱蒼とした森を無理矢理切り開いただけの道なので凹凸も激しい。落ち葉や下草が湿って滑りやすくなっていることもあり、さながら天然のトラップのようになり果てていたのだった。
「今、どの辺りまで、来ているの?」
「半分は超えた!この調子なら、抜けきるのはもうすぐだ!」
ディーオの言葉にニアが大きくため息を吐く。それというのも、彼の説明にはいくつもの重要な点について鑑みられてはいなかったからである。
まず体力。作戦開始から走り通しで戦い続けていた二人、特にニアの体力は著しく減少していた。それこそ、一度足を止めてしまったら二度と動けなくなってしまう程に。
次に魔物。魔物女性たちは「森の奥へ進むほど強くなっていく」と言っていた。これまで姿を見せてこなかったハイオーガを含めた最大戦力が待ち構えている可能性すらあるのだ。
そして最後に道。実はディーオの一撃は池のほとりどころかその反対側に広がる森の端にまで到達していた。だが、ニアの〈エアハンマ―〉はそうではない。根本付近から断ち切られた大小様々な木々を大量に吹き飛ばしはしたが、池へと至るほどではなかった。
結果、二人が走り続けている道は池のほとりへと出る直前で途絶えてしまっていた。しかもただ単に途絶えただけでなく、彼らが吹き飛ばした木々によって強靭な柵のようにすらなっていたのである。
要するにこれから先は、これまで以上に困難な道のりになることを覚悟しなくてはいけなかったのである。その証拠に、既に彼らの元には次の魔物たちが接近していた。
「次は右前方から……、浮いてる?……ちっ!バルーンラクーンとエアウォークの混成か!」
荒くなりそうな息を無理矢理押さえつけて、〈地図〉に示された魔物について告げる。
バルーンラクーンは体内に特殊なガスを溜めてふわふわと漂うようにして移動する魔物だ。しかし、緊急時には溜め込んだガスの一部を噴射することで、普段ののんびりとした外見からは想像もつかない高速で移動することが可能なのである。
一方のエアウォークだが、名前に反して意外にもバルーンラクーンのような特殊な能力は持っていない。発達した強靭な四肢を用いて木の幹や枝を巧みに利用して森の中を縦横無尽に走り回るのだ。その姿がまるで空を駆けているように見えたのがその名前の由来だとされている。
その方法は異なるが、どちらの魔物も高速で移動しては鋭い牙や爪によって攻撃を仕掛けてくるという危険な魔物である。
「もう!普段は化かし合いをしているくせに、こういう時に限って手を組んでくるのだから!」
苛立ちを隠そうともしないでニアが叫ぶ。
ちなみに、キツネとタヌキが化かし合いをしているというのは、とある地方に伝わる民間伝承の一節でしかなく、そのような行為を実際に行っていたとされる証拠は発見されたことはない。
そしてそれはバルーンラクーンとエアウォークにも当てはまることであり、魔物たちが共闘するかのようにして外敵に対抗するのは当然の成り行きなのであった。
早い話、ニアの文句は愚痴にしか過ぎなかったのである。
「もう、焼き尽くしてやろうかしら」
段々と相手をするのが面倒になって来たのか、思考が荒っぽくなっているニアに「おいおい」と今度はディーオが苦笑を浮かべる。
バルーンラクーンが特殊なガスでもって浮かんだり高速移動したりしているのは前述した通りなのだが、実はこのガスは可燃性が極めて高い危険な代物でもあった。
しかも体内の老廃物をまとめて作り出しているのではないかという仮説が立てられるほどひどい悪臭を発する厄介な物質でもあるのだ。高速移動の際にはそのごく一部を圧縮して吹き出すので量そのものは少なく周囲への影響はほとんどないのだが、もしも爆発などさせようものならまさに地獄絵図となってしまうことだろう。
さらに余談だが、そんなひどい臭いを溜め込んでいるはずなのに、バルーンラクーンの肉は高級食材として珍重されるほどの美味さを誇る。そのガスによって独特の風味が生まれるのだろうと言われているが定かではない。
これまでマウズの迷宮では発見事例がなく、大陸各地を回っている冒険者たちの話の種でしかなかったということもあり、既に遭遇して討伐した分についてはしっかりと異空間に保管済みなのであった。
「そうか。要は俺たちの側に、害が及ばないようにさえ、すればいいのか」
「いいわ。やりましょう」
ディーオの思い付きの中身さえ聞こうとせず、ニアが実行を即断する。
どうやら想定していた以上に彼女の精神的疲労は厳しいところにまできているようである。
「簡単に言うと、取り囲んだ中で、爆発させてしまえば、いいんじゃない、か!」
かなり大きな〈隔離〉空間を作ることになるが、『異界倉庫』内にある蓄魔石を用いれば十分に可能だろう。相変わらず作戦と呼べるのかどうかという疑問が浮かぶ程、膨大な魔力による力技である。
「まずは四方を取り囲むから、動きが止まったところに放り込むようにして魔法を頼む」
「了解よ!」
「よし、〈隔離〉!」
ディーオが叫ぶと同時に近付いてくる魔物を不可視の壁が包囲する。が、不可視ゆえにその存在に気が付かなかったのか、それとも速度が付き過ぎて止まり切れなかったのか、次々と壁へと激突していく魔物たち。
その際にバルーンラクーンから悪臭ガスが漏れだしたのから悶え苦しんでいる個体もいた。
「〈ファイアーボール〉!」
そこへ放物線を描きながらニアが放った炎の球が飛び込んでいく。すかさず上部を塞ぎ閉じ込めたその瞬間、囲まれた空間で炎が踊り狂った。
赤々とした火炎は荒れ狂い何もかもを己の養分として燃え盛る。が、それも長くは続かず、暗褐色の煙が充満していくのだった。
「やったな!って、また追加か!」
上手く策がはまったことを喜んだのも束の間、脳内展開した〈地図〉には次の魔物の集団が映し出されていた。
正確にはそれらを示す光点は以前からあったのだが、手前の一団に気を取られてしまっていたのである。そのせいか、かなり接近しており〈隔離〉した場所のすぐ側にまで迫っていた。
「あの中に誘導すれば、時間稼ぎくらいにはなるか」
ディーオがそう思い付いたのは冒険としての勘のようなものだったのかもしれない。
しかしそれは、思い付いた本人すら予想もしていなかった出来事を引き起こすことになる。
ドン!
腹の底に響くような重低音と共に、炎が噴き出し接近していた魔物たちを焼き尽くしてしまったのだ。
いくら異世界の知識に触れる機会があるとは言っても、ディーオの科学的知識はそれほど多いものではない。そのため彼は知る由もなかったのだが、偶然にもいわゆるバックドラフト現象を引き起こしてしまったのである。
魔法の全てを解除することなく、一面だけを取り去ったのはまさに幸運だった。
下手をすれば自分たちさえも巻き込んでしまっていたかもしれないその光景に、二人は長時間動き続けて火照っているはずの体に冷や汗が流れていくのを感じていた。




