3 三十五階層攻略中
上空から事の始まりを見守っていたハーピー女性たちは、起きたばかりの出来事が信じられずに目を見開いていた。
一瞬、池の上を何かが走り抜けていったかと思えば、突如暴風が轟音を上げて木々を吹き飛ばし始めたのだから、それも致し方のないことだろう。
前もって話が通っていたならばまだしも、いや、例えそうであっても信じることができなかったであろうから、結局は同じことであったのかもしれない。
楔形に深く森の一端を引き裂くようにしてできた空間を見ながら、迷宮を踏破しながらその途上にある自分たちの村へとやって来た人間たちの力に背筋を震わせるのだった。
「セイレ!」
仲間から名を呼ばれてハッと意識を取り戻す。
「ちょっと……、どころじゃなく派手にやらかしてくれたけれど、私たちのやることに変わりはない。むしろ向こうに意識が集中しているはずだから思いっきりやるように伝えて回って!」
指示を出すと同時に仲間のハーピーたちがそれぞれの役目を果たすために羽ばたいて行く。魔物女性たちに与えられた役回りは囮である。だが、彼女たちはそれだけで良しとするつもりはなかった。
これまでにない大きな規模で狩りを行って食料を確保するのはもちろんのこと、何度も煮え湯を飲まされてきたハイオーガやホーンショットディアーたちに一矢報いてやる気でいたのだ。
いや、可能である限りの痛撃を何度でも見舞ってやるつもりだ。例え迷宮に捕らわれようとも、易々と迷宮の思い通りになる存在ではないことを知らしめてやる、そんな気概を持って臨んでいたのだった。
しかし、だ。犠牲者は出さないという人間たちとの約束も守らなくてはいけないと、ひしひしと感じていた。
直接言葉を交わしたことで、あの二人が信用に足る者たちであると感じ取っていたこともある。
だがそれ以上に、つい先ほど目の当たりにした事象を引き起こすだけの力を持っているということへの畏怖の感情があった。
あれと敵対してはいけない。
そう彼女の本能が強く警告を発していたのであった。
そのために大切なのは引き際を見誤らないことだ。先の一撃で敵は浮足立っているはずだし、こちらは元より戦意が高い。普段よりも奥へと入り込むことは計画の内だが、魔物としての性分なのか血に酔ってしまえばそこから無事に生還することをおざなりにしてしまう者も出てくるかもしれない。
死してなお仲間に損害を与えてしまった、などという汚名を同胞たちに着けさせるわけにはいかない。
自分たちの肩に掛かっている重みに気が付かされて、体に震えが走る。
今回の狩りはこれまでとは違った意味で難易度が高いものなのだと痛感していた。
「でもまあ、今の段階で理解できただけ良かったのかもしれないわね」
努めてのんびりと口にすることで、心の均衡を計る。血の気が多かったり責任感が強かったりするせいなのか突出しがちになる同年代の者たちをまとめるために、いつの頃からか好んで使うようになっていた術である。
「ただの伝令役だと甘く考えていたのが間違いだったのかも」
森の中で獲物を狩って回る者たちと同様に、ハーピー女性たちの戦いもここからが正念場となっていくのだった。
「慌てふためいている今が好機だ!一年分の食料は狩って見せろ!」
森の一角ではラミア女性たちの一団が猛烈な勢いで周辺にいる魔物や動物たちを倒していた。このままいけば、本当に一年分ほどの食糧は確保できてしまうのではないかという勢いである。
もしもごく普通の森でこんなことが行われてしあったならば、生態系が破壊されて深刻な事態に陥ってしまうことだろう。
数日あれば森の大木群ですら復活してしまう迷宮内でのみ可能なやり方である。
「ドナ、さすがに一年分もの肉を貯蔵しておくだけの場所は村にはないわよ」
苦笑しながら告げる馴染みの顔にも喜悦が浮かんでいる。抑えようとはしているが、力を振るうことができるという状況に歓喜しているのが見て取れた。
「そのくらいの気概で、という話だ。本当に狩り尽くせなどと言うつもりはないぞ」
下っ端だった頃とは違って、群れをまとめる側に立つことになってしまうと全力を出せる機会などそう多くなくなってしまう。
さっさと上の立場に上り詰めていきたいと思っていたあの頃の自分たちが見ればなんと言うだろうか?そんな益体もない考えさえ浮かんできてしまう。
それはともかくとして、日ごろの不満解消のためにも今の内くらいは大目に見ておくべきかもしれない。
ハーピーたちから先ほどの轟音の正体を伝えられ、仲間たちの士気は大いに上がっていた。
まあ、その役割は囮であるはずの自分たちこそがなさなくてはいけないものだったのではないのか、という素朴な疑問が浮かんではきたのだが。
だが、実際にもう賽は投げられてしまっており、これを利用しない手など考えられない。
攻撃開始の合図と共に、仲間たちは目に付いたことを幸いにと襲い掛かって行った。ある者は鋭い爪で引き裂き、ある者は長い体を使って締め上げている。
「狩りをするのは良いが、夢中になって監視を疎かにはしてくれるなよ。こんな状況だからいつもならば傍観しているような場所でも、ハイオーガの連中が手を出してくるかもしれないのだからな!」
それでもちょっとしたお小言を口にしてしまうのは、もう癖のようになってしまっているからだろう。嫌われてしまわないかと思い悩んだ時期もあったが、今では仲間が危険な目に晒されることになるよりはマシだ、と半ば開き直りに近い形で受け入れるようになっていた。
獲物に食らいつきたいという衝動を解放しつつ冷静に周囲の様子を探るという、相反する二つの感情を同時に操るのは思った以上に骨が折れると苦心するのだった。
一方、森の中へと侵入している部隊でもアラクネ女性たちはラミア女性たちとは異なる行動をしていた。
「ルッケ!右区画の封鎖を完了したって!」
木々に糸を張り巡らせて小さく区切っていくことで、獲物の動きを制限して確実に仕留められるようにしていたのである。
じわじわと森を侵食していくように、自分たちの活動区域を広げていたのであった。
「分かりました。それでは中にいる魔物を殲滅してください。攻撃する術を持たない小動物たちは放置。集めて森の奥へと解き放ちます」
直接害を与えることができなくとも、混乱に拍車をかける一因となるくらいはできるかもしれない。
どうせ大量の魔物を狩っているのだろうから、捌くのに苦労する小動物を獲物とする必要などない。それならば別の方法で役に立ててやるべきだろう。
「一段階森の奥へと進みます。左右をよく確認して進み過ぎないように注意してください!」
陣地構築の一番の利点は、自分たちにとって有利な空間を作ることにあるが、目的はそれだけに止まらない。いざという時の退避先、更には森の外への逃亡経路となるのだ。
ハーピーの仲間たちが上空から監視したり、それぞれの部隊の動きや位置関係を逐一知らせてくれていたりするとはいえ、奥へ奥へと突出してしまう者たちもいるだろう。
囮という役目上、それも仕方のないことではあるのだが、それによって身動きが取れなくなってしまうということも起こりかねない。
混乱している今でこそこちらの思うがままに動くことができているが、時間が経てばハイオーガたちも落ち着きを取り戻してしまうだろう。
向こうの策にはまってしまったとなれば、大きな被害を受けてしまうことだってあり得るのだ。
そうした緊急の事態に対応するためにも陣地作りは絶対に必要なことだとアラクネ女性たちは考えていたのだった。
「ここに村の皆が集まってくるようなことがなければ良いのだけれど。あちらの負担を減らすためにも、わざと数名に先行させるべきかもしれませんね」
彼女たちは種族ゆえの性格からか、陣地を作るなどの裏方仕事を苦痛だと感じることはない。が、能動的に動くことが嫌いな訳ではないのだ。
先行させて自由に狩りができる機会となれば、手を挙げる者たちはいくらでもいるだろう。その中から数名を選ぶ作業は、なかなかに面倒なものなのである。
差し迫った未来の自分の姿をありありと想像することができてしまい、リーダーのアラクネ女性は小さくため息を吐いたのだった。
「〈裂空〉!」
「〈アイスニードル〉!」
近寄ってくる魔物を魔法で蹴散らしながら、それでも近寄って来ようとする魔物には短槍の穂先をくれてやりながら、無理矢理切り開いた道をひた走る。
最初こそ大勢の魔物たちに囲まれはしたものの、魔物女性たちの進撃が始まったのかすぐに集ってくる魔物の数は目に見えて減少していった。
「これは、思っていた以上に、走り、難いな!?」
「余計なことを喋っていると舌を噛むわよ!」
大量の木々を吹き飛ばしなぎ倒してしまったことから、罠らしきものは今のところ一つも目にしてはいないのだが、根本付近で切断しただけなので切り株は残り、地面の凸凹もそのままという、およそ人が駆け抜けるには不向きな地形となっていたのだった。
「左前方に五体の魔物!これは、ホーンショットディアーか!」
これまでの魔物とは異なり、一向に近付いてこようとしないことに不信感を抱いたディーオが脳内に展開した〈地図〉で詳しく確認したところ、目下の難敵その一がついに姿を現したことが判明したのだった。
まあ、実際には木々に隠れているので、直接見ることはまだまだできないのではあるが。
「指示と誘導をするから、反撃することはできるか?」
「集中する時間が足りないから、大規模な魔法は無理よ!」
「牽制程度で十分だ。追ってさえ来なければそれでいい。向こうの攻撃は俺が弾くから攻撃に集中してくれ」
「無茶なタイミングじゃないことを祈るわ」
「任せろ。魔法発動まであと十五拍」
「思いっきり無茶じゃない!」
簡単な魔法であれば集中する時間は一拍も必要ない。だがそれはあくまでも魔法に専念できる環境下であればの話だ。
足場の悪い場所を全力疾走しながらとなれば、いかに使い慣れた魔法といえども数十拍の猶予は欲しいというのが正直なところであった。
しかし、そんな泣き言が通用するような状況ではないこともまた事実だ。
「後で覚えておきなさいよ!」
ディーオへ悪態をぶつけながら、ニアは頭の中で魔法を構築していく。
環境だけではなく自分たちの安全性にも配慮して、これまでは火や炎系統の魔法の使用を控えてきたが、そんな悠長なことは言ってはいられない。
ホーンショットディアーの方は放置しておけば確実に自分たちの命を脅かす存在となってしまうのだから、選択の余地などないとも言える。
「残り五拍!〈障壁〉で弾いた直後に左方向に頼む。……くるぞ!」
その言葉が合図になったかのように、矢が放たれた時寄りの大きな風切り音が聞こえ始めた。
「〈障壁〉!」
飛来したそれはディーオの宣言通りに弾かれ、二人に危害をもたらすことはなかった。
そして、
「〈フレイムウィップ〉!」
炎で形作られた鞭を左手方向へと薙ぎ払う。照準どころか碌にそちらを見ることなく振るわれた一撃だったが、炎の鞭は次々と触れるものを炎へと包み込んでいく。
突然の火災に逃げ惑う魔物たちの悲鳴を聞きながら、ニアは「魔物女性たちがいる所にまで被害が広がりませんように」と心の中で祈っていたのだった。




