8 三十五階層の解説
前回100話目と書きましたが……、よくよく確認してみると解説等を含んだものでした。
決して間違いではないのですが、浮かれていたのがなんだか恥ずかしくなる今日この頃だったり……。
始まりが夕暮れ間近だったということもあり、長老たちとの話し合いが終わった頃には辺りには夜の帳が下りてしまっていた。
「すっかり日が暮れちまったね。こう暗いと見え難くていけないよ」
迷宮内なので正確には階層上部の明かりが消えてしまっている状態なのだが……、まあ、野暮な事は言うまい。若い連中はまだしも長老たちは迷宮外で暮らしていた時間の方が長いのだ。下手なことを口にして機嫌を損ねてしまっては元も子もない。
例え事実であったとしても指摘しない方が良いことなどいくらでもあるのだ。
余談だが、ぼやいたのはハーピーの長老であるようで、彼女自身は肩から先の腕が白い羽毛で覆われているためにかなり目立つ。夜目の効く者からすれば格好の獲物と言えるのかもしれない。
「相変わらずあんたは夜に弱いねえ」
「こればっかりは仕方がないよ。うちの里にはオウル系統の者はいなかったからね」
アラクネの長老の言葉に苦笑しながら返すハーピーの長老。彼女たちの『変異種』化は、種族由来の欠点の克服には働かなかったようである。同じ悩みを抱えているハーピー女性たちが揃って困った顔になっていたのだった。
憂いを帯びた美女たちの表情に思わずどきりと心臓を跳ねさせてしまうディーオ。狙ったものでもないのに恐るべき破壊力だ。無意識であるがゆえに攻撃力が増したとも考えられる。白日の下であれば耐えきれなかったかもしれないと内心で戦々恐々とするのだった。
実際には魔法の明かりという限られた光源のために、見えない部分を彼の頭が勝手に補完した結果なのだが。
まあ、色々と知識も経験も足りていない若造にそこまで理解を求めるのは酷なことかもしれない。
一方ニアはといえば、「老眼という訳ではなかったのね」と割と失礼なことを考えていたりしていたのであった。
「それで、お前たちはこれからどうするつもりだい?」
「そ、そうだな……。できるならこれからすぐにでも次の階層の話を聞いておきたいところだ」
ラミアの長老の問い掛けに、ディーオは若干挙動不審気味になりながら答える。
「これからすぐに?まさかこの暗闇の中を進むつもりなのかい?」
内容の方に関心が向けられたため、彼の挙動について突っ込む者はいなかったのは幸いなことだったと言えるのかもしれない。
ただしその分、追及してくる魔物女性たちを納得させられるだけの説明をしなくてはいけなくなったようではあるが。
「状況次第だけど、最悪はそこまでしなくちゃいけないかもしれないとは思っている。というのも、三十五階層までは出入りするごとに形が変わっている『変革型階層』で、迷路型ばかりだとされていたからな」
迷路型と大部屋型ではいくつか大きく異なっている点があるのだが、その中の一つとして階層内の明かりが挙げられる。
これまで何度も述べているように、大部屋型は迷宮の外と連動して上部が明滅を行い昼夜の区別がある。そして明かりが消えてしまうと月のない夜どころか、雲によって星一つすらも隠されているかのように真っ暗となってしまう。
対して迷路型の場合は天井部や壁などが常に燐光を放っていてほんのりと薄明るいのである。これによって冒険者たちは昼夜関係なく階層内を探索することができるのであった。
もちろん無尽蔵の体力を持つような人間はいないので、適度に休息を取る必要はあるのだが。
余談だが同じ迷路状の階層でも、二十五から二十九階層の『樹海迷路』では植物が壁の代わりをしているために天井のみが光源となっており、なおかつ大部屋型のように昼夜によって光量に差があることが確認されている。
これらのことから『樹海迷路』は迷路型から大部屋型に移り変わっていく途中、もしくはその逆なのではないかとも考えられているのであった。
「俺たちはこの階層に丸二日以上滞在している。まあ、その間に希少な素材を見つけたり、こうしてあんたたちと友誼を結んだりできた訳だから、結果としては悪くはなかったんだけどな」
「それでも迷宮の最深部へと向かうという一点からすれば、大きな足止めとなってしまった可能性はあるわ」
ディーオの『空間魔法』を利用して三十二、三十三階層は深層とは思えないほどの速さで踏破できたという自信はある。だが、競争相手でもあるあの一団がそれに準じる速度で踏破していた場合、この間に順位が入れ替わってしまったかもしれない。
加えて常に視界の確保ができるだけの光源のある迷路型の階層にいるのだとすれば、今現在もその差は開き続けているかもしれないのだ。
夜だから、明かりがないからといって立ち止まってはいられない状況だと言える。
「……競争相手がいるならじっとしてはいられないのも道理だね。だけど、焦ったところでどうしようもないよ。私らが知る限り、次の階層もここと同じような大部屋型だからねえ」
「なんだと!?それは本当なのか!?」
「協力相手に嘘を吐いてどうするんだい。上の階はともかく、下の階は大部屋で常に同じ場所になっているよ」
ラミア長老の話によると、次の三十五階層は大部屋型であるだけでなく、何度出入りしようとも地形から階段の位置まで何一つ一切の変化がないのだという。
「だからこそ我らは確実に帰って来ることのできる下の階層にだけ、狩りに行くようにしているのだ」
と付け加えたのはラミア女性だ。今朝がたの態度から想像した通り、彼女は若手の中のリーダー格の一人であったようだ。
かつては上の階層に向かったものの、何日もかけてようやくここへ戻って来られたという者もいる。
しかし彼女は村へと帰り着くことができただけまだ幸運な方だ。なにせ二度とその姿を見せることのなかった者たちもわずかながら存在していたのだから。
「……随分と資料とは異なってきたな」
「元々三十五階層については何も分かっていないに等しい状態だったのだし、難しく考える必要はないのではないかしら」
「まあ、その通りといえばその通りなんだけどな」
身も蓋もないニアの意見に苦笑するディーオ。階段の在り処が分かっているのであれば、余計な探索をする必要もなくなるので大幅な時間短縮となるのは間違いない。ここは素直に運が良かったと思っておけば、そして魔物女性たちに協力を求めて正解だったと思っておくので正解なのかもしれない。
「それじゃあ、後は任せたよ」
「その二人に村の命運が掛かっているんだ。しっかりと教えておくんだよ」
そう言い残して長老たちが踵を返すと、集まっていた魔物女性たちの大半がそれに続くようにする。
「戻るのか?」
「どうやらお前さんたちを村に招待して、なんて悠長なことをやっている暇はないようだからね。場合によっては村であんたたちの歓迎をする必要があるだろうってことで準備させていたのさ。見ての通り碌に食べ物にありつけていないって程じゃないが、贅沢できるだけの余裕がないのも事実。さっさと帰って宴会は中止になったと伝えないと、食材を無駄にすることになるからね」
子どもたちがまた喚くことになるかもしれないけど、と付け足してアラクネの長老が笑う。
勝手に村を飛び出してディーオたちと接触した罰として、ちびっ子たちは彼らが渡した料理を食べることができていない。更に宴会までもお預けにされるとなれば、まあ、泣き喚くだろうことは想像に難くないというところか。
「あー……、あの子たちには悪いが今日のところは我慢してもらうしかないな。その代わり近々の内には豪勢な宴会ができるようになるはずだとでも言って上手く宥めすかしてくれ」
「なかなかの難題を放り投げてくるものだね。だが、そういうだけの自信か根拠があると思っておくよ」
苦笑的なものだった笑みを突如挑戦的なものに変えられては、とてもではないが「自信はない」などとは言い返せない。
「まあ、精一杯の努力はさせてもらうよ」
ディーオはポリポリと頬を掻くより他なくなってしまうのだった。
「さて、それでは下の階層の説明に入らせてもらおうか」
「頼む」
「お願いします」
長老たちが去った後、魔物女性たちは若手リーダー格の三人だけがこの場に残ることとなっていた。
「まずは階層の形だが、この階層と同じく大雑把に言って縦長の楕円となっている。上層、つまりは我らの階層から続く階段が下側の尖った部分にあるのに対して下層への階段はここ、中心部にあるということになる」
ラミア女性が地面に描いた図を見ながら、ディーオたちはふんふんと頷き続きを促す。
「でも、ここからが問題なの。この階段はなんと階層の中央部分に広がる池の真ん中の島にあるのよ」
ハーピー女性の言葉に合わせて、地面の図にザっと池を示す円が加えられた。池といっても巨大なもので、その外周は一里にも及ぶ程だという。
更に厄介なことに、その池を守るようにして周囲には森が広がっているとのことだった。
「私たちのいる階層とは異なり、この森に生態は豊富で魔物だけではなく普通の動物も数多く生息しています。その動物たちが私たちの主な獲物という訳です」
アラクネ女性によるとネズミやウサギといった小型の動物から始まり、それらを糧とすることもあるキツネやタヌキのような雑食の動物、少し大きなところではシカやそれを獲物とするオオカミなどが生息しているのだという。他にも虫類や爬虫類、鳥の類も多数見かけるとのこと。
「外での狩りの経験が豊富だった上の世代の者たちに言わせると、一つの森がそのまま引き寄せられたようであるそうだ」
確かに、ここまでの階層では大部屋型でも中核となる魔物が数種類いるだけということも多かった。林や森にしても木々がそこに生えているというより、ただそこにあるだけという感が強かったのである。
だが、それゆえに疑問が募る。
「すまない、今の話だけを聞くと森を抜けて奥にある池へと辿り着くのはそれほど難しくないように思えるんだが?」
野生動物を甘く見る訳ではないが、それでも魔物と比べれば強さという点では一段も二段も劣ってくる。同じオオカミでも動物と魔物では頑丈さに強靭さ、そして狡猾さが桁違いなのである。
加えて『変異種』化までしている魔物女性たちであるならば、森を抜けるくらいは造作もないことであるはずなのだ。
「問題はそこだ。狩りに夢中になって得物を追いかけて森の奥へ奥へと入って行ってしまうと、生息している魔物に取り囲まれてしまう。そして下手をすれば一網打尽にされてしまうのだ」
ところが、ラミア女性から返って来たのはそんなディーオたちの予想を覆す言葉だった。




