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【3/14コミカライズ開始】高嶺の花扱いされる悪役令嬢ですが、本音はめちゃくちゃ恋したい  作者: 来栖千依
第3部

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37話 あらわれよ交渉舞台

 細いヒールをカツカツ鳴らして入ってきたマリアは、目深にフードを被った子どもと薄金色の猫を従えていた。

 猫の首輪には、赤い薔薇のつぼみがついている。


 しんがりを歩くダグラスの、眉間に渓谷ができそうなほど険しい顔を見て、人々は口を閉ざす。

 大公は幽霊でも見たかのように狼狽して、玉座から滑り落ちそうになった。


「なっ、なぜここに!」

「大公閣下がわたくしをお呼びになったのではありませんか。お待たせしてはいけないと思って、急いでまいりましたのよ?」


 マリアは笑顔で大嘘をついた。


 当たり前だが、大公が呼んだから屋敷を出たわけではない。

 ルーイとジーンが今日この時間に行動を起こすと見越して、廊下に立っていたのである。


(ルーイ様もジーン様もわかりやすい方でよかったわ)


 二人に近付いた日から、マリアは城へ通い詰めた。

 午前中はルーイとお菓子作りをしてそのままお茶を。

 午後はジーンとアカデメイア大陸の情勢について語り合った。


 人間は、接触回数が多いほど相手を好きになるものだ。


 異性を避けていたルーイが、毎日のように自分に会いにきて愛嬌を振りまくマリアにぞっこんになるまでに時間はかからなかった。


 それはジーンも同様で、研究者レベルの知識と聡明さをそなえたマリアとの会話がよほど楽しかったようで、通うたびにお土産を持たせてくれた。

 高慢な彼が城の外まで見送りに出るので、衛兵たちもぎょっとしていた。


 かくしてマリアは、公子二人を名実ともに落としたのである。


(これこそ、わたくしが使える魔法よ)


 相手を観察して心に入り込む。

 掴んだ心を離さないための餌や罠も忘れない。


 マリアの人心掌握術は、公爵令嬢として生きる中で身につけたものだ。


 女性同士の関係はどう維持するか。婚約者がいる男性にはどう接するか。

 数多のお茶会やパーティーを通じて磨き上げてきたコミュニティー能力こそがマリアの武器だ。


 開く花びらの形や色が一つ一つ違うように、相手の家格や性格に応じて、会話の内容や笑う回数、口調を変え、気分よく過ごさせて自分の印象を高める。


 一方、話し合いの場では棘も必要だ。

 難しい交渉事をするならば、丸め込まれないように強い印象を与えなくてはならない。


 今日のマリアは、棘のある薔薇モード。

 胸元が大きく開いたドレスは深紅で、シャンデリアの光を受けて織り込んだ薔薇模様が光る。いかにも強気な女の装いだ。


 本当は、ほんわかしたピンクや水色、繊細なレースに包まれてかわいいを満喫したいが。


(大切なものを取り戻すまで〝かわいい〟はおあずけよ)


 マリアは、いぶかしげな表情でこちらを見てくるレイノルドに気づいて、小さく微笑む。


「大公閣下。わたくしにお話とはなんでしょう?」

「貴様、よくも我が公子たちを誘惑してくれたな! 二人ともタスティリヤに行くと言い張っておるぞ!」


 こちらを指さして唾をまき散らす大公に、マリアは軽蔑の目を向ける。


「それに何の問題が? お二人とも成人していらっしゃるのですから、行先くらいご自分でお決めになるでしょう」

「タスティリヤなのが問題なのだ! 公子は人質にしてルビエ公国を脅し、不条理な要求をして来るつもりだろう!」


 他人事みたいな言い分だったので、マリアは思わず笑ってしまった。

 妹がいつまでも笑い続けるので、ダグラスが仕方なく口を出す。


「恐れながら申し上げます。タスティリヤは、ルクレツィア公女殿下がなさったように他国の王族を盾にしたり、大公閣下がやろうとしたように他国の世継ぎを奪って子を縛りつけたりはしません。そんなことを画策するのは私の愚妹くらいですよ」


「まあお兄様、こうでもしないと大公閣下はわかってくださらなくてよ。大切な人を、目の届かない場所に留められるのがどれほど恐ろしいか、自覚なさいまして?」


 表面上はにこやかに――細めた目の奥にメラメラと怒りを燃え上がらせるマリアの迫力に、大公は「ひっ」と悲鳴を漏らした。


 威厳ある父の情けない姿に、ルクレツィアもまた声を漏らす。


「……お父様のあんなところは初めて見ました」


 大国を治める主上が、自分より二つも年下の令嬢に気圧されている。

 大公の敗因は、マリアが想像以上に強かで、打たれ強い女性だと気づけなかったこと。


 ほっそりした頬にはたいた赤いチークや、強くカールをかけたまつ毛をよく見ていれば、彼女が勝利を確信してここに来たと感じられたはずなのに。


(マリアヴェーラさんは恐ろしい人です……)


 もしもマリアが魔法使い解放運動を率いていたら、何もかもが上手くいっていたはずだ。


 ルクレツィアがルビエ公国を変えられなかったのは、大公一族や貴族が反発したせいではない。

 彼らを黙らせるほどのカリスマ性がなかったからだ。


 悔しい。ぎゅっと拳を握ると、オースティンの手が背中に回った。


「落ち込むのは早いですよ。彼女の魔法はまだ残っています」

「魔法?」


 ばっと横を向いたルクレツィアは気づいた。

 オースティンの胸元に、見慣れない薔薇の造花が飾られている。


「それは……」


 しーっと口元に中指を立てられた。

 意味がわからず混乱するルクレツィアに、マリアが声をかける。


「ルクレツィア公女殿下、どうぞこちらへ」

「は、はい! オースティン、レイノルド様をお守りして」


 ルクレツィアは、マリアの隣に並び、大公に一礼した。


「タスティリヤからルビエ公国へ食糧を融通する取り決めに対して、ルクレツィア様を何度か交渉を重ねてまいりました。とある条件で合意しましたので、大公閣下にご報告を」


「レイノルド王子殿下を国に返すことを承知したのだな、ルクレツィア! 偉いぞ!」


 大公の顔に希望が差した。が、ルクレツィアは表情を曇らせたままだ。


 なぜなら、合意などしていないからである。


 言うべき言葉が見つからずに困っていたら、ルクレツィアの肩にマリアが触れた。


「わたくしたちの取り決めた条件は、これですわ」


 マリアがパチンと指を鳴らす。

 それを合図に、ミオがフードを脱いで、内側に書かれていた魔方陣を床に広げた。

 大きな円に、幾何学的な図形とルビエ語の呪文がびっしりと書き込まれている。


「お前は!」


 大公が騒ぐのを無視して、ミオはベストにつけた薔薇と、魔方陣に手を当てて詠唱した。


「Oikahanet oamakan oy oham!」

「にゃあああああおおおおん!」


 ニアの叫びが響き渡ると、会場の壁という壁が鳴動し始めた。


「なっ、なんだ?」

「壁が揺らめいているぞ!」


 波打つ壁は、カーテンのように移動していき、隠されていた本物の壁と、そこに隠れていた者たちをあらわにする。


「いつからそこに……!」


 大公らは、壁の前にずらりと並んだ魔法使いたちに驚愕した。


 彼らは、ミオと同じように使い古しのフードをかぶり、胸にオースティンと同じ赤い薔薇の造花を飾っていて、並んでいる姿は覆いしげった薔薇の生垣のようだ。


 彼らを背にしたマリアは、中心に咲くもっとも美しい一輪。

 手を伸ばせば、鋭い棘で血を流すことになる、危険をはらんだ花だった。


「さあ、交渉を始めましょう」


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