31話 魔法使いの娘
それまで黙っていたオースティンが怒りをあらわにした。
マリアに殴りかかろうとする彼を、ルクレツィアはぴしゃりと叱る。
「オースティン、やめなさい。マリアヴェーラさんはタスティリヤの使者です。殴ったりしたら私が無事ではすみません」
「ルクレツィア様がおっしゃる通りですわ。わたくしは取り扱い注意の存在なのですよ。心に刻んでくださいませ」
クスクス笑うマリアは、こんな状況さえ楽しんでいる。
手負いの熊のように息を荒くするオースティンをなだめつつ、ルクレツィアはそんな彼女を信じられない顔で見た。
「誰が、貴方にそのことを教えましたか?」
「わたくし自身の推理ですわ。魔法使いを虐げる側の公女が、なぜ彼らのために声を上げたのか。ルクレツィア様自身が、魔法使いと切っても切れない縁があると考えるのが自然でしょう」
大公は多数の魔法使いを使役している。
ミオやニアのような子どもも、そして女性たちもだ。
国王が侍女に手を付けて側妃にする話は大陸中でありふれているし、魔法使いだけ例外というのはありえない。
「わたくしの知り合いの魔法使いは、ルクレツィア様が魔法使いの娘だとは知らなかったようです。恐らく箝口令が敷かれていたのでしょう。しかし、魔法使いにも分けへだてなく優しい公女の噂は国中に広まった。公女の魔法使いであるオースティン殿の名前も一緒に。ルクレツィア様が解放運動を起こされたのは、彼のためですね?」
「……」
ルクレツィアは、口を引き結んだ。
何も言えないというよりは、言いたいことが山のようにあって吐き出すための準備をしているような、鬼気迫る表情だった。
ぎゅっと力が入った彼女の肩に、オースティンがそっと手を添える。
「事の発端は、私とルクレツィアお嬢様が結婚を大公に願い出たことでした。しかし、私が魔法使いだという理由で認められなかった。ご自身は、魔法使いだったルクレツィア様の母親を側妃にしたにもかかわらずです」
「私は大公――お父様が許せなかったんです。魔法使いを人間扱いしない一族も、貴族たちも大嫌い。だから、彼らを解き放つために立ち上がりました」
ルクレツィアは、オースティンを通じて王都近くにいる魔法使いたちを集め、彼らが貴族から受けた仕打ちを暴いた。
魔法使いは道具ではなく人間であると主張して、迫害される身分からの解放を訴えたのだ。
「ルクレツィアお嬢様の言葉に、平民たちの多くも耳を傾けて賛同しました。多数の嘆願書が城に届き、貴族会議の議題となったのです。その次の晩でした。ルクレツィアお嬢様の元を、大公の魔法使いが訪ねてきたのは……」
ミオとニアは、大公に命じられてルクレツィアを監禁し、オースティンへの恋を諦めさせようとした。
しかし、ルクレツィアはどんな脅しにも屈しなかった。
そこにオースティンが駆けつけた。
城を脱出した二人は、解放運動の仲間である魔法使いたちの手で国外へ逃げたのだ。
「なぜ、そのまま外国にいなかったのですか。誰も知らない土地で、偽名でも名乗って結婚すればよかったのではありませんか」
「それでは意味がありません。私は、お父様に認めてほしいんです」
ルクレツィアは父親の評価にこだわりすぎている。
魔法使いの娘として生まれ、公女にも関わらず大公にかえりみられなかったせいだ。
親に愛されなかった子どもは、心に空虚さを抱えて大きくなる。
背が伸び切っても、恋人ができても、親に認められるかどうかを基準に行動してしまう。
たとえ全力で逃げるべき場面でも、わずかな(今度は認めてもらえるかもしれない)という希望を持って、元の場所に戻ってしまうのだ。
(親は子どもを産むかどうか選べるけれど、子どもはどの親の元に産まれるか選べないわ)
マリアには、あの大公が改心して魔法使いの地位を上げ、ルクレツィアとオースティンの結婚を認めるようになる姿をどうしても想像できない。
口では上手いことを言い、相手の幸せな未来を摘みとる。
大公がそういう抜け目ない人間であるということは、レイノルドをルビエに留めおこうとした性格からもわかる。
魔法使いが従属させられているように、ルクレツィアもまた、父親の呪縛から解き放たれなければ、この件は解決しない。
マリアは毛皮の扇を置いた。タスティリヤの使者ではなく、マリアヴェーラ・ジステッドというただの女性として話すために。
「わたくし、恋が好きですわ。恋をするのも恋をしている人を見守るのも、同じくらい好きです。ルクレツィア様とオースティン殿にも幸せになってほしいと心から思っています。お二人とも、ルビエ公国での仕打ちは忘れてタスティリヤで暮らしませんか?」
「嫌です。この国の魔法使いを見捨てて、自分たちだけ幸せになるなんて。そうよね、オースティン」
「…………」
「オースティン?」
ルクレツィアに声をかけられてもオースティンはうんともすんとも言わなかった。
彼がマリアを見る瞳は、氷のように冷たく、爆発寸前のマグマだまりのように熱い。
よそ者が口を出すなと言わんばかりの気迫だ。
「貴方の使者としての交渉事は、私たちにタスティリヤでの夫婦生活を保障する代わりに、レイノルド王子殿下を返せということでしょう。結局、自分のことしか考えていない」
「自分の……」
マリアが声を上げて笑い出したので、オースティンは気味悪がった。
「何が面白いのですか」
「だって、当たり前のことをおっしゃるんですもの。この世界では、誰しも手の届く範囲でしか行動できませんのよ。自分の願いが最優先になるのは当然ですわ。わたくし、食糧難に陥っているルビエ公国にタスティリヤから穀物を運び入れる条件で、レイノルド様を返してもらってこいと王妃殿下に命じられておりましたの。わたくしはレイノルド様さえ戻ってくればいいと思っていましたが、お二人の話を聞いて気が変わりましたわ」
立ち上がったマリアは、カツカツと靴音を立ててルクレツィアに歩み寄った。
「何か?」
眉をひそめる彼女の顔をのぞき込む。
ルクレツィアはやせ形で背も低く、高身長で女性らしい体つきのマリアと並ぶと大人と子どもだ。
大公と戦うにはあまりに小さい女性。
だからこそ、マリアは力になりたいと思った。
「この国の魔法使いを解放するお手伝いをいたします」
「方法があるのですか?」
驚くルクレツィアに、マリアは真っ赤な唇を持ち上げて鮮やかに微笑んだ。
「実はわたくしも魔法がかけられますの。どうぞご期待くださいませ」
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