30話 うつくしき暗中飛躍
「タスティリヤ王国の使者が、私と二人きりでの会談を希望している?」
塔にやってきたルーイの話に、ルクレツィアは大いに困惑した。
そもそもタスティリヤ王国がルビエ公国に使者を差し向けたこと自体、寝耳に水だ。
(レイノルド様を追ってきたのね)
ルクレツィアがタスティリヤ王国に戻るつもりがないと察したのかもしれない。
だが、対話に応じても、ただの使者では何もできないはずだ。
こちらにはレイノルドという人質がいるのだから。
彼は、タスティリヤとルビエ両国からルクレツィアを守る盾だ。
他国の王子と結婚した事実があれば、ルクレツィアの大公一族内での立場も少しは回復するだろう。
魔法使い解放運動に失敗したせいで、ルクレツィアの地位は失墜した。
再び戦うためにも、絶対にレイノルドは母国に返せない。
必要であればオースティンに命じてさらに記憶を改竄し、タスティリヤ王国から亡命してきたとでも思わせればいい。
それらの計画を一瞬で思いめぐらせたルクレツィアは、心配そうな兄に向かって物分かりよく頷いた。
「わかりました、ルーイお兄様。使者の方をここへお通しください」
「だそうです。どうぞ、マリアヴェーラ様」
「え……?」
ここにいるはずのない人間の名前に、ルクレツィアはぽかんと口を開けた。
ルーイの後ろから悠々と歩いてくるのは、袖やスカートに毛皮を縫い付けてルビエ風に装ったマリアだった。
威風堂々とした姿は、生まれ故郷から遠い異国においても、孤高の存在感を放っている。
「ま、マリアヴェーラさんも、ルビエ公国に来てくださったんですね」
平静を装って微笑んだけれど、ルクレツィアの胸中は修羅場だった。
(ただの公爵令嬢が、どうしてタスティリヤの使者に?)
ただの、という認識が誤っていたのかもしれない。
マリアは、双子の王子たちが苦心していた別邸の改修をたった四日で完成させた。
ジステッド公爵家の影響力の強さやレイノルドの婚約者だからと重用されているのではなく、彼女自身の実力によるものだとしたら。
(油断できないわ)
ルクレツィアの前で立ち止まったマリアは、テンの毛皮を張った扇を広げた。
「わたくし、初めてルビエ公国に来ましたがいいところですわね。ここまで上質な毛皮が手に入るとは思いませんでした。ドレスも扇もこちらに来てから作らせましたのよ」
「私の国を気に入っていただけて嬉しいです。どうぞこちらへ」
暖炉がパチパチと爆ぜる部屋に通す。
控えていたオースティンは、寒暖差で頬に赤みが差したマリアを見て目を見開いた。
「なぜ、ここに……」
魔法使いとして虐げられた半生を送り、感情の起伏を失った彼にしては珍しい。
ルクレツィアは彼が余計な手出しをしないように、命令口調で釘を刺した。
「オースティン、お茶の用意を。マリアヴェーラさんはタスティリヤ王国の使者としていらしたそうよ。二人きりで話したいので、他の人間は近づけないように」
無表情に戻ったオースティンは、すぐに紅茶とスパイスケーキを準備して戻ってきた。
テーブルを挟んで向かい合ったマリアは、乾燥させた花びらが浮いた紅茶には手を付けずに話し出す。
「ずいぶんと古びた塔にご滞在なのですね。魔女の住処かと思いましたわ」
「外遊から急に戻ったので、私の部屋の準備が追いつかなかったんです。もともと使っていた部屋は姪のものになっています」
あり得そうな理由を並べたのだが、マリアは引っかかった様子で頬に手を当てた。
「不思議だわ。外遊に出かけた公女の部屋を勝手に他の者にあてがうものかしら。普通は帰ってくるまでそのままにしておくでしょう。わたくしには、ルクレツィア様が嫌がらせをされているようにしか思えないのですけれど」
棘のある言葉に、ルクレツィアの眉がぴくんと動く。
「……何をおっしゃりたいのかわかりません」
ルクレツィアは紅茶を口に含んだ。
だが、味も香りもしない。
マリアの鋭い指摘に動揺して、五感が鈍ってしまっている。
「私の立場が弱いのは、側妃だった母親がすでに亡くなっているからですわ。侍女仕えをしていた頃に見初められた平民だったので、実家の後援もありません」
ルクレツィアは亡き母親を思い出した。
線が細くて美しく、朗らかな人だったが、他の妃のように寵愛は続かずに子どもはルクレツィア一人だけ。
大公の気まぐれに振り回されて一生を終えた可哀想な女性だった。
「私は大公の末子だったので兄や姉に見下されているんです。心を寄せてくださるのはルーイお兄様くらいのものでした。けれど――」
ルクレツィアは、青琥珀のブレスレットをはめた腕を持ち上げた。
これはルクレツィアが生まれた晩に、最初の贈り物として父に渡された物。
まごうことなき大公の娘である証拠だ。
だからこそルクレツィアは、絶対に母のようにはならない自信があった。
「私は本物の公女なので、城に居場所がないことはありません」
天上から糸で吊られているように背筋を伸ばして、ほんの少し口角を上げて微笑み、自慢の瞳でまっすぐにマリアを見つめる。
たいていの相手はこれでルクレツィアに心を開いてくれるのだが――あろうことか、マリアは組んだ両手に顎をのせて、同じような表情を浮かべていた。
「家族扱いされているなら、こんな粗末な塔にはいないはずです。大公の次男も元平民の側妃から生まれておいでですが、まっとうな公子として扱われていましたわ。ルクレツィア様が公女として尊重されないのは、生まれが特に変わっていたからではありませんの? たとえば、ルビエ公国で虐げられている〝魔法使い〟の娘だったとか」
「貴様っ!」
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