26話 ひきこもり魔法少年
「雪さえなければいいところだわ」
ループレヒトの屋敷で数日過ごしたマリアは、暖炉のある居間から晴れ間を見上げた。
敷地の中は、猫が歩き回っているおかげで残雪はない。
けれど、一歩でも敷地を出ると大量に積もっている。人や馬車が通るスペースだけ火炎で溶かしてあった。
その隙間を通って、ダグラスとループレヒトは王都に向かった。
ダグラスの親友である大公の三男に、エマニュエル王妃の密書について相談するためである。
タスティリヤ王国の人間が、じかに大公に渡すのが好ましいため、謁見の調整に数日はかかると思われた。
(お兄様が帰っていらっしゃるまで、わたくしは一人でお留守番ね)
ふわっ。足元に何かがすり寄ってきた。
視線を下げると、毛足の長い灰色の猫がマリアのスカートにすりすりと体をくっつけている。
「そういえば、貴方たちもいたわね」
しゃがんで撫でてやりながら、ループレヒトが言っていた同居人を思いだす。
引きこもりの魔法使い。
その人は、誰にも会わないために魔法で作った猫を使い、村の雪を溶かして回り、写真を撮らせて辺りの状況をうかがう。
度を超えた人間嫌いらしいが、会いに行ってはいけないだろうか。
交渉次第にはなるが、レイノルドにかかった魔法を解く方法を教えてもらいたい。
『みーっ』
いきなり猫が苦しそうな声で鳴いた。
短い手で頭を抱えて苦しそうに体をねじっている。
「ど、どうしたの?」
『みぎゃーー!』
今度はひときわ大きく鳴いたかと思うと、廊下に向かって疾走し始めた。
「待って」
マリアは後を追った。
スカートをたくし上げて長い廊下を走り、階段を駆け上がる。
途中の部屋や窓から他の猫たちも合流してきて、猫の数はどんどん増えていく。
(こんなにたくさんいたのね!)
猫の一団は二階の廊下をまっすぐ進み、突き当たりの蝶番がついた扉に飛びついた。
一匹、二匹と猫が折り重なり、重量に耐えられなくなった扉が内側に開いた。
部屋に雪崩れ込んだ猫たちは、いっせいに『みぎゃあああ!』と大絶叫した。
「出ていけ! 呪うぞ!」
猫たちの視線の先には一人の少年がいた。
痩せた体にフード付きのローブを着て、髪を振り乱しながら、窓に向かって必死に十字を切っている。
窓ガラスにくっついているのは季節外れの芋虫だった。
屋敷の中は温かいので、春と勘違いして卵がかえってしまったのだろう。
猫たちは、少年と連動でもしているかのように、みぎゃあみぎゃあと悲鳴をあげている。
(芋虫が苦手なのかしら)
部屋を見回したマリアは、立てかけてあった箒を掴んで、少年の前に出た。
「離れていてくださいな」
「あなたは……」
箒の穂先で、芋虫をちょんちょんとつつく。
ぐらっと落ちて穂に乗ってくれたので、窓を開けて外にほいっと放り出した。
「これでいいかしら?」
振り返ると、少年と猫たちはあんぐりと口を開けていた。
真正面から見た顔立ちに、マリアは思わず息をのむ。
(とても綺麗な子だわ)
こんもりと盛り上がった頬や、カラスの羽根を思わせる黒髪は人形のようだが、青と黄色のオッドアイは気位の高い猫に似ている。
「あ、あなたは、ループレヒトが呼んだ……」
おびえた顔で後ずさる少年に、マリアは箒を掴むのとは逆の手でスカートをつまんだ。
「はじめまして、わたくしはマリアヴェーラ・ジステッドと申します。兄が留学中にお世話になったご縁で、しばらく滞在させていただきますわ。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……ミオ」
名前まで猫みたいだ、という言葉が喉元まで出かかった。
ぐっとこらえるマリアから距離を取るように壁際まで移動したミオは、その場に座りこんで寄ってきた猫たちを撫でた。
「みんな来てくれてありがと。えっと、ジステッドさんも」
「マリアでかまいませんわ。その猫たちはミオさんが魔法で生み出したんですってね。実用的なだけではなくて、とてもかわいらしくて素敵」
「猫、好き?」
「ええ。犬より猫派ですわ」
すると、ミオは目をキラキラさせた。
シャンパンのように薄く色づいた白金色の猫を抱きかかえて近寄ってきた。
猫はミオと同じオッドアイだ。彼とは対照的に、左目が青、右目が黄色である。
「この子はニア。僕の友達」
「ミオ様とおそろいなんですね」
こくんと頷く。人間嫌いで引きこもっていると聞いていたが、コミュニケーションは普通にとれるようだ。
「ニアはもともと人間だったんだよ」
「えっ!?」
びっくりしてマリアは猫を二度見した。元が人間だったとは思えないが、プリシラの前例があるだけにそういう魔法もあるのだと納得はできる。
「魔晶石で姿を変えているのですか?」
「ううん。魔法に失敗してこうなったんだ。主様がニアに無謀なことを魔法でやらせようとしたせいだよ。魔法使いなんてろくでもない」
「この国で魔法が使えるのは魔法使いだけなのでしょう? 貴族のような特権階級ではないのですか?」
「違うよ」
短く答えたミオは、手近な椅子に座って丸まったニアの背を撫でた。
「魔法使いは箒と同じ。人じゃなくて道具なんだ。大公一族がいて、その下に貴族がいて、その下に庶民がいて、僕らは一番下の虐げていい存在なんだよ」
魔法使いは、普通の仕事にはつけない。
貴族に従属して命令を遂行して、ごくわずかな給金で暮らすのがルビエ公国の常識だ。
一生、仕える貴族の家から出られない魔法使いもいて、彼らは『飼い猫』と呼ばれるらしい。
貴族として生きてきたマリアは、手にした箒を握りしめて苦い気持ちになった。
「僕とニアは同じ主人に仕えていたけど、ニアがこうなって追い出されたんだ。困っていたところをループレヒトに拾われた。おじいさんだから雪かきが大変なんだって」
ミオは、ニアに似せて作った火炎の猫を操り、敷地だけでなく村中に放って雪を溶かしている。
貴族と違って、町民は感謝してくれるから好きとミオは言う。
「わたくし、ルビエ公国で魔法使いの扱いがそんなに酷いとは知りませんでした。わたくしの国では魔法が禁じられていますので、魔法使いはいないのですわ」
「タスティリヤだよね。平和で温かくていい国だってループレヒトが言っていた。僕もそういう国に生まれたかったな……」
虐げられて生きてきた魔法使いには、魔法のない国の方が素晴らしく思えるようだ。
それなら、とマリアは思いついた。
「本気でタスティリヤに来たいのなら、ジステッド公爵家がお力になりますわ。その代わり、わたくしに魔法を解く方法を教えていただけませんか?」
「解きたい魔法があるの?」
ミオがけげんそうに聞き返すと、ニアも顔を上げた。
二人に見つめられながらマリアはもの憂げにうなずく。
「実は、恋人の記憶が魔法で改竄されてしまいましたの――」
結婚式を控えた相手に、綺麗さっぱり忘れ去られ、その相手をルビエ公国の公女に奪われそうになっている。
事の経緯を聞いたミオは「禁忌の魔法を使ったんだ……」と憤った。
「大公一家は、魔法使いの扱いがことさら酷いんだよ。よりによって、魔法を知らない国の人に使うなんて許せない! 僕たちが力になるよ。ねえ、ニア?」
「にゃーお」
ニアも好意的なお返事をくれた。マリアは、彼らならばと事情を打ち明ける。
「わたくしがルビエ公国にやってきたのは、恋人と公女の結婚を止めるためなんです。彼にかかった魔法を解く方法を調べるためでもあるんです。どうか教えてください!」
「そうだったんだ……」
必死にこいねがったが、ミオの口は重かった。
ニアが甘えるように頬を舐めて、やっと話し出す。
「……記憶は完全に消去できない。心の奥底に眠らせるだけだと師匠に聞いたことがある。思い出させるには、その人の心を強く揺さぶって眠った記憶を目覚めさせないといけないんだって。その人はどこにいるの?」
「もうじきルビエ公国にやってくる予定ですわ」
レイノルドはルクレツィアとこの国で結婚式を挙げる。その前に封じられた記憶を目覚めさせなければならない。
心を揺さぶるという抽象的なやり方にめまいがした。
たしかな手順も、一発必中の方法もない。マリアにできるだろうか。
(いいえ。やるのよ)
ルクレツィアの魔の手からレイノルドを取り戻すには、できると信じて行動するしかない。
マリアは気合いを込めて両手で頬をパンと叩いた。
「やりますわ! 記憶を改竄された相手の心を揺さぶるため、まずは魔法について詳しくなりたいと思います。教えていただけますか?」
「いいよ。ね、ニア?」
ニアがブンブンとしっぽを振った。
(待っていてください、レイノルド様)
心強い仲間を見つけたマリアは、雪の向こうにいるだろう恋人を想った。




