16話 またひとり信者加勢
兄ダグラスがルクレツィアの身辺調査を請け負ってくれた。
さすがのマリアもルビエ公国の現況についてアクセスできる人脈は持っていなかったので助かった。
(わたくしはレイノルド様を正気に戻さなくては)
それは自分が王妃になりたいからではない。
レイノルドが大切だからだ。
だが、マリアは宮殿内に入れない。
代わりに、ルクレツィアから彼を守る存在が必要だ。
常にレイノルドの身近にいて、彼のスケジュールを把握していて、ルクレツィアと会う場面に同伴ができる人物――。
(一人だけいるわ)
問題は、その人物をどうやって動かすか。
できれば脅迫以外でと考えていたマリアのところに張本人がやってきた。
困り果てたミゼルと一緒に。
「すみません、マリアヴェーラ様。またご連絡もせずにやってきて」
応接間のソファに座ったミゼルは、隣で足を組むヘンリーを見上げた。
クリーム色の衿付きドレスに同色のカチューシャを差した彼女と、赤毛を無造作にセットしたヘンリーの組み合わせがちぐはぐで、マリアはどちらに視線をやったらいいのか迷った。
「かまいませんわ。わたくしに御用があるのは貴方?」
「まあ、そういうことになるね」
面倒くさそうにヘンリーは頷いた。
ここまで来たら付き合ってやるかという表情だ。
「ヘンリー様がいきなり我が家にきて、レイノルド王子殿下の文通相手を知らないかと尋ねてきたので驚いてしまって……」
ミゼルは、マリアとの間にあるテーブルに白い便箋を置いた。
タスティリヤ王国の紋章が入ったこれは、王族のみが扱える品物だ。
公的なやり取りにも使用されるため、他の者が使った場合は厳罰に処される。
「これは?」
「レイノルド王子サマの物だよ。引き出しからそれを見つけて思い出したんだけど、オレは以前、王子サマの手紙を何度もどこかに届けていたはずなんだ。でも、誰に送っていたのかどうしても思い出せない。王子サマの側近に聞いても誰も覚えてないんだよ。こんなのおかしいでしょ?」
オレ、まだ十代なのに物忘れってレベル超えてない?
そう言うヘンリーは、マリアとレイノルドの同級生。
名のある騎士を多数輩出するトラデス子爵家の令息である。
在学中は、襟足の長い赤毛と右目の泣きぼくろがセクシーだと女生徒に人気があった。
当人もそれをわかっていてかなり女遊びをしていて、何人もの貴族令嬢が彼に泣かされている。
無害な男より危険な男の方が面白みがあるのは当然だが、わざわざそんな相手に恋をしなくても、とマリアは思っていた。
二人が屋敷にやってきた時、マリアは真っ先にミゼルが彼に騙されたのではと心配した。
しかし、単なる知り合いのようだ。
自身の記憶に齟齬があると気づいたヘンリーは、忘れた部分を取り戻そうと情報通のミゼルを頼ったというわけである。
「だから、これを持ってミゼルちゃんのところに行ったわけ。そしたら、相手はマリアヴェーラちゃんに違いないって言われてさ。開いてみて」
言われて表紙をめくると、書きかけのメッセージが現れた。
愛しい恋人へ、から始まった手紙には、レイノルドの混乱が書かれていた。
――ルビエ公国の公女がやってきたせいで、二人で会う時間が取れなくなった。結婚式の準備も進まなくてすまない、あんたに愛想を尽かされないか心配だ。別邸のことも任せきりで何もできない自分がふがいない――
心の中を代弁するかのように続く文章は、
「こんな手紙、送られても困るよな。これは捨てて書き直す」と殴り書きされていた。
(レイノルド様……)
恐らく、マリアが別邸の改装に奔走している間に書かれた文だ。
レイノルドは結局、この手紙を破いて新たな手紙を書かないまま、マリアの記憶を消されてしまったのだろう。
彼の愛が感じられるメッセージを、マリアは愛おしそうに指でなぞった。
「わたくしに宛てられた手紙ですわ。レイノルド様とは毎日のように文通しておりましたの。レイノルド様のお手紙はヘンリー様が届けてくださっていました」
「やっぱり? アルフレッド様に隠れて付き合ったってわけ?」
「いいえ。付き合いだしたのは婚約破棄の後から。婚約は、国王陛下から許可をいただいた正式なものです。すでに婚約披露パーティーも終えて、結婚式の準備を進めていました」
きっぱり言い切るとヘンリーは目を丸くした。
「マジかよ。なんでオレは忘れてたんだ……」
「レイノルド様と同じく、魔法で記憶を操られたせいでしょう」
「魔法か……。ルビエ公国は魔法を使用している国だ。アルフレッド様も、オレにレイノルドはどうしたんだと首を傾げていたし、公女の方を気にかけてる王子サマもオレと同じように魔法をかけられた可能性があるね」
「そのようですわね」
あくまで淡々と答えながら、マリアはヘンリーの察しの良さに驚いていた。
誰にも指図されない自由な生き方をしているがゆえに、自分が絶対に正しいという感覚も薄いのかもしれない。
(レイノルド様はその逆だわ。ご自分の意見にまっすぐな方だから)
「トラデス様は、いつ魔法をかけられたと思いますか?」
ヘーゼル色の瞳を揺らすミゼルに見つめられて、ヘンリーはうーんとうなった。
「いつっていうと難しんだけど……。公女サマが連れてる執事は知ってる? オースティンとかいう。あの男が第二王子の執務室にやってきた時に耳鳴りがしたのは覚えてる。健康優良児のオレが耳鳴りだよ。信じられる?」
オーバーに両手を広げて、ヘンリーは空笑いした。
「あの日、部屋にいた側近たちはオレと同じ状態だと思っていい。ちなみに、アルフレッド様は雑用をしていて別の場所にいた。アルフレッド様には厳しい監視役がついていて、オースティンが気軽に世間話できる状態じゃない」
「だから、アルフレッド様だけ正気なのですわね」
国王と王妃も記憶は操作されていない。
二人は、ルビエ公国と縁がつむげればいいという考えで、ルクレツィアの行いを黙認している。
(レイノルド様に記憶が操作されていると気づいていただければ、少なくともルクレツィアと距離を取ってくださるのではないかしら?)
たとえマリアを愛すことはなくても、レイノルドが守られればそれでいい。
「ヘンリー様、どうかレイノルド様を守って差し上げてくださいませ。わたくしはおそばにいられませんから……」
口に出すと辛い。でも耐えなければ。
マリアは、沈痛な顔を横に向けて、せめて片方の目に浮かんだ涙を隠す。
けなげに恋人を想う表情に、ミゼルもヘンリーも目を奪われた。
「マリアヴェーラ様……」
「へえ……」
これほどまでに美しい女性は、タスティリヤ王国、いやアカデメイア大陸を探しても他にはいないだろう。
「任せて。それと、王子サマとオレたちがこうなった原因も探ってみようと思うよ。やられっぱなしは腹が立つから」
ヘンリーが素直にそう言えたのは、マリアの表情があまりにも切なかったから。
そして、自分も彼女のような恋をしてみたいと思えたからだった。
「ありがとうございます、ヘンリー様」
しょんぼりしていたマリアが嬉しそうに微笑む。
それを見て、ヘンリーはぽろりとこぼす。
「かわいいじゃん」
「ヘンリー様! マリア様に何かしたら私が許しませんよ」
隣の情報通に釘を刺されて、首をすくめる。
高嶺の花と呼ばれるだけあって、信者はたくさんいるようだ。
自分もそのうちの一人になったと、ヘンリーはしっかり自覚していた。




