15話 きょうだい密室会議
マリアと兄ダグラスは年が八つ離れている。
兄は父ジステッド公爵の若かりし頃に生き写しで、父の肖像画を見上げてから兄を見るとたびたび幽霊と遭遇したような気分になった。
狩猟犬を思わせる細い面、ツンと上にはねる鼻先はわずかに赤く、薄い唇は常にきゅっと引き結ばれている。
抜け目ない印象だ。
性格も権威主義の父とよく似ていて、マリアを王妃にするためならどんな無茶でもしそうな、一種の危うさを秘めている。
はっきり言って苦手な相手だ。
ジステッド邸の兄の部屋に入ったマリアの体は、石のように強張っていた。
ダグラスの趣味で、壁には猟銃やマスケット銃、仕留めた動物のハンティングトロフィーが飾られている。
どれだけ殺せるか、殺したかを誇る部屋なのだ。
こんな趣味を持つダグラスと、かわいいもの好きのマリアのそりが合うわけがない。
(お兄様とまともに話すのは、わたくしがかわいいもの好きだと知った際に「みっともない」と罵られたとき以来ね)
兄に傷つけられたせいで、マリアは自分の趣向は隠しておかなければと思い込んだ。
暗い表情でいつまでも話し出さない妹に、銃を磨くダグラスはうろんな目を向けた。
「話がないなら出ていけ。第一王子には婚約破棄され、射止めた第二王子にも愛想を尽かされた無能が」
「っ、まだ尽かされておりません!」
強い口調で反論する。必死な様子に、ダグラスの唇が歪んだ。
「見苦しいな。では、なぜレイノルド王子殿下がルビエ公国の公女の方に夢中なんだ? お前が飽きられたからだろう」
「レイノルド様は、魔法でわたくしの記憶を消された可能性があります」
「なに?」
ダグラスは一瞬、ぽかんとした。
しかし記憶改竄の魔法は禁忌だと知っていたらしく、すぐに背を椅子にもたれる。
仕立てのいいダブルのスーツは、脇から腰にかけて美しいしわを作った。
マリアとは趣味が異なるが、兄は兄で着るものにこだわりが強い。
「馬鹿げたことを言うな。記憶の改竄および封印は、魔法利用に関しての国際法で禁止されているんだぞ。もしも使ったら通報される」
「それは魔法が浸透した国の場合ですわ。魔法がないタスティリヤ王国では誰も気づけない。なぜなら魔法で記憶を操れると知らないからです。わたくしは自力でレイノルド様の異常に気づきましたが、アルフレッド様は心配しつつも魔法が原因だとは思っておられません」
「第一王子殿下もか……」
ダグラスの顔色がどんどん悪くなっていく。
双子の兄が違和感を持つとなれば、単なるマリアの妄想ではないと、彼も感じたようだ。
マリアは、机の上にコベント教授に渡された本を置いた。
「ルビエ公国には魔法使いがいて、大公一族や貴族に仕えているとこの本に書いてありました。公女の身分であれば、自らの手を汚さずに禁忌の魔法を施すことは可能です。ルビエ公国に留学したことのあるお兄様の知見として、公女が他国の王族に取り入るような状況に心当たりはございまして?」
「……私が留学していたのはもう十年も前だ。ルビエ公国の現況には詳しくない」
「でも、結婚するまで連絡は取っていらっしゃったはずですわ」
ダグラスは、子爵家出身の妻と二人の子どもがいる。
子どもたちは三歳と一歳の可愛い盛りで、一年のほとんどを領地で過ごすが、王都に遊びに来た時はマリアも遊んでいる。
その際の義姉との世間話で、兄がルビエ公国にいる友人との連絡をきっぱり止めたと聞いたのだ。
「抜け目のないやつだな」
ダグラスは荒っぽい手つきで机を漁り、紐でまとめた手紙の束を取り出した。
開封された封筒は、長い期間を経て黄色く変色している。
「大事に取っておられたのですね。お相手はどなたですか?」
「大公の三男だ。留学している間の親友だったが、結婚を機に連絡をやめた。留学中は彼のおかげで楽しく過ごせたんだ。宮殿に招かれて大公に謁見したこともあるんだぞ。魔法で彩られた宴は圧巻だった」
シャンデリアは星のように輝き、オーケストラピットは宙に浮き、人々のドレスやジャケットは会う人にあわせて色を変える。
タスティリヤ王国では禁じられた魔法の強みを思い知らされたという。
「私は親友を質問攻めにした。魔法は何ができて、何ができないか。何が許されて、何が禁止なのか。熱心に尋ねる私に、彼は絶対に使ってはならない魔法があると教えてくれた。それが記憶の改竄だ」
まだどんな魔法も禁止されていなかった頃、貴族に酷い扱を受けていた魔法使いが、主の記憶を書き換えた。
自分を貴族その人だと思わせて、使用人として働かせたのだ。
私財を食いつぶされたその貴族は没落し、一家は離散したという。
「それ以降、ルビエ公国の貴族たちは記憶を操られるのを恐れている。ルビエ公国内では魔法使いを厳しい管理下に置いて、自由に魔法を使わせないようにしているので、さほど心配はないらしい」
「管理下とはどういうことですか?」
「有体にいえば、魔法使いは人ではなく、王侯貴族の所有物だということだ。彼らは靴や杖のような物と変わらないんだ、あの国では。後から知ったが、親友がいつも連れていた無口な従者も魔法使いだった」
泣きも笑いもしない人形のような男が、親友に尽くして使い捨てられるのを間近で見て、ダグラスは魔法に否定的になった。
「タスティリヤ王国がここまで平和なのは、ひとえに魔法の使用を許可していないためだ。それが国内で、しかも次期国王に使われた可能性があるとなれば非常事態だ。マリアヴェーラ」
ダグラスは磨いていた銃を手に立ち上がった。
兄は狩猟の名手でああり、これまでに何百頭もの鹿や熊を屠っているだけあって、銃身をすべらせて床に立てる仕草は流れるようだった。
「我がジステッド公爵家のため、そしてタスティリヤ王国のために、レイノルド王子殿下の寵愛を取り戻せ。できなければ、私に撃ち殺されると思え」
「ふふふ、お兄様は口が悪いこと」
マリアは、ここにきてようやく体の力を抜いた。レースの扇を開き、口元に寄せる。
武器は手元にない。
けれど、銃を持つダグラスと同じ、獲物を逃さない狩人の瞳をしていた。
「わたくしがレイノルド様を取り戻すのは、恋を守るためですわ」
「恋なんて――」
「くだらないとはおっしゃらないでしょう。お兄様は恋愛結婚なのですから」
ずばりと指摘すると、ダグラスは悔しそうにうなった。
彼が義姉と大恋愛の末に結ばれたのは、もう七年の前の話だ。
(夫婦仲が睦まじいおかげで、お兄様の凶暴性が抑えられてありがたいわ)
おかげで、兄はマリアがかわいい物をかき集めていても何も言わなくなった。
彼自身、我が子にフリルやレースたっぷりの服を着せるようになったため、そういった趣味を悪く言えなくなってしまったのだ。
わかりやすく実直である。
決めたことはひっくり返さないし敵認定した相手には容赦ない。
これほど頼りになる味方もいない。
「お兄様が協力してくれれば百人力ですわ」
「協力というからには、私に望むことがあるはずだ」
主の命令を待つ狩猟犬のように視点を定めるダグラスに、マリアは自分にはできない重要任務を与える。
「お兄様は、ルビエ公国での第五公女ルクレツィアの立場について調査してください。彼女は勉強のために来たと言ってましたが、わたくしには取り入る相手を探しにきたようにしか思えませんの」
「わかった。お前はどうする」
「まずは、レイノルド様の御身の安全を図りたいと思っております。アルフレッド様は頼りないので味方を増やしますわ」
マリアは、そっとブローチに触れた。
ひんやり冷たい感触に目が冴える。
(待っていてください、レイノルド様)
自分を忘れてしまった恋人へ、届かない言葉をつむぐ。
もしも神様がいるのなら、彼の夢の中に自分を出してほしい。
夢の中でなら、今も愛しているって伝わるかもしれないから。
(……なんて)
らしくなく感傷的な自分を、マリアは髪を手で払って笑った。




