13話 近衛騎士のぼうきゃく
(ジステッド公爵令嬢のウェディングドレス、ってなんだ)
第二王子の執務室に戻ったレイノルドは、机に頬づえをついて黙考していた。
最近、よく現れるマリアヴェーラ・ジステッド。
本人がレイノルドの周囲をうろちょろするだけでなく、周りの人間からもその名前を聞く。
マリアは、薔薇の花のような美貌と高貴さから、貴族学園では〝高嶺の花〟と呼ばれて男女問わず人々を魅了していた。
学校はサボりがちだったが、同じクラスだったので彼女ことはそれなりに知っている。
双子の兄アルフレッドとマリアは生まれた時からの婚約者で、兄が別に恋人を作ったせいで破局した。
それにあわせ、マリアのウェディングドレスの製作や式の準備は白紙になった。
だが、実際にはドレスは作られていたらしい。
(マリアヴェーラが欲しいと言えば、ジステッド公爵家なら作れそうだが)
相手がいないウェディングドレスなど、作ってもむなしくなるだけだろうに。
それとも、アルフレッドが再び自分の元に戻ってくるとでも思ったのだろうか。
女心はよくわからない。
そもそも、レイノルドは誰かに恋をしたことがないのだ。
結果的に、アルフレッドはマリアヴェーラと再婚約はしなかった。
アルフレッドの一方的な婚約破棄が、ジステッド公爵だけでなく国王も怒らせたせいだ。
そのせいで兄は継承権第一位の座から降ろされ、レイノルドが次期国王という扱いになったのである。
(俺は、次期国王になるための勉強に明け暮れるようになった)
妹分だった聖女ネリネの預言が嘘だと明らかになったのが、今年の夏頃のことだ。
ネリネは長らく国王を騙していた罪で辺境に追放された。
静かになった宮殿で、レイノルドはいっそう熱心に勉学や仕事に打ち込んだ。
そして、突然の出会いはやってくる。
ルクレツィアが現れたのだ。
大国の公女という地位と、レイノルドと近い年齢。
これまで婚約者を持たずに生きてきたレイノルドと実にお似合いだった。
(すぐに結婚準備をはじめて――いや、準備は前からしていたような)
そもそも、レイノルドはルクレツィアにプロポーズしていない。
国王に婚約を認められてもいなければ、婚約披露パーティーも催していない。
「ヘンリー。俺は、どうしてルクレツィアと結婚しようとしているんだ?」
「どうしてって適当な相手だからでしょ。王子サマ、頭でも打った?」
執務室の菓子入れを漁っていたヘンリーは、悩むレイノルドを薄笑いで一蹴する。
レイノルドはこの国の第二王子だが、ヘンリーの言動に敬意はみじんも見当たらない。
チョコレートを見つけたと揺れる赤毛に、小さく嘆息して視線を下げる。
「俺の意思とは関係なく話が動いている気がする」
「政略結婚なんてそんなものだよ。国とか家とか大きなまとまりの利益になるように番わされるのが王侯貴族の宿命でしょ。それとも何? 今さら恋したいとか思っちゃってるわけ?」
恋。
その言葉を聞いた途端、レイノルドの胸がざわっとうずいた。
(なんだ、今のは)
心の奥の、大事な部分に触れたような気がした。
違和感を言語化する前に、ヘンリーの声で現実に戻される。
「これお気に入りだよね。廃棄用の箱に入っているけど捨てていいの?」
ヘンリーがつまんでいたのはスズランのラベルピンだった。
どう見ても安物だし、お気に入りというわけではないのだが、付けていないと落ち着かない品だ。
「今日はないと思っていたが、そんなところに落ちていたのか。返してくれ」
ヘンリーは、レイノルドの手のひらにピンを置いた。
「王子サマ、それひょっとして誰かからの贈り物?」
「俺が買った。おそろいなんだ」
「おそろいって誰と?」
「……覚えてない」
いつどこで買ったのか、誰とおそろいなのか、思い出そうとすると頭痛がする。
おぼろげには覚えているのだ。
城下の市場で待ち合わせて、アクセサリーの屋台を見て回って、気まぐれに入った店で買い求めた。
相手はブローチだったので女性かもしれない。
大昔の出来事でもないのに、記憶にかすみがかかっている。
(最近よく頭が痛くなるな。一度、医者に診てもらった方がいいだろうか)
考えながらジャケットにピンを差すと痛みが和らいだ。
「失礼。レイノルド王子殿下はいらっしゃいますか」
扉がノックされて、いつでも真顔のオースティンが現れた。
細い目で部屋の奥にいるレイノルドを見つけると、矢継ぎ早に話しかけてくる。
「ルクレツィアお嬢様が話したいとおっしゃっています。面談室までまいりましたので、至急来ていただきたい」
「またか」
ルクレツィアは毎日のようにレイノルドとの面会を希望する。
はっきり言って迷惑だ。しかし、断って機嫌を損ねてもいけない。
ルビエ公国に睨まれる危険を考えれば、レイノルドは辛抱して付き合うしかなかった。
(ルクレツィアを愛することは一生ないだろう)
たとえ両国に祝福されて結婚しても、子どもが生まれても、ルクレツィアはレイノルドを満たしてはくれない。
まだ恋も知らないのに、それだけはわかっていた。
「行ってくる」
「はいはい、頑張ってー」
オースティンと連れ立って部屋を出ていくレイノルドに手を振ったヘンリーは、彼がさっきまで座っていた席に腰かけた。
ヘンリーの仕事はレイノルドの護衛だ。
だが、公女と会う際は必要ないと強く言われている。
いや、近衛騎士団の団長には必ずついていくように命令されているのだが、オースティンを視界に入れると不思議とやる気がなくなってしまう。
レイノルドの側近も同じで、彼が来ると一時的にぼうっとしてお菓子を食べることしかできなかったりする。
ぞろぞろと菓子箱を漁るだけの群れができあがるのを、ヘンリーもまたどこか抜けた頭で眺めた。
「こうなったのっていつからだったっけ。たしか、王子サマについて別邸に行った時? ぼんやりするせいで女の子のデートもすっぽかしちゃったし……ん?」
引き出しから何かはみ出している。
取っ手を引くと、王族だけが使える便箋と封筒、封蝋が出てきた。はみ出していたのは書きかけの便箋だ。
便箋には、レイノルドの筆跡でロマンチックな言葉が書かれている。
恋文だ。
しかし、愛の言葉は途中で途切れていた。
「そういえば、以前はよく手紙を届けるように頼まれてたな。誰に出していたんだっけ?」
記憶がすっぱり抜け落ちている。まさか、この年齢から認知症か。
それとも、若気の至りでヤバい飲み方をしてきたツケが回ってきたか。
思い出せないなら推測するまでである。
相手は絶対に女。
一日に二度も歩かされることもあったので相手は王都にいるはずだ。
わざわざ王族の封筒を使っているので、レイノルドが身分を偽らずに連絡をやり取りできる環境にいる。
「十中八九、貴族令嬢だ。あの子ならわかるかな」
とある情報通を思い浮かべて、ヘンリーは便箋セットを掴んだ。




